藍読日記 ☆読んだ本と『幻想文学』関連の情報、その他の情報をお届けします。         2003/7/5更新
★読書メモについては主観的かつ恣意的な趣味に基づく書き散らしです。文責はすべて石堂藍にあります。
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2001年3月


2日
R・T・クジック『聖少女バフィー』(矢口悟訳・ハヤカワ文庫FT)
 アメリカ合衆国のテレビ番組「バフィー、恋する十字架」のノヴェライゼーション。ヴァンパイア・スレイヤーである少女が、ステロタイプの友人たちと一緒に闘う話。ここで笑い声が入るんだろうな、こういう顔つきの演技だろうな、ということがあまりにもありありと思い浮かんでしまう。ノヴェライゼーションを全く出ず、合衆国のテレビ番組のように薄手である。

3日
五十嵐敬喜・小川明雄編著『公共事業は止まるか』(岩波新書)(京)
 現在、日本の公共事業数は五万件を越える。二百二十件あまりを中止にすると言っても0.5%に満たない。金額的には0.04%だとも言う。膨大な額の事業費はすべて子孫への借金という形でまかなわれている。あまりにもひどい。絶望的なのだが、私たちは何もしようとはしていない。なにしろ先が見えないから、そのままになってしまうのだ。このつけを払わされるのは、私たちの子供たちなのだ。
 森村さんの『自由はどこまで可能か』と併読すれば、絶対におもしろい。

5日
大庭みな子『雲を追い』(小学館)(京)
 随筆集。脳梗塞で倒れたという大庭みな子が病床で口述したもので、同じ話が繰り返されたりもするが、時に驚くほどに生々しいイメージを語りだすときがあり、薄寒い印象を抱く。作家の業のようなもの、と言えば良いのか。死者と生者が入り乱れてはいるが、幻想というところまではいかないように思う。

一ノ瀬綾『家族のゆくえ』(風濤社)
 内容も語り口もまったくのくそリアリズムで、信州のぶどう農家の家族模様を描いている。家を出た長男はまったく型通りの不倫、次男の嫁取りは難航、長女の姑は変死……と、夫婦げんかも絶えないような生活じみた話ではあるのだが、読まされてしまう。あまりにもありそうな話だからだろうか。

篠原一『きみよわすれないで』(河出書房新社)(京)
 冒頭の詩めいた部分を読んだだけで力が抜けた。まったく冴えない言語感覚である。最後まで阿呆臭い話で、紹介をお断りしてしまった。

6日
小川洋子『偶然の祝福』(角川書店)
 小説家が主人公の連作短篇。この世から消え去ってしまう失踪者たち、弟を亡くした痛みを癒すための作品、体の中の水の袋など、いかにも小川洋子らしい道具立てが並ぶが、やや軽め。

7日
ジョアナ・ラス『テクスチュアル・ハラスメント』
(小谷真理訳・河出書房新社)
 原題は "How to Suppress Woman's Writing" というもので、邦訳題よりも内容を表して強烈な印象はあるが、Textual Harassment とは通りが良くておもしろい造語である。要するに女性の文筆家・芸術家がどれほど男性優位社会で貶められ、その存在をなきものにされてきたか、ということを論じたもの。女はものを書かない、書いたとしてもくだらない、せいぜい生涯に一作だし、特異な作品で芸術的には評価できない。良く出来ていれば男の近親者に手伝ってもらったのだし、さもなくば彼女だけが例外で男性的だったのだ、というように次々と女性の芸術家を封じ込める手を考えている、ということを例を挙げて論証していく。刺激的でおもしろい論考。フェミニストにもフェミニストでない人にもぜひ読んでほしい。
 ラスはSF作家であると同時に英文学の教授でもあり、シャーロット・ブロンテを高く評価しているようだが、『ヴィレット』の刊本がほとんど手に入らないことを憤っている。それはつまり彼女の書いたものはせいぜい一冊だ(『ジェーン・エア』だけ)、という貶めの例なのである。ラスにとっては、『ヴィレット』は先駆的なフェミニズム小説なので、なるほど、確かにあるは面でそのようにも読めるなと思った。私はこの作品を横山茂雄のヴィレット論を読んでから読んだため、その読みにかなり引きずられて読んだし、たぶん今読み返しても、その影響から完全に抜け出して自分なりに読むというのは難しいのではないかと思う。そのような意味でも『ヴィレット』の名が頻繁に上がる本書は興味深かった。
 なお、訳者の小谷真理は附論において、日本におけるその例の一つである《沢田はぎ女》事件を取り上げて紹介している。

9日
山之口洋『われはフランソワ』(新潮社)
 フランソワ・ヴィヨンの架空の伝記。ファンタジーではない。歴史小説とかミステリとか、そういうジャンルとは関係なしで、とにかくヴィヨンという特異な詩人を描いたという点で魅力のある作品。もちろんヴィヨン像は千差万別で、これはいやだ、という人もいるだろう。私のヴィヨン像は現代の感覚で言えば口語の詩人だと思うし、『われはフランソワ』の方に近いが、「さはれさはれ、去年[こぞ]の雪今いづこ」がやっぱり良い、と言いたがるような人もいる。そういう人には勧められないかもしれない。歴史伝奇の要素がほんの少しだけ。読者サーヴィスなのだろうけれど、これは不必要だったと感じる。

スーザン・クーパー『ネス湖の怪獣とボガート』(掛川恭子訳・岩波書店)
 『古城の幽霊ボガート』という作品の続編らしい。二年前の本だが、最近初めて知ったので読んでみた。いたずら好きでくいしんぼ、ウィスキーが好きで、楽しむためだけに生きている城つきの妖精ボガートと人間の触れ合いを描いている。キャラクターがあまりにもステレオタイプなうえに、物語の展開までがそうなので、ほとんど楽しめず。ボガートには変身能力があるが、ネッシーは実は変身を忘れたボガートだったというもの。城の血筋ということが問題にされ、アーカット一族やマクデボン一族だから城付きの妖精と心を通わせられる、関係のない使用人についてはスコティッシュだからオーケーといった具合で、なんだこの選民意識は……と思う。イギリス出身でアメリカ合衆国に行っていたりすると、こういうことがやたらと気になるのか。

アイザック・アシモフ『ゴールド』(嶋田洋一ほか訳・ハヤカワ文庫SF)
 単行本の文庫化。アシモフには興味ないので、単行本は買っていない。ショートショートのような軽い短篇が多く、また全体として寓話的。やっぱアシモフはね、つまらないよね。91年の表題作など、アニメ(セル・アニメのことでしかない)はダメとか言っているので、それだけでもうパスである。半分以上がエッセイで、SFとは何かということを考える際に、参考にはなる。とにかく、SFには科学がなきゃだめ、というのが彼の意見。疑似科学というのは軽蔑的だからだめ、不可能な科学もだめ、でも時間旅行とかは許す。というようなものである。なんとまあ堅苦しい(しかも案外御都合主義)。しかし彼が当然のことのようにファンタジーとSFを分けて考えているところは少しは本邦のSF関係者にも見習ってほしい。

ダイアナ・ヘンドリー『魔法使いの卵』(田中薫子訳・徳間書店)
 人間たちに混じって暮らしてる魔法一家。一人息子のスカリーはまもなく試験を受けて一人前の魔法使いとして認められ、将来を選択することになっている。その矢先、問題児につけられるお守りがついてしまったから、スカリー一家は大騒動。さらに不気味なピン・ストライプのじいさんが出現し……。あまりにもお手軽過ぎ。これは大人が読むには堪えない。

10日
恩田陸『MAZE』(双葉社)
 人間が消え去るという不思議な壁だけの構造物。その謎を解くために四人の男がそのアラブの砂漠にある「あり得ない場所」にやって来るが……。ミステリなのだろうから詳細は省く。ホラーになるところがあり、SFファンタジーになるところがあるが、どちらも幻覚として処理され、しかもそのイメージが、あまりにも既視感を伴う。おそらくそれは意識的なものだ。ルールを探せ、というコンセプトで、あくまでもゲームが好きだという恩田陸の遊び心の産物なのだろう。それ以上のものを期待してはならない。

ウィリアム・T・ヴォルマン『ライフルズ』(とち木玲子訳・国書刊行会)
 イヌイットの住む土地にライフルが持ち込まれ、イヌイットの移住計画が遂行されたこと、一方で北極へ四度遠征し、北西航路を切り開く過程で死亡した海軍士官ジョン・フランクリンの遠征という二つの史実をバックボーンとして、さまざまな文学的仕掛けを施した長編小説。死者たちとの対話があり、時代も、主体もはっきりとしない部分が多々あり、一面『ペドロ・パラモ』『Xのアーチ』に似ているところがあるけれども、この二作に比べると緊密度という点で低く、テーマの重さに比してむしろ軽い印象を与える。小説技法の新しさ、ということはほとんど現代では望めないと思うので、結局どれだけそうした技法を駆使してうまく書くかということなのだが、今一つという感じが強い。現実にイヌイットは不当な扱いを受ているわけだし、もっと別の書き方もあるのでは、と思ってしまう。

18日
入不二基義『相対主義の極北』
(春秋社)
 哲学書。いまいち。ふだん考えているようなことからほとんど出ない。これは、だからどうした、という意味で、数学に近い。

19日
レイナルド・アレナス『ハバナへの旅』(安藤哲行訳・現代企画室)(京)
 奇抜な衣装で話題を攫った夫婦が、誰か見ていないものがいるのではないかという強迫観念に駆られて巡礼の旅に赴くマジック・リアリズム風の「エバ、怒って」、ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』の美女との逢瀬を描く怪奇小説「モナ」、亡命者の故郷への帰還を描く、ノスタルジーあふれる作品「ハバナへの旅」の三編を収録。書かれた時期はそれぞれ異なるが、アレナス最後の作品集となった。

23日
催碩義『放浪の天才詩人金笠(キム・サッカ)』(集英社新書)
 19世紀前半の韓国の漢詩人。韓国では漢字を用い、韓国語読みに読み下す。そこで字面とはまったく違う音の世界が開ける。その技芸に秀でた反骨の放浪詩人の紹介。韓国語がわからなければ到底理解できない類いのおもしろさだが、その指の先ぐらいのおもしろさは伝わってくる。


3月の雑感 これから二週間ばかりネットの世界から逃れるので、今月はこれでおしまいです。本当に本を読んでいませんね。見に来て下さったみなさん、ごめんなさい。三月は『幻想文学』関連の仕事のほか、いろいろとほかにも事務的な仕事をしたり、長男の中学卒業に関連するPTA仕事などが繁忙をきわめ、さらには個人のホームページ作成のために資料を集めたり何やかや書いたりしていたもので、読書はおあずけでした。これから二週間ほどは本気で読みますので、四月の藍読日記にきちんとご報告したいと思います。というわけで、個人的なサイトを開きました。とにかく好きでたまらない神林長平と敬愛してやまない稲生平太郎(横山茂雄)のファンページです。未完成な部分もありますが、おいおい完成に向けて頑張りたいと思いますので、ぜひご覧戴きたいと思います。