藍読日記 ☆読んだ本と『幻想文学』関連の情報、その他の情報をお届けします。         2003/7/5更新
★読書メモについては主観的かつ恣意的な趣味に基づく書き散らしです。文責はすべて石堂藍にあります。
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2001年11月


4日
ロバート・ジョーダン『竜王戴冠6』(斉藤伯好訳・ハヤカワ文庫FT)
 ケーリエン攻防戦。ありにも細切れで何を読んでいるのかわからなくなってしまう。

タッド・ウィリアムズ『黄金の幻影都市』5(野田昌宏訳・ハヤカワ文庫S)
 とうとうアザーランドの黄金都市テミルンに到達したレニーたちやオーランド。しかし……。話が全然終わってないじゃないか! 五冊で完結なんじゃないの? もしかしてこの五冊は長篇の導入部だったのか? 合衆国のSFは長すぎる。あまりにあいだを開けて読んでいるから確かではないか、これはもしかしてとんでもない駄作なのではないか(上のジョーダン作品と同じく)。

6日
ジョージ・ウッドコック『ベイツ』(長澤純夫&大曾根静香訳・新思索社)
 『アマゾン川の博物学者』で知られるヘンリー・ウォルター・ベイツの評伝。著者はカナダの伝記作家らしいが、ダーウィンのような理論科学者にならなかったことを惜しむ口ぶり。歴史に名を残すのは、確かに大理論の提唱者であろうし、ベイツに望む気持ちがなかったのかと言えばそうではないのだろうが、こうしたことは18世紀19世紀の科学シーンではよくあることで、如何ともしがたいものがあったに違いない。こうした場合、方向を決定するのは性別、身分に伴う金銭など、本人にはどうしようもないことなのだ。その中で子だくさんの家庭生活を選んだわけだから。それにベイツは後半生の、地味な研究を楽しんでいなかったとも言えまい。理論よりも蒐集分類が好きだったかも知れないのだ。(京)

クルバン・サイード『アリとニノ』(松本みどり訳・河出書房新社)
 イスラームの貴族アリとギリシア正教徒のニノの恋愛模様を、第一次世界大戦中のカスピ海沿岸の小国を舞台に描いたロマンス。一九三七年作だそうだが、民族間の根深い対立や、ヨーロッパ列強に玩ばれるアジアの小国といったテーマは、現代にも直結しており、というよりもいまだに解決していない問題で、悲劇的な展開にもリアリティがある。ユダヤ人がバザールでバビロン捕囚のことを言いだして笑いを誘う場面や、あるいはある民族名を聞いただけで瞬間的に憎悪が湧き上がるという言葉など、言い難いものがある。あたかもノンフィクションを読むように読んでしまった。(京)

田淵安一『西の眼東の眼』
(新潮社)
 80歳の抽象画家のエッセイ集。フランスを拠点にしているというが、それを感じさせない日本語。若い頃の思い出やヨーロッパの先史時代からルネサンスにわたる芸術についての考察を収録。(京)

秋山駿『片耳の話』(光芒社)
 内向の世代を代表する評論家のエッセイ集。カルチャー・センターでマダムなどに文学を講義していると書かれているので、大学時代の、死ぬほど退屈だった授業を思い出し、きっとそういうところでは多少とも芸人になるのであろうと漠然と考えた。私とは何かを突き詰めて考えるというような文学観から遠い遠いところにいる自分を思い、この人が思索の人と言われていることを思い、小林秀雄のことや、さらには日本の文芸評論の重鎮と言われた人たちの仕事について思いをいたし、私はひとり暗くなった。(京)

7日
『トゥーム・レイダー』と『キャッツ・アンド・ドッグズ』を観る。つまらない本を一冊読むのと、つまらない映画を一本観るのとでは、やはりつまらない映画の方がまだましのようにも思う今日この頃。
 前者は、私としてはもっと狂ったイリュミナティを期待したのだが、ただひたすらアンジェリーナ・ジョリーだった。しかもなんとファザコンという設定で、がっかりもいいところである。合衆国では愛されている父親を描くと売れるのか? とてもとてもおぞましい感じ。後者は猫が悪役なんだな。次男は『スチュアート・リトル』に出て来た猫にそっくりだと言うけど、同じ猫俳優かどうかはわからない。犬はともかく、猫がよくまあ芸をするものだと感心してしまう。なお、『陰陽師』を観た長男によると、主人公がとにかく決まっていてすばらしいのを除くと、滑舌もなってない俳優ばっかりなうえに脚本もしょうもなかったとのこと。野村萬斎のための映画なのだろう、きっと。

9日
ロバート・ゴダード『一瞬の光のなかで』(加地美知子訳・扶桑社)
 写真家のイアンはウィーンで魅力的な女性マリアンに出会い、恋に落ちる。妻子を捨てても彼女と一緒になると決めたイアンだが、ウィーンでの仕事の成果を現像してみるとすべて真っ黒、彼女の存在した証拠は何一つない。さらに「私を見つけようとしないで」と言い残して彼女は姿を消す……。
 サスペンス・ミステリ。物語は悪くないが、イアンが魅力ないので、いまいち。冒頭の恋愛の展開を読んだところで、ハードカバーを買ったことを後悔した。その後少し持ち直したが、最終的に後味がまったく悪かった。
 写真の発明をめぐる伝奇的要素と、19世紀の人物の記憶がフラッシュバックするという転生とも思える現象が大きな謎を構成し、もちろんミステリなので謎は解かれるが、なおかつ幻想的要素を排除しないというふうになっている。写真を通して時間を無効化するというイメージや過去が今と重なる現象など、かいなでただけと見えなくもないが、雰囲気良く描かれているのでその点はいいんじゃないかと思う。

イアン・マキューアン『夢みるピーターの七つの冒険』(真野泰訳・中央公論新社)
 マキューアンによる年長版『かいじゅうたちのいるところ』。まあまあ。

カフカ『万里の長城』(池内紀訳・白水社)
 手稿を含む断片など。14歳の記念帖への書き込みから始まってノートのメモ、カレンダーへの書き入れ、草稿まで。カフカはカルト作家なのね~。bk1

12日
神林長平『永久帰還装置』
(朝日ソノラマ)
 おもしろい。読め。
 特に言うことでもないのだが、カバーの絵がね、なんていうか、銀灰色の毛並み(後には黒シマ入り)って書いてあるのに、黒猫だし、ヒロインはブラウンの虹彩と書いてあるのに青いし、主人公は2000年頃の日本人という設定なのに、ガイジンみたいだし。絵的に良ければそれでいいのかしら。こういうのにこだわるのって変? やっぱりちゃんと読んでから描けよと言いたくなってしまう。bk1

篠田真由美『聖杯伝説』(徳間デュアル文庫)
 辺境の語り部をめぐる物語。中篇。最初で最後のSFだそうだが、私見によれば《根の国の物語》もSFである。本作の方が一見SF的だが、実質的にはあちらの方がSF的おもしろみは大きいと私は思う。こちらはむしろロマンティックなファンタジーとして読んだほうが違和感がない。

14日
 『幻想文学』62号出来。篠田真由美さんに送本のお手伝いをしていただきました。直接購読のみなさまには早ければ15日、遅くも17日に届きます。楽しんでいただければ幸いです。

15日
テリー・グッドカインド『魔道士の掟4』
(佐田千織訳・ハヤカワ文庫FT)
 最後は主人公は救われるのだろう、とは思うが、こんなところで終わらないで欲しい。

ダイアナ・ウィン・ジョーンズ『クリストファーの魔法の旅』(田中薫子訳・徳間書店)
 当代クレストマンシーの少年時代を描く。表紙裏の解説はクライマックスを除くほとんどの筋が紹介されていて、情けない。

『幻想文学』の一部直書店への納本。本をザックに入れてかついでいると、大変ですね、と言われるのだが、回るのは本当にごく一部、数件の書店だけだし、重さも15キロくらいなのであって、そんなに大したことではないのである。ただ、宅急便で大部数を送っている東京堂書店からの返品も受け取るので、結局いつまでも重さが変わらないというのが悲しい。東京堂でついでに本を買ってしまい、帰りは両手にも荷物を下げることになり、本当に大変になってしまった。ああ、バカだ。

17日
ウィルキー・コリンズ『アーマデイル(下)』(横山茂雄&甲斐清高訳・臨川書店)
 『アーマデイル』完結編。内容は、決着がつくだけなので、説明できず。この小説は、人物描写の配分、もしくは構成のバランスが悪い。部分的には非常に素晴しく、キャラクターも申し分ないのだが、全体を通して見ると、どこか歯がゆく、なんだかもったいないと思わせるものがある。ヒロインの悪女・グウィルト嬢は前にも言ったが、たいへんに魅力的。コリンズ作品に見られる女性像について考察するだけで、恐らく一冊の本が書けてしまうだろうと感じた。

19日
ロバート・ジョーダン『竜王戴冠』7(斉藤伯好訳・ハヤカワ文庫FT)
 ナイニーヴの話だけで一冊。ああ、ジョーダンって本当に小説が下手くそ。どうしてこんなものがベストセラーなのか? この作品をネタに小説のレヴェル低下に関わる負のスパイラル論とか書けそう。

桝山寛『テレビゲーム文化論』(講談社現代新書)
 コンピューターゲームの歴史と今後の展望。ゲームとアニメとでソフト面で日本が世界で高いシェアを持っている事実は書かれていても、なぜなのかに対する考察はほとんどない。しかしそれなりにおもしろく読んだ。(京)

折原一『沈黙者』(文藝春秋)
 ミステリ。万引きと暴行で捕まった少年が名前を名乗らない。一方惨殺事件が起きる。どういう関係なのか? パス(京)

20日
青木奈緒『うさぎの聞き耳』(講談社)
 日常をテーマにしたエッセイ集。ときどき小説仕立て。
 東京新聞のおかげで女性の日常的なエッセイもいろいろ読んだが、こんなものにもレヴェルがあるのだとよく分かる。露伴のひ孫なのだそうだが、まあ何の関係もないな。(京)

永峯清成『スペイン ホセ・マリア伝説』(彩流社)
 メリメが『カルメン』のホセのモデルとした山賊の評伝。時々小説風になる。(京)

目崎徳衛『史伝後鳥羽院』
(吉川弘文館)
 後鳥羽院の評伝。おもしろく読んだ。(京)

21日
臼杵陽『原理主義』
(岩波書店)
 イスラムとユダヤの原理主義について。私は原理主義と言えばキリスト教ファンダメンタリストのような類から敷衍されるものを指すと思っていたが、この語が世界的にどうしようもないほど混乱して使われているということが本書を読んでわかった。シオニズム自体がユダヤ原理主義とは言えないと思うのだが、そういう問題でももうないのだ。それにしてもシオニズムというのはどうしようもないな。

エドワード・ゴーリー『蒼い時』『華々しき鼻血』
(柴田元幸訳・河出書房新社)
 前者はとぼけた対話の絵本。シアンが使ってあって少し可愛い。後者はまたもABCブック。日本語への翻訳は無理があるでしょう、やっぱり。訳者の解説が涙ぐましい。
 ゴーリーもこれで終わりかしら。六冊の中では『優雅に叱責する自転車』がいちばん良いと思います。

22日
菅浩江『アイ・アム』
(祥伝社文庫)
 近未来、意識のある介護ロボットが自分について悩む話。短い枚数でちゃんとまとまってはいる。だが、もともとこの400円文庫というのにはどこか無理があるのだ。長さが中途半端で、読むほうの気持ちも中途半端になる。

25日
エリザベス・エンライト『ひかりの国のタッシンダ』
(久保田輝男訳・フェリシモ出版)
 30年前の児童書の復刊。孤立した世界に偶然紛れ込んだ、髪と目の色の違う少女を描く。

五十嵐真紀『球体』(文芸社)
 素人の書いた小説集だが、少しだけ手を入れて、もっと美しいものにしたくなるような、魅力がある。骨を磨く話など、どこかで読んだモチーフだが、悪くはない。幻想的な作風のものはいささか独りよがりで、これもまた手を加えたくなる。こうした名もない人の作品と、文壇に出た人の境はどこにあるのだろう。明らかにちがうと言えるほど、今の純文学の新人は、洗練されているだろうか。売れるのも認められるのも時の運とはいえ。

正木恒夫『植民地幻想』(みすず書房)
 これはおもしろい。英文学者による、未開イメージの解析。執拗に繰り返される、対西洋文明=近代としての未開=野蛮のクリッシェ。それを意識して逃れようとしても、意識した途端に、未開イメージの固着化という陥穽にはまる。あたかも『橋のない川』が差別の再生産であると非難されるかのように、私たちが意識的になることだけで達成されてしまう、西洋優位の構図。

26日
阿辻哲次『漢字のいい話』
(大修館書店)
 古代の甲骨文字などの研究を中心にしている漢字学者のエッセイ集。漢字の表記に関する議論は、さまざまになされているが、漢字学者はさすがにおおらかで気持ちが良い。永瀬唯さんからも活字の歴史の話をちらっとうかがったりしたが、こうした大局的な歴史を踏まえたうえでの議論でなければ、意味がないだろう。タイトルの洒落はいまいちだが。(京)

梅原猛・上田正昭『「日本」という国』(大和書房)
 当然のことながら、梅原はパスである。対談であるため、語の使い方がいつにも増していい加減。上田正昭曰く「梅原先生には皮肉が通じない」。やれやれ。(京)

中沢けい『月の桂』(集英社)
 エッセイ的短編集。パスだよねー。(京)

27日
チャペック『ポケットから出てきたミステリー』
(田才益夫訳・晶文社)
 『ひとつのポケットから出た話』の続編。雑多な人々が、体験談として不思議な事件などについて語る。ミステリとも言えるが、やはり綺想小説に近く、時にはチャペックらしく哲学的になる。(京)

マタス&ノーデルマン『ミッシング・マインド』(金原瑞人&代田亜香子訳・あかね書房)
 魔法の力が無軌道になった情況を描いている。『SFマガジン』のファンタジー欄を次号から担当することになったので、取り上げるべきかと思い、読んでみたが、やはりダメだ。ますますひどいというべきか。こんなものは取り上げなくても良いだろう。

小熊英二『〈日本人〉の境界』(新曜社)
 沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮という明治以後日本の属国とされた国の位相、その地域の人々の対応、そして日本の政治家・軍人・論客の視点をつぶさに検証したもの。アイヌについてはごく軽く触れるにとどめ、やはり戦後から現代に至るまで問題を抱える沖縄に紙数を割いている。本書のおもしろさは一言では言えないが、殊に文明化という一点において、日本という近代国家の立ってきた微妙な位置、そしてそれゆえにさらに曖昧な立場に立たされることとなった沖縄、朝鮮、台湾の位相、そしてさらにそうした地域内でも差別があり、それを逃れるために日本の論理に乗ることもあったという、複雑な様相が、クリアに見える。一次史料からの丹念な引用と能うかぎり公正な読解が、この浩瀚な書物に何よりも信頼性を与えており、そのクリアさをも保証していると言えよう。あくまでも、確固とした答も出ず、一枚岩とも成りえない情況の複雑さそのものがクリアに見えるということであって、近代国家をめぐる問題そのものは、決してクリアになるということがないのだ。
 著者は結論で言う、日本は「有色の帝国」だと。有色だというだけでもなければ、百パーセント帝国というものでもない。もしも単一の色で解釈しようとすれば、必ず洩れ落ちるものがあり、そして洩れ落ちたものを唯一の真実のようにふりかざす歴史修正主義が顔を出すことになる。つくる会のように、〈挑戦者〉の姿で人々を魅惑する、と。このような思考が、少しでも多くの人々に理解されることを望みたい。
 また、あとがきで自らを仲介者と位置づけ、幾多の問題を含んだ30年代のある一文を前にして、分析をためらう著者の姿勢は、きわめて真摯であり、私は深く共感させられた。

ビルヒリオ・ロドリゲス・マスカル『ケツアル鳥の館』
(児嶋桂子訳・文藝春秋)
 中米のジャングルに棲む動物たちを主人公にした寓話集。寓話を越えた独得のタッチがあるが、翻訳が……。

原武史『可視化された帝国』(みすず書房)
 明治大正昭和三代における行幸啓を丹念に跡付けた歴史書。歴史的資料として価値が高く、小説家のネタ本としては一級品と言えるが、一般人が読むには少々辛いものがある。結論的には、映像的なインパクトが日本人の天皇観にもたらしたものの大きさを評価している。本書を読みつつ、臨場的なものが肉体に刻み込む記憶ということを考えた。これは宗教的なテーマと大きく重なるので。
 それにしても本書を読んでいると伝奇小説的には、大正天皇謀殺説はいかにもありそうなものとして思えてくる。

稲賀繁美『絵画の東方~オリエンタリズムからジャポニスムへ』(名古屋大学出版会)
 19世紀から始まるオリエンタリズムの特徴を論じる第一章を除くと、ジャポニスムを中心に論じられている。日欧の往還についても触れられてはいるが、基本的には印象派がもたらした絵画の転機にジャポニスム(という幻想)の果たした役割を検証するというもので、論自体は説得力もあり、おもしろくもあるのだが、いかんせん印象派に興味がない。ただ、幻想が幻想を産む情況、また批評家や作家による論理の捏造(故意の読み違え、あるいは誤解)が美術史を決定するという傾向などが見てとれるようになっており、その点は興味深かった。

29日
ルイス・デ・カモインス『ウズ・ルジアダス』
(池上岑夫訳・白水社)
 ヴァスコ・ダ・ガマへのインドへの航海を歌った叙事詩。だが、訳者はこれは正しくない、ポルトガルの人々を歌ったものて、ガマはその一人に過ぎないと言う。しかし、肉身をもって登場し、危難に遭うのがガマでってみれば、途中でどんなにポルトガルの歴史や英雄物語が織り込まれていようと、やはりそう要約せざるを得ないだろう。またその英雄物語などにしても、ガマ自身が語るという形を取っている。私は東方幻想の一環として本書を読んだが、その点ではありきたりな収穫しか得られなかった。ポルトガル人にはおもしろい読物かも知れないが、私には退屈で、また同じルネサンス期の大著『狂えるオルランド』を並行して読み続けているため、凡庸なものに見えてしまう。

アリオスト『狂えるオルランド』(脇功訳・名古屋大学出版会)
 ルネサンス期を席捲した一大ベストセラーは、波瀾万丈の騎士物語で、『幻想文学』62号にも伊藤敬氏の〈おもしろければ何でもあり〉との書評が掲載されているが、まさのその通りの大作。たくさんの美女(かなりの場合なよなよしていないのが特徴)と豪傑があちらこちらで事件を繰り広げ、アリオストは、「さてここはこのままに、次はあっちを見てみよう」といった調子で、物語を広げまくる。前掲書に似て、仕えていた家系の歴史の紹介・称揚が含まれ(一筋の線はその祖たる恋人同士の物語)、また社会批判やさまざまな諷刺(例えば地球の上で失われたものはすべて月にあるのだが、たくさんの「正気」が月の世界には散らばっている)なども展開される。しかし基本的には紙芝居の世界で、でたらめな魔法の横行と筋の散らかり方の方に目が行ってしまう。こんな美装でなくとも、もっと安ければ、と思う。というよりもこれは岩波文庫で出すべき古典でしょう。

山田慶兒『本草と夢と錬金術と』(朝日新聞社)
 中国の科学史の泰斗による論考集。本草における分類学を縷説する本草の章では、日本における分類が、技術に偏るという詩的に、蒙を啓かれた。ほかにも印象深い記述がたくさんあった。夢については、一論文があるだけだが、夢占がすでに五世紀に廃れ初め、唐代まで命脈を保ったが、宋代には確実に衰えた、という結論部に驚く。中国幻想文学をやったときには気付かなかった。これはたいへんな早い醒め方である。錬金術についてはその一書『太清金液心丹経』に見られるユートピア思想に着目している。

30日
水野葉舟『遠野物語の周辺』
(国書刊行会)
 横山茂雄編。葉舟は佐々木喜善と柳田国男を引き合わせ、『遠野物語』成立に関わった人物である。『幻想文学』では47号と62号で、本書にも採録された霊怪関係のエッセイを復刻しており、編者もそのたびに論考を寄せてくれているので、内容については繰り返さない。『遠野物語』の原形となった作品が含まれているので、『遠野物語』に興味のある人や、また日本のオカルティズムに関心のある人は、本書に目を通すべきであろう。『幻想文学』62号掲載の「怪談の位相」を大幅に加筆訂正した解題を掲載している。

ジョン・ベレアーズ『魔法の指輪』(三辺律子訳・アーティストハウス)
 己に対する不満を持つ者に働き掛ける魔法の指輪をめぐる話。フェミニズムがテーマ。

短篇上映の専門館というところに初めて行ったが、プロジェクターだったので、哀しかった。CGを中心にしたアニメだったのだが、私以外は誰もいなくい。全部人が入っても80人ぐらいかとは思うけど。フランスの「海辺の少女」というファンタジーCGが秀抜だった。日本のCGはかなり辛い。日本という国には本当にお金がないんだろうか。


11月の雑感 今月は本をたくさん読むとか言って、全然読めていないのはなぜか? よくわからない。休日には本を読まなかったせいか。庭に残してあった数本の松をとうとう伐ってしまい、連休にはその片付け&薪づくりに追われた。最も太いもので50年ほどの樹齢があった。どこかの家の柱になるのだろう。大きな切り株を見ていると、植物と動物、さらに言えば草花と樹木とでは、世界との関わり方がまったく異なることを実感する。
 また今月は何と言っても神林長平と横山茂雄二人の仕事がたくさん読めるという超ラッキーな月であった。評判の高かった小熊英二をようやく読み、私よりも少し若い、こんな良い学者がいる歴史学をうらやましく思った。日本文学者はいったい何をやっておるのか?!