藍読日記 ☆読んだ本と『幻想文学』関連の情報、その他の情報をお届けします。         2003/7/5更新
★読書メモについては主観的かつ恣意的な趣味に基づく書き散らしです。文責はすべて石堂藍にあります。
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2001年12月


1日
ローレン・アイズリー『夜の国』
(千葉茂樹・上田理子訳・工作舎)
 古生物学・考古人類学者の哲学的、というよりはスピリチュアルな感覚の横溢するエッセイ。ごく普通に自分の仕事を振り返るものもあるが、幼い頃からの、あちら側に片足かけたような感じというものが、いろいろな生物学的科学的興味とともに語られていく。内容を説明しても虚しいので、こういう傾向のものは、読んで感じるものがある人にはわかって、共感できるものだし、そうでない人には奨めても意味がない。秘教的だが、ニューエイジ的ではない。これは褒めているのだ。

ローレン・アイズリー『星投げ人』(千葉茂樹訳・工作舎)
 こちらは新刊で、むしろ科学寄りだったり過去の思い出だったり、普通に近い感じ。

2日
マイケル・コーレン『トールキン』
(井辻朱美訳・原書房)
 思いっきりつまらない子供向け伝記。

クロンゼック『ハリー・ポッターの魔法世界ガイド』(和爾桃子訳・早川書房)
 ポッター系の読本はいろいろと出ているが、やはりポッタリアン受けするのは『秘密の魔法学校』のようなものだろう。本書はポッターに使われている幻想的小道具の解説書で、魔女・錬金術等々とは何かについての歴史的な説明がなされる。つまりローリングが拠ったであろう歴史・伝承を説明したもの。子供向け。

C・S・ルイス『沈黙の惑星を離れて』(中村妙子訳・原書房)
 神学的SF三部作の復刊。ちくま文庫版ももうないのか。井辻朱美のおもしろい解説付き。

デイヴィッド・クレメンス・デイヴィース『預言の子ラノッホ』(多賀京子訳・徳間書店)
 13世紀のスコットランドを舞台に、シカを主人公にした動物ファンタジー。定型的な、紋切り型多用の作品なのだが、非常によく出来ている。ファンタジーでしか味わえない醍醐味がこの作品にはある。私は動物ファンタジーの類はあまり好まないのだが、それでも充分に楽しめた。難を言えば、悪役の描かれ方が少しだけ不足しているか。

ポール・スチュワート『崖の国物語2』(唐沢則幸訳・ポプラ社)
 一巻の二年後。神聖都市を支え、水を浄化する奇跡の石を求めての旅を描く。マンガなのだと割りきれば良いのか。

デイヴィッド・アーモンド『闇の底のシルキー』(山田順子訳・東京創元社)
 『肩甲骨は翼の名残』と構造的に非常に良く似た作品。ファンタジー色は曖昧になり、メタノヴェル的な趣を見せる。炭坑のことが描かれるので、地下世界への下降というイメージのある作品かと思ったが、それはなかった。

3日
菅浩江『夜陰譚』
(光文社)
 被差別的存在を主人公にした作品が多くて、暗いホラー短篇集だ。「和服継承」「桜湯道成寺」「贈り物」がよい。DVをテーマにした「つぐない」は、いまだに例えば「昔の男は女を殴ったものだ」(そんなの当り前)式の意見や、「殴られるほうが悪いのだ」という見方が絶えない現状(だと私は認識する)では、肯定的に見るわけにはいかない。残念である。

4日
倉阪鬼一郎『十三の黒い椅子』
(講談社)
 ミステリか? 椅子をテーマにしたホラー・アンソロジーをめぐる話。個々の短篇を評価できず。

車谷長吉『文士の魂』(新潮社)
 好きな小説などについて語っている。車谷が良いと言う作品は、この人ならさもありなむと思わせる。平野啓一郎が『金閣寺』に感動した話を枕にしつつ、『金閣寺』を「美と不具者についての空虚な言辞を牛の涎のごとくに垂れ流す作品」と斬って棄てているのがおかしい。(京)

佐藤愛子『不敵雑記』(集英社)
 エッセイ集。世間への怒りから、中山あい子の思い出、霊的現象の話まで。上の『夜陰譚』でDVについて触れたが、本書の中にまさにそのような、昔の男は女を殴ったものだ、こんなことぐらいで騒がれたらたまらない、男は可哀相……という意見が披歴されていた。DVがそんなものではないということは、まだやはり一般的ではないのだ。(京)

ラッセル・マーティン『自閉症児イアンの物語』
(吉田利子訳・草思社)
 自閉症児の成長の記録を描きつつ、脳における言葉の役割について考察するドキュメンタリー。
 自閉症は脳の器質的病気だが、それが近年急激に増えているように見えるのは、百日咳の予防ワクチンのせいであるとしている。(もちろんその他の原因である場合を否定しているのでも何でもない。)特にアレルギーを持っている子が危険なのだという。その当否は私などにはわからないが、新三種混合など、あまりにも高い確率で副作用の出たワクチンなどが、安全であるとの確言のもとに接種された事実が我が国でもあることを考えれば、そうしたことはあり得るだろう。もしも事実だとしたらそれはあまりにも無惨だ。
 本書では自閉症は、秩序が撹乱される病であるとされる。情報を整頓できないため世界は渾沌に満ちているので(かつて小児精神病と呼ばれたゆえんだろう)、反復行動によって気を落ち着かせないとならないのだ。
 イアンは知的にはとてもすぐれていて、やがてこのように自己規定するようになる。「トンネルに住んでいてもとても遠くまで見える少年」。また、イアンは自閉症を悪夢だと言い、彼が気が狂わずにいられるのは、それでもまだ世界は美しいと思えるからだというようなことを語っている。「こんなにたくさんの愛に囲まれていたら、いつも不幸でいることはできない」。
 自閉症という名前から誤解されがちなこの病気について、本書のような著作によって少しでも理解が深まればと願う。(京)

5日
沖浦和光『幻の漂泊民・サンカ』
(文藝春秋)
 去年、三角寛『山窩選集』が刊行された。誰がこんなものを買うのか、と思ったが、本書によればなんと版を重ねているそうだ。本書はほとんど存在しない史料をすべて提示、そこから先人の論を検証している。非常にまっとうな民俗学書である。山窩の窩が泥棒という意味であり、これは明治初期の警察による捏造であったこと、サンカは近世末期の飢饉によって山に入った人々ではないかと推測する。集大成として一読の価値あり。『山窩小説』とは、小説が現実認識を左右するということの一例なのだと知って驚いた。フィクションの力は、こういうところでこそ最も強いのだ。(京)

佐々木健一郎『タイトルの魔力』(中公新書)
 美学を専門とする学者が、芸術作品とタイトルの関わりについて論じる。この本では、絵を見るときにタイトルのプレートを先ず見る人とまったく見ない人がいるという観察結果が枕になっている。説明がある時に断固見ない人なんているんだろうか(私にはとても信じ難いので、今度美術館に行ったら、観察してみよう。現代の作品を扱う画廊ではそういうことも起こると思うけど)。またどうして絵を見てからタイトルを見る私のようなパターンについての考察がないのだろう? こういう人は多いと思うのだが、無視されているところをみると、彼にとっての論理展開がうまくいかないためなのだろう。こういうところはどうしても気になるが、そこそこおもしろい本ではある。
 ところで、本書全体とはさほど関係ないが、「TVチャンピオン」という番組(東京12チャンネル・地方でやっているのかどうかは知らない。少なくとも長坂ではケーブルがないと見られない)のことが紹介されていて、そこで作られる数々のもの(料理、お菓子から衣類、小物、インテリアに至るまで)にタイトルをつける話が語られている。ここで筆者は「そもそもタイトルとは言えない」と言っているが、タイトルとは「奴隷の首にかける札」のことで、標識なのだという考え、内容を説明するものだという考え(そうした歴史のあることをこの著者はこの一冊の中で語ってきた)は、もはや現代では許されないとでも言うのだろうか。(本のタイトルなんて言えなくなってしまう。)それをいうならば、「現代(というよりは前衛)芸術におけるタイトルとは本質的に異なる」といった言い方をすべきだったろう。どうしてこういう本の著者は大衆のなぐさみものを取り上げるときの手つきがこうも悪いのだろうか。「TVチャンピオン」というのはバカな番組だが(だってテレビだもの)、しかしそれなりにおもしろく(だからそこそこの視聴率を取る)、それゆえに出演者にとっては商業的に影響力がある。美学者から見れば(私から見ても)センスのない名前は、あくまでも商業主義的に考えられているもので、多くの人に内容を推測させる必要からそうなっている。それでもタイトル=標題に変わりはあるまい。多く視聴者を裏切らないこと、安心させつつ感心させることが大衆的なものの鉄則だろう。ここから大衆的な商品の名付けへ論が発展するならおもしろかったのだが。(京)

6日
 ここ数日種村季弘特集の製作をしている。その中の一篇、谷川氏のエッセイによると、種村さんは一日に80枚も書いたことがあるそうだ。どうすればそんなに書けるのだろうか? 24時間不眠不休で18分に一枚である。計算通りに行けば、不可能ではないのはわかるが、それにしてもすごい。

8日
山川健一『ジーンリッチの復讐』(メディアファクトリー)
 遺伝子操作による超優秀児の話。つまらない近未来SF。一般の作家が書くSFがどうしようもないのは、今の科学技術をベースにして、それに何となく色をつけたような話を書くからだ。経済的に三流の未来日本とか(書いてる本人に緊迫感がないから、設定に穴がぼろぼろ)、画面のフラッシュで脳をイカレさせるとか(ポケモンより早くこれをネタにしたSFがあったよね?)、遺伝子操作だとか(やれやれ)、想像力の欠如としかいいようがない。人間原理だの不確定性原理の解説だの、今さらのようにつまらない知識を並べてどうすんのさ? 小説として、少なくとも物語としておもしろければ許せるが、紋切り型だし。もうちょっとSFを勉強してから書けよ、まったく。

青木和『イミューン』(徳間文庫)
 SFとしてはいまひとつだが、伝奇的ファンタジーとしてはなかなかいけるではないか。ジュヴナイルとしてはたいへんにいいと思う。主人公が二人いるために、この分量ではその成長を描ききれていないのが難点か。生きるということに対する御託も前掲書よりはよほどすぐれている。

9日
夢枕獏『神々の絶巓』
 獏さんの本は厚いけど、下半分がないからすぐ読めてしまう。無謀な計画でチョモランマに登ろうとする男の話。マロリー(なぜ山に登るのか、と聞かれて「山がそこにあるから」と答えた、世界で最も有名な登山家。最高峰登頂に失敗して死んだ)の写真機が発見されたという設定だが、この作品の発表後にマロリーの死体が発見されたので、リアリティが増した。山岳小説として、目配りの利いた良い作品だとは思うが、読んでおもしろいというものでもない。こういう極限に挑む人たち(物語の中だけではなく現実に存在する)の気持ちはほとんど理解できないが、この本が売れたところを見ると、こういう話を好む人は多いのだろうか。

 昨夜は久しぶりで気持ち良く晴れたので、次男と一緒に星を見た。木星の縞も土星の輪も綺麗に見えた。惑星を見ていると、もうちょっとちゃんとした天体望遠鏡が欲しくなってしまう。

10日
ミシュレ『人類の聖書』(大野一道訳・藤原書店)
 『マハーバーラタ』『シャー・ナーメ』ギリシャ神話、エジプト神話など、古代の神話の紹介と称揚。ミシュレはあくまでも十九世紀の人で、今彼の著作を読むのであれば、その時代相のもとで読むしかないだろう。何の知識も持たずにこのような本を読んでも意味がない。

貫井徳郎『神のふたつの貌』(文藝春秋)
 だからミステリが嫌いだ。一部はまあまあおもしろかった。二部で?となり、三部の種明かしを読んでげんなり。今月に入って読んだ三冊のミステリが、どれもこれもくだらない叙述ミステリで(叙述ミステリは叙述ミステリと言うだけでネタばらしになるけど、言っちゃお。もうほんとにどうでもいい)、辻褄を合わせるためにいろいろなところでばからしくなっているのだが、これはあまりにもひどい。どうしてミステリにする必要があるのか、理解に苦しむ。牧師さんの家に生まれた悩みとか、無痛覚症のもたす欠如感とか、結局ミステリのネタでしかないというわけか。小説に誠実さを求めるのも今更何だとは思わぬでもないが、こんなものなら書かないほうがまし。ミステリとしてだってろくなものではない。

アーウィン&ドーラ・パノフスキー『パンドラの匣』(尾崎彰宏・阿部茂樹・菅野晶訳・法政大学出版局)
 大きな瓶(かめ)だったのだ、パンドラの容器というのは。しかももともとはエピメテウスのとろにあった生活用具。どうして匣になったかということを図像学的に説明したもので、これはかなりおもしろい。本文とは関係ないが、下書きの絵を見ると、ロセッティは絵が下手だってよくわかる。

12日
阿部泰郎『湯屋の皇后』(名古屋大学出版会)
 越境・推参といったことをキイ・ワードに、中世文学(能などの芸能、縁起などの宗教的著作を含む)に見られる女性と聖なるものの関係を論じる。

バーナード・ケイプス『床に舞う渦』(梅田正彦訳・鳥影社)
 怪談は語り口がすべてなのだと思った。どれも趣向的には類作とは違ってユニーク。

佐藤弓生『アクリリックサマー』(沖積舎)
 私の好むタイプの詩とはまったく違うが、散文詩以外は面白く読んだ。「屋上にて」を好しと思う。同著者の短歌集『世界が海におおわれるまで』も読みはしたが、短歌はわからない。私のようなヴィジュアル人間にはあまりにも恣意的すぎて頭がくらくらしてしまう。

玄侑宗久『中陰の花』(文藝春秋)
 知人のおがみやの死を中心に僧侶夫妻の日常を綴った作品。水子テーマの短篇を付すが、これは私には読めたものではなかった。

玄侑宗久『アブラクサスの祭り』(文藝春秋)
 精神病の僧侶を描いたもので、文章がおかしいのは精神病者の一人称だからだと思ったが、その他の人に視点が変わってもほとんど一緒なので、こりゃだめだと思った。きっと意識的には書いてはいるのだろうけれど、力不足。

鯨統一郎『CANDY』(祥伝社文庫)
 ゴミ。

久美沙織『いつか海に行ったね』(祥伝社文庫)
 伝染病ものの近未来SF。この分量では足りなかったような感じ。

山田正紀『日曜日には鼠を殺せ』(祥伝社文庫)
 逃亡ゲームもの。上に同じ。むりやり終わらせている。

瀬名秀明『虹の天象儀』(祥伝社文庫)
 五島プラネタリウム閉鎖に関連するプラネタリウムへのオマージュ作品。瀬名のロマンティシズムや甘さや蘊蓄がこの長さだとほどよくて、作品としてまとまっている。つくづく短篇タイプの作家だと思う。東京出身で五島プラネタリウムに行ったことのない人が、私の世代にいるだろうか。なにせ学校で行くところだから。私もプラネタリウムがこんなにもあちこち出来る前、若い頃はここにはよく行った。やっぱり、今夜の星空というのが大好きだった。何と言っても、暮れていくところがすばらしいのだ。

デーヴィッド・クローウェ『ジプシーの歴史』(水谷驍訳・共同通信社)
 ジプシーの成り立ち、文化史などではない。ジプシーを視野の中心に置いた近現代ロシア東欧史である。社会学関係の本で、いかなる差別を受けて来たのかがわかるといったようなもの。近現代史を見ているとルーマニアという国はどうしようもないという感じがしてしまう。どうしてなんだろう。

伊藤清司『サネモリ起源考』(青土社)
 日中比較民俗誌というので、彼我の交流を見据えた文化伝播と独自の発展について考えるものだと期待したが、単に日中の虫送りについて考察したもので、きわめて局所的。虫害について趣味的に調べてみたというような感じであり(もちろん資料の参照度は凄いのだが)、一般向けとは言い難い。

13日
町井登志夫『今池電波聖ゴミマリア』
(角川春樹事務所)
 経済が破綻し、出生率が低下しきって崩壊した日本の話。つまらない近未来もの。うんざり。『エリ・エリ』の次がこれでは、小松左京賞なんて二度と読みたくないと思う。

ジャン・ボテロ『最古の宗教』(松島英子訳・法政大学出版局)
 楔形文字解読の権威、アッシリア学の第一人者がメソポタミア神話を解読。これはおもしろく、たいへん示唆に富む。

デニス・ダンヴァーズ『エンド・オブ・デイズ』(川副智子・ハヤカワ文庫SF)
 前作の数十年後の世界を描いている。またもラヴ・ロマンス。

吉川良太郎『ボーイソプラノ』(徳間書店)
 前作の続きではないが、その流れで探偵ヴィッキーを主人公にした作品。エンジェル・ダスト系列の話。ただのハードボイルドになったので、エンターテインメントとしてはずっと読みやすくはなった。しかしまだ文章がまずい。

14日
米田淳一『エスコート・エンジェル』
(ハヤカワ文庫JA)
 22世紀の美女型超高級ロボットの悩みと活躍を描く。要するに鉄腕アトム。20世紀の文物で22世紀を紹介するのはみっともないし、天皇などを出すのは断固としてパスだし、高性能の女性型AIに白痴的な言葉使いをさせるのもやめてほしい。

アーヴィン・パノフスキー『ゴシック建築とスコラ哲学』(前川道郎訳・ちくま学芸文庫)
 スコラ哲学は大系的であり、しかも合理と神秘とを両立させようとする宗教的姿勢があり、その特徴が美術的表現にも影響を及ぼしたことを語る。章立てなどはスコラ哲学から始まったのであり、写本の整然とするのもこの時期からなどと言われると、たいへんに納得するし、建築家が神学にも通じていたのもそれはそうだろうと思うが、しかしやはりその具体的な指摘になると、私如きには何だかよくわからないのであった。

 シヴァンクマイエルの映画『オテサーネク』を観る。不妊の夫婦が木の根っこを子供にしたことから始まる惨劇を描くグロ・ホラー。少女(いまひとつかわいくない太めの女の子だったが、演技はなかなかのもの)が主人公で、何とも言えないエログロ感が漂う。オテサーネク(木の根っこの怪物で人を喰う)がアニメであるほかはほぼ普通の映画。相変わらず食うことに異様な執着を見せるシュヴァンクマイエルであった。

15日
酒見賢一『陋巷に在り』12(新潮社)
 到頭死んでしまった。後半の戦争の話は、作者の工夫をこらしたところだろう。でも私はこういうのにはあまり興味ない。

ジェリー・ブレッドソー『天使の人形』(児玉真美訳・偕成社)
 ファンタジーではないが、とても感じの良いクリスマス・ストーリー。少年時代の思い出話。語り手の友人の少年が、小児まひの妹に天使の人形を贈ろうとするが……。

子安宣邦『平田篤胤の世界』(ぺりかん社)
 篤胤と言いつつ、本居宣長についての比重が高く、篤胤については問題提起に留まるようだ。おもしろく読んだ箇所もある。

エドウィン・ブラック『IBMとホロコースト』(小川京子訳・柏書房)
 IBMを率いたトーマス・ワトソンを血祭りに上げるという著者の視点が最初から確定しているために、偏向ありといった印象を受けるが、それを割り引いて考えても本書で描かれる企業戦略はすさまじいと言えるだろう。ホレリス・マシーンがユダヤ人問題にからんで大きな役割を果たしたという事実ばかりでなく、IBMという大企業がヨーロッパ全体で展開したシステム駆動のための努力(つまりは金もうけのためにナチスに協力するという)がこんなにも大きかったのかということに驚かされる。ジェノサイドの戦利品の章は圧巻であり、戦争も政府も超大企業には勝てないという情況が戦前からあったということをよくよく教えてくれる。戦争に関わって企業は常に利益を得るが、製造業ばかりではなく情報産業でもそうだったというのがいかにも二十世紀的だ。

大貫隆・島薗進ほか編『グノーシス 異端と近代』(岩波書店)
 グノーシス的なるものとさまざまな宗教、文学、哲学との関連を論じるアンソロジー。6800円も出して買うような本ではないとも思うが、おもしろいところもいくつかあった。島薗進のエッセイに、吉永進一「円盤と至福千年」をもとに書かれた部分があるところとか、鶴岡賀雄がキリスト教神秘主義の定義も成り立たない情況で、グノーシスだっていい加減に使われているのだから関係を論ずる以前だと議論を打ち切っているところとか。

16日
テリー・グッドカインド『魔道士の掟』
(佐田千織訳・ハヤカワ文庫FT)
 第一部完結。このシリーズは単純明快で好きだ。主人公が魅力的だし。この程度の分量なら一冊まとめて読みたいものだが。

ロバート・ジョーダン『竜王戴冠』8(斉藤伯好訳・ハヤカワ文庫FT)
 第五部全八巻(原書じゃ一冊)完結。相変わらずまったく終わっていない。英米では総部数二千万部を越えたのだそうだ、このシリーズは。それでも冊数を考えると、ハリー・ポッターには遠く及ばないわけだ。でもこんなつまんない小説で優雅な暮らしが出来るのなら、なんてうらやましいことか、自分も英米に生まれりゃよかった、と日本のファンタジー作家は思っているにちがいない。

野阿梓『ソドムの林檎』(早川書房)
 テロリストを主人公にした「ブレイン・キッズ」、暗殺者と両性具有の王子を描く「夜舞」、『バベルの薫り』の主人公の出会いを描いた表題作の三篇を収録。コーイのかっこよいこと!

 『ハリー・ポッター』の映画を見ようと思って出かけたが、一時間前なのにもう立ち見であると言われて、唖然として『アトランティス』に変更した。予告編だけ観ているとナディアだね、と思ったが、むしろラピュタみたいだった。海底にアトランティスが生きていて、潜水艦を使ってそこまでたどりつくと……。以下は子供たちの会話。
13 一番変だったのは、黒板にぶつかって服に地図が写ったとこだよね。服の絵が黒板と同じになるのはあり得ない。(服に写った絵を黒板の絵が消えたところに置いて説明を続けるシーンがある。)
16 なに? 鏡像になってるから絵がつながるわけがないってか?
母 それは確かに不可能だ。
16 それよりも根本的に変なのは1914年という時代設定でしょ、当時の内燃機関で、あんな巨大な潜水艦が、あんなに高速で動けるわけがない。おまけにあの小さい潜水艇の動力なんかはどうなっているわけ?
母 小さく見えたけど、トラックとか一杯積めるくらいでかいんだよ。
16 じゃあそれを子機として収納できるような巨大な潜水艦は、現代だって作られてないよ。どうだ、これを合理的に説明してみろ。
母 ……
16 ふ、これは地球の話のようだが、実はそうじゃないのさ。別世界の1914年で、超技術があるんだ……。
 お粗末さまでした。

17日
小山和『世界がこわれる音~不思議の国の物語』
(人類文化社)
 ジャータカをはじめとするインド説話の再話集。これは別に読まなくて良いでしょう。花岡大学よりは現代的だが、ジャータカを読むので充分。

ラルフ・イーザウ『ネシャン・サーガ3』(酒寄進一訳・あすなろ書房)
 完結編。世界の再生をかけての、裁き司の冒険。きわめて宗教的な内容。

クリフ・マクニッシュ『レイチェルと魔法の匂い』(金原瑞人訳・理論社)
 地球に魔女が攻めてくるという展開。子供だけが魔法の力を持っているのだが、これは作中に示される問題だけではなく、さまざまな疑問を孕んでいる。しかし、まあ固いことを言うのはよそうか。児童文学なのだし。宇宙人に日本が狙われるようなものだろう。終わり方がすごかった。

18日
萩原葉子『パ・ドゥ・シャ――猫のステップ』
(集英社)
 メタノヴェルで幻想的な趣向の連作短篇集。七十歳を越えてダンスに情熱を燃やす、著者自身を思わせる女性作家の恋心などを描く連作小説集。皆川博子の小説『薔薇忌』を思い出してしまった。(京)

宮部みゆき『ドリームバスター』(徳間書店)
 連作短篇集。別世界から来た凶悪な精神体を狩る賞金稼ぎドリームバスターの話。設定も文体も子供だましで、デュアル文庫が相応と思うけど、ハードカバーにしてもこの著者なら売れるのでしょうね。あほらし。(京)

ショーン・スミス『J・K・ローリング その魔法と真実』(鈴木彩織訳・メディアファクトリー)
 『ハリー・ポッター』の作者の伝記。興味なし。(京)

葉治英哉『春またぎ』(文藝春秋)
 幕末の青森を舞台に、またぎの半蔵を描いた連作短篇集。またぎの風習が無理なく織り込まれていて、まあまあおもしろかった。(京)

20日
たつみや章『月冠の巫王』
(講談社)
 アヤの村を滅ぼして物語は終わったが、あまりにもいい加減なので悲しくなった。いったい幾つぐらいの子供を念頭に書いているのだろう。暗殺や駆け引きは汚いものだというような清浄な世界を描くのなら、もう少しそれに対して鎮魂の思いがあってもよさそうなものだ。こんなに表面的な汚濁への嫌悪だけで、子供の共感を得ようとするあたりがとてもいやだ。こんな作品は読まなくてよいから、上橋菜穂子の『月の森にカミよ眠れ』を読んで欲しい。またこの物語の世界を縄文と弥生という図式で説明するのは、いくら子供向けとはいえいい加減すぎ。講談社の児童書部もダメになってきているのだろうか。

21日
芝田勝茂『サラシナ』
(あかね書房)
 現代の少女が過去へ紛れ込んで恋に落ちるというジュヴナイル・ファンタジー。これはひどい。芝田さんはもっとストレートに教訓的な、メッセージ性が強い傾向の物語を書いた方が、作家としての資質が生きると思う。


●今月の雑感● 今年もあとあますところ十日となった。あっという間に過ぎた一年で、相変わらず出版業界には明るい話題はほとんど聞かれなかったが、来年も何とか凌げることを祈りたいと思う。せめて一週間は仕事を忘れて趣味に浸る生活をしたい。果たしてうまくいくだろうか? どうぞみなさんも良い年末年始をお過ごし下さい。