藍読日記 ☆読んだ本と『幻想文学』関連の情報、その他の情報をお届けします。         2003/7/5更新
★読書メモについては主観的かつ恣意的な趣味に基づく書き散らしです。文責はすべて石堂藍にあります。
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2001年7月


1日
 風の強い一日。ベルギーのラウル・セルヴェのアニメとブルガリア・アニメを観る。セルヴェは去年レイトショーだけだったので結局観られなかったもので、アップリンクファクトリーなのだが、ともかくも観に行った。「Sirene」が美しかった。実写を合成した「Harpya」はグロテスク美の世界、デルヴォーの女たちを描いた「Nachtvlinders」は技法的にはおもしろく、蝶の表現がいいのだが、私はデルヴォーが好きではない。ブルガリア・アニメは60年代のもので、古すぎ。しかし松の枝は良かった。アップリンクで良ければ、今月中は毎土日の午前中にセルヴェが観られる。
 渋谷に出たので、ついでにたばこと塩の博物館で小林礫斎を中心とするミニチュア展を観る。『幻想文学』50号に前川さんが訳された「ファウスタの象」は、象牙細工師が象のミニチュアを作って売ろうとする話だったが、礫斎もまた象牙細工職人で、そこからミニチュア作りが始まっている。関節の動く小さな象牙人形。こういう微小な物を作る情熱はわからないでもないが、やはり一種の病気を感じてしまう。

2日
『幻想文学』61号の仕事が始まったので、一日誌面作り。水野葉舟の「怪談会」など。

3日
ヤン・ポトツキ『サラゴサ手稿』(工藤幸雄訳・国書刊行会)
 61号の特集は「百物語文学誌――めぐりめぐる物語の魔」(仮題)。日本文学では百物語文芸と怪談会を取り上げ、海外文学では枠物語、それも語り手が入れ替わって物語を語っていくというような特異な形のものを中心に取り上げる。その代表作として考えられるのが『千一夜物語』。ヨーロッパではこの『サラゴサ』がまず思い浮かぶ。国書版は14章までの抄訳だが、全訳がこの秋、遅くも年末に東京創元社より刊行の予定である。明日工藤先生にお話を伺うことになっているので、久々に読み返す。

4日
 工藤幸雄先生にインタビュー。ポトツキの人物を中心に。

5日
津原泰水『ペニス』(双葉社)
 今月に入ってからこればかり読んでいたのだが、ようやく読み終えた。性的な妄想小説。作品の構造がどう読み取っても壊れるように精緻に作られているので、ハードコアの純文学読者、もしくは構造的ミステリの愛好者に薦められる。

パット・マーフィー『ノービットの冒険~ゆきて帰りし物語』(浅倉久志訳・ハヤカワ文庫SF)
 スペオペ。トールキンの物語の設定と『スナーク狩り』のイメージを借りている。だが、ファンタジー・ファンが読みたいような本ではない。むしろホビットなんぞ読んでいない、普通のSFファン向け。

6日
 「怪談会」の復刻のための作業に明け暮れた一日。これはまだ未決定な部分が多すぎるので、詳細はまたあとで。

7日
小林泰三『ΑΩ(アルファ・オメガ)』(角川書店)
 帯の惹き句は「超ハード・SF・ホラー」だけど、内実は「今明かされるウルトラマンの真実!」なのだ。ウルトラマンを徹底的に理詰めで行ったらどうなるかを、ホラー的な人体損壊テイストを交えて語っているのだが、それでもかなり笑える。ラストが大変に良い。

8日
フィリップ・トルシエ『トルシエ革命』
(新潮社)
 手記なので、自分の正当性などをきちんとアピールするものになっている。まことにおもしろいが、額面通りにはもちろん受け取れない。試合の結果はすべて監督の責任とこの本では言っているけど、記者会見では名指しで選手を批判したりもしているわけだし。自己責任、大人、成熟という言葉が何度も出てくるのが特徴。

山田詠美『姫君』
(文藝春秋)
 恋愛小説集。捻りの無い小説を書くのだね、この作家は。

五代富文・中野不二男『ロケット開発「失敗の条件」』
(ベスト新書)
 国産ロケットの開発に半世紀近く関わってきた五代とサイエンス・ライターの対談。打ち上げの失敗を明日の成功につなげるという前向きな姿勢について語りあう。こういう開発事業団などにも問題はあるとは思うけれども、それにしても、技術者贔屓の私としては、読んでいるうちに怒りが鬱勃と湧いてくるのであった。土建屋に税金をくれてやるくらいなら、こういう科学技術の開発のためにこそお金を出したい。そういうお金の使い方はちまちましすぎてて相手にされないようだけれども。

 『セレビィ/ピカチュウのドキドキかくれんぼ』を観る。日曜の昼間、しかも二日目だというのにこんなに空いてていいのか? 『セレビィ』はもののけ姫みたいな、で、SF的には時の支配者みたいな話。でも対象が小学校低学年なので、タイムパラドックスなどは敢然と無視しているのであった。女の子に見える可愛い主人公の少年ユキノリがオオキド博士になってしまうのだろうか? うーん、いやだなあ。『かくれんぼ』の方のエンディング・アニメは伊藤有壱(ニャッキ!を作っている人)のクレイ・アニメ。そんなに素晴しい出来のものでもないけど(ポケモンのキャラクターたちを動かすのが主眼だから)、大画面で観られることなど滅多に無いので、何となく嬉しいのであった。

9日
ディクソン『言語の興亡』
(岩波新書)
 ウル言語を探るだの言語の系統樹を作るだのなんて無意味、そんなのは論証のしようもなくて非科学的。言語の発生と変化のモデルを考えてみれば子供にだってわからあ、という調子で、現代の言語学に吠える一冊。言語論理よりフィールドワークの方がよっぽど大事な仕事だ。ユニークな言語が一杯あって、それはユニークな世界観そのものでもあるのだ、消滅の危機に瀕しているそれらを失わないことの方がずっとこの世に益するのだ! まったくもっともである。しかしやっぱり言語は失われていくのであろうなあ。

 鴨下信一氏にインタビュー。鴨下氏はTBSの取締役会長でエッセイスト、白石加代子の百物語の舞台の演出家でもある。吸血鬼もの、賢治の詩、俳句をやりたいなど、いろいろとユニークなお話を伺えた。

10日
 一日中テープ起こし、原稿製作など。

11日
 午前中は東京新聞の原稿書き。
 午後から小林泰三氏にインタビュー。今回の一書一会は『ΑΩ(アルファ・オメガ)』。東と同系列の趣味の持ち主だと本書を読んで思ったが、案の定、怪獣マニアであった。バラゴンについて詳しく教えていただいた。

イアン・ワトスン『オルガスマシン』(大島豊訳・コアマガジン)
 サイバーポルノ版『家畜人ヤプー』? なんだかしょうもなさそうなエロ系SFだとまったく期待せずにほとんど義務感で読み始めたが、第三章まで来たら、これがとんでもなく逆説的なフェミニズム小説であることがわかった。『家畜人ヤプー』とはまったく違う。ただし女性の身体の搾取のされ方があまりにもえげつなくリアルなので、ただのポルノとしても読めてしまうだろうということがこの小説の難点でもある。本書の挿画もカラーで挿入されているドール写真も、そういう感性の男に訴えるように作られている。そしてそういう感性の男は、フェミニズムを理解なんかしはしない。この本を読んで男の性に恥じ入るようなナイーヴな人間は、もともとこの本を手に取らないだろう、たぶん。

12・13日
 テープ起こしと原稿作成。

サルマン・ラシュディ『真夜中の子供たち』(寺門泰彦訳・早川書房)
 『マヌエル・センデロの最後の歌』を少し連想させるような、子供連合を絡めた自伝的長篇。主人公の少年は電気ショック、事故のショックなどで超能力を得て、インド独立の当日の真夜中に生まれた子供たちと意志を疎通させるようになるが、インド・パキスタンの戦争に巻き込まれ……。やはり『悪魔の詩』の方がおもしろいように思う。

14日
 誌面づくり。

15日
高柳誠『夢々忘れるる勿れ』
(書肆山田)
 散文詩を中心に集録する。『幻想文学』60号で、高柳さん御本人が最も幻想に近づいているとおっしゃられた詩集である。だいたいどれも幻想的な詩集を作ってきた詩人にこんな風に言われると、そのリアルとは何か、言葉における幻想というのをどう捉えているのか、と余計なことを考えたくなってしまう。恐らく、脈絡の飛ぶ、夢の記録めいた作品が多いのでそう言っているのだろう。「父」をめぐる三連作などを読み、小林恭二や荻野アンナも父親について最近語っているものだから、ふうんと思う。
 「寓話? 小説? 詩? それとも夢?」という帯。これが詩の専門書肆の惹き句か。たいへんに情けない。詩人が詩を少しでも意識して書いたら、それは詩になるしかないであろう。詩ではなく寓話にしよう、と考えたのならこんな表現になるはずはない。そんなことは分かり切っているのに、こんな風に惹き句を書いてしまうところが情けないのだ。

16日
 『A.I』『ダンジョン&ドラゴン』を観る。
 これならオールディスの原作の方が良かった。オールディスとキューブリックのあいだでも話はまとまらなかったみたいだが、この素材にはやはり難しいものがあったんだろう。screen story をイアン・ワトスンが手掛けているのだけれども、screen play はスピルバーグなわけで、果していったい誰がこのいい加減きわまる展開の物語で納得したのか。ま、スピルバーグなんでしょうね。SF美術という点でも興味を引かれず、最後に出てくる未来の機械生命体の乗物のみは良かった。
 『D&D』はもう笑ってごまかすしかないという出来。かくまで有名な素材をもとに、どうしてこんなものを作ってしまうのだろう? もうちょっとましなscreen playの作れる人材がないのか、不思議でならない。

 書店へのDM作りなどのほか、事務系の仕事と校正。

17日~19日
 誌面づくり

20・21日
 休養日。子供が釣り堀でイワナ釣りをするのを呆然と見守るというような、要するに何もしない日。

22~29日
 ひたすら誌面づくり。また事務仕事。読書その他一切出来ず。原稿を急いであげて下さった皆々様に感謝。

30日
 西村有望さんにレイアウトのチェックをしていただく。これが終わると『幻想文学』の誌面づくりはほぼ終了。
 ついでに中野でチェコアニメを観る。この夏のシリーズはいまいちなのね。DVDも出てしまうらしい(誰が買うのか!)ベネシュのパット&マット・シリーズとポヤールの僕らと遊ぼうシリーズ中心。チェコ・アニメったってもっとほかにいろいろあるだろうが!と思ってしまう私であった。 森本良夫『シベリア俘虜記』(春秋社)
 戦後すぐに国際法を無視して行われたシベリア抑留。その三年の体験を綴った手記である。「今日もまた死んだ。名も判らない。」ユダヤ人強制収容所と違うのは、日本人が絶滅させられるべき下等な生き物としてではなく、安価な労働力として使える手頃な生き物とみなされていたことである。それでも現実的な待遇にどれほどの径庭があっただろうか。かてて加えてシベリアはあまりにも気候条件が厳しい。ロシア人もこの地では多く死んだが、日本人が何万人死んだのかは諸説あり、よくわからない。「山のように(凍った)屍体が積まれている」という、この手記のような状況では、わかりようもなかったろう。
 著者は身に付けた技芸のせいでいささか優遇され、年齢が比較的高かったにも関わらず助かった。しかし、ソ連で必要とされる大学博士レヴェルの人はソ連から帰れないだろう、とも述べている。暗澹たる気持ちにさせられる一文である。
 シベリア抑留といえば石原吉郎という詩人がまず思い浮かび、きわめてパラドクシカルではあるのだが、むしろ非在を目指すかのように、言葉を削りに削っていくスタンスが思い出される。高校の同級生に抑留者を父に持っている子がいて、父親は戦争のことは一切語らない、と言っていたのも印象的だった。もちろんこれまでにもいくつかシベリア抑留に関する手記や小説を読んでいるので、記録もなされていることは知っているが、何かそういう自らは語るべからざる世界のようにも思っていた。本書はかなり詳細な記録であって、もちろん抑留の一面しか示してはいないだろうけれども、それでもこの手記を公表することは、著者自身の生きている間はかなわなかっただろうと思う。

野中柊『小春日和』(青山出版社)
 小春と日和と名付けられた仲の良い双子の姉妹がタップダンスに夢中になる姿を描く。8歳にしては大人びている少女たちを70年代半ばの世相に合わせて描いている。

桃谷方子『恋人襲撃』(講談社)
 変な短篇集。表題作は、不倫相手に捨てられた若い独身女性が彼の家庭に上がり込み「修ちゃんをちょうだい」を連呼する。あまりにもアホらしい展開にいささか茫然とする。おもしろいのは過食で超肥満の娘と新興宗教にかぶれる母の姿を描いた「白い蛇」で、山口さんはシルビア教会、奈良さんが慈今宗霊明派……と、どこのうちがどの新興宗教かを羅列するところや、イカサマというほかない霊能者に娘も母親もすっかりその気になってしまうところなど、現実的には笑えないような悲惨な状況であるにも関わらず、おかしい。カリカチュアライズするのが巧いのだろう。別に本書を薦めているわけではない。

『人蛇と蛇頭』(集英社新書)
 中国からの密入国者=人蛇と蛇頭(スネーク・ヘッド)についての概説。中国では「命よりも金」だそうだ。天安門事件で、自由は抑圧するが金もうけの機会は与えよう、といった結果がこれなのだと著者は言う。この悲惨さ、そして同時に恐ろしいまでの欲望の上に、ようやく成り立っている私たちの社会。

竹下節子『不思議の国サウジアラヒア』(文春新書)
 サウジは豊かで近代的な国だ、だが同時に旧弊な国でもある。そのパラドクシカルな面白さを語る一冊。前掲書と併せて読んでいるわけで、そうすると、「本当の豊かさとは」「金さえあればいいのか」といった問い掛けがなんと無意味に見えてくることか。

31日
武田雅哉『新千年図像晩会』(作品社)
 中華人民共和国の図像で遊んでしまおうというたいへんに楽しい一冊。武田さんの文化史的なものの見方は、いつでもおもしろくて、本書も愉しめるのだけれど、美少女の挿し絵に「武田いち押しのかわいい子! 本書は彼女に捧げたいのであります」なんてキャプションを見ると、43歳という彼の年齢を考えて、ちょっとぞっとするのであった。

『幻想文学』61号はほぼ完了。あとは印刷のチェックだけです。とにかく製作に忙殺された一ヶ月でした。藍読日記もリニューアルしたのにいまいちな内容になってしまいました。