藍読日記 ☆読んだ本と『幻想文学』関連の情報、その他の情報をお届けします。         2003/7/5更新
★読書メモについては主観的かつ恣意的な趣味に基づく書き散らしです。文責はすべて石堂藍にあります。
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2001年9月


3日
ダニエル・ネトル&スザンヌ・ロメイン『消えゆく言語たち』
(島村宣男訳・新曜社)
 言語の消滅は種の消滅に近親性がある。環境保護、地域生活を営む人たちの保護が言語の消滅を防ぐ。西洋的社会への「発展」という思考がそもそも間違いなのだ――と語る。世界経済のことはよくわからない。論理的には分るけど、机上の論理では?
 ちなみに日本ではアイヌ語はもちんのこと、沖縄語も絶滅危険種である。
 「フランスは、1970年代になってもブルターニュの名前を持つ子供たちに対して出生証明書と身分証明書の発行を拒否した」とあって愕然とする。ヴェトナム戦争前史で、もと宗主国たるフランスの果たした役割などについての本を読んだりしたもので、最近フランスのイメージが悪い。

4日
デイヴィッド・ロッジ『考える…』
(高儀進訳・白水社)
 「漫画の吹き出しのように、頭の中が見えたら!?」という帯の惹き句につられ、こんなアイディアのSF短篇を誰かが書いていたと思いながら買ったのがまずかった。ただ頭に浮かぶとりとめもない(というよりは性に関する)思いを録音していく認知科学者(通俗的科学解説者)の男性と、日記をつける女性作家の恋愛模様を綴ったもので、帯とは全然違うじゃないの。科学と文学の対立が描かれているわけでも何でもない。科学といったって、この認知科学者の男の解説は竹内久美子の通俗さで、しかも考えていることがこれ(あの女はこっちの女は……)では、頭のレヴェルも知れるから、知的なムードは漂わない。この男が癌かもしれないと思うというラストのあたりに至っては何をかいわんやである。あるいはこうしたバカな大学教授を揶揄するための小説なのか。そうだとしても飽き飽きするほど長くて、つまらない小説であることに変わりはない。唯一おもしろかったのは、ラシュディ、エイミスなどの文体模写のあるあたり。全体としては中年の浮気・結婚・恋愛などについて興味ある人向け。

福永令三『千年桜五人姉妹』
(講談社青い鳥文庫)
 《新クレヨン王国》と銘打ち、くだけた文体で新シリーズを展開。桜の古木の魂を持って生まれてきたスーパー少女たちの活躍を描く。著者は70歳を越えている。年齢ではないのだ、と思う。

5日
チェスタトン『四人の申し分なき重罪人』
(西崎憲訳・国書刊行会)
 殺人未遂、偽造、泥棒、裏切りなどの罪が犯された真相を明かす。すべて恋愛結婚の因縁譚にもなっている。物語としては「頼もしい薮医者」がおもしろい。いかにもチェスタトン的な作品が並ぶが、いまひとつ、という感あり。

ブロツキー『ウォーターマーク』(金関寿夫訳・綜合社)
 ヴェネツィア紀行的小説。

6日
星野力『誰がどうやってコンピュータを創ったのか』
(共立出版)
 コンピュータの歴史をまとめた、コンパクトでありながら、わかりやすくて内容的に充実した本。
 『エニアック』のあとがきで、日暮さんが本書を褒めていたので買ってみた。5年前の本だが、本書は確かにお薦めである。コンピュータの思想というものが非常に鮮明にわかる。くだんのあとがきに、コンピュータが何を意味しているのかをはっきさせなければ、最初に創ったのは誰か、に意味はないとあったが、それは本書で繰り返されていることでもある。誰が最初に、ということには興味はないのだが、『エニアック』という著書があくまでもモークリー&エッカートに同情を籠めつつ書かれている本だということを意識していれば、『エニアック』自身は悪くないものなのだと納得できた。例えば森毅『異説 数学者列伝』がちくま文庫に最近入ったけれど、同書の「ノイマンがプログラム内蔵方式を生み出し、彼の妻クララが世界最初のプログラマーとなった」というのは、誤った記述ということになるから(これは30年前の著作なのでこう書かれたのは仕方ないだろう)、こうした見方の矯正物としても『エニアック』のような著書は機能するだろう。もちろん本書も。

岡部篤行『空間情報科学の挑戦』
(岩波書店)
 トポロジーを基礎にしている話なのだが、あまりにも現実的な応用について書かれているので、興味を引かれなかった。カーナビの隠されている技術にほんの少したけ触れられていて、その点はおもしろく読んだ。

郡司正勝『和数考』(uブックス)
 数詞の入る言葉をめぐるエッセイ。数にこめられた宇宙観、幻想を読み解く。語り口がすばらしい。また、歌舞伎が絡むと話が俄然面白くなるので、お菊の皿の数え方がひとつふたつなら象徴化されているので時代、一枚二枚だと生活実感が入って世話、などというくだりには、無知な門外漢である私はたいへんに感動させられた。
 ところで、先般来横山茂雄さんに薦められて露伴を少しばかり読んでいるのだが、同書には露伴と数学の話(「方陣秘説」)が出て来る。長山靖生編著『懐かしい未来』で露伴の「ねじくり博士」を初めて読んだが、やはり数学に触れている部分がある。露伴には華厳経の数学部分にほんの少しだけ触れた作品もあったりするが、露伴と数学の関係についてももう少し詳しく知りたいと思う。

7日
米本昌平ほか『優生学と人間社会』
(講談社現代新書)
 「優生学はナチズムか?」という問いの立て方からしていささか誘導的。もちろんナチズムとイコールではないわけで、ならば問題ないのかと言えばそうではない。著者たちの真意は優生学のすべてをナチズム的なものと考えて目を背けるのではなく、現実を直視しようというところにあるとは思うが、それにしても、時折気になる記述に出会う。例えば日本での不妊手術の実態について述べるとき、スウェーデンで戦中からの40年間で6万件、日本では戦後の47年で84万件と書かれていて、両国の人口も示していないのはなぜか。日本は現在、スウェーデンの約15倍の人口がある。実数では比較の対象となるまい。この中に精神遅滞者などへの強制的不妊手術が含まれているという現実が問題なのであって、不妊手術の多さそのものではないだろう。また本書では、ラテンアメリカのネイティヴへの強制的不妊手術の問題など、第三世界の問題がいささか手薄である。
 優生学は障害者と差別問題に直結しているために、できれば避けて通りたいような話題である。全体の趨勢としては優生学的な方向へ何となく推移するだろうと思いはするのだが。『介護問題の社会学』で、障害者の母親たちが「子供より先に死ねない」と思うと言うくだりに現われる矛盾に似る。それは障害者である子供たちからすると「早く死ね」と言われているようなものだ。「決して早く死んで欲しいわけではないのだが」と母親たち。それはそうだろう。けれどもそういう子供を持ったら、そう思わざるを得ないという(安心して死ぬことも出来ない)現状。そしてそのようなことにならずに済む方法があるとき、それを選びたいのは自然な気持ちだろう。どこまで、どこから? という境界の問題でもあるのだけれど。

永井龍男『青梅雨』(新潮文庫)
 61号の鴨下信一氏によれば、永井龍男は幻想小説ということなので読んでみたが、普通の小説だと思う。サラリーマンの自殺に到る心理を描く「一個」など、確かに怪談風といえばいえなくもないが、それを言い出すととめどがないな。個人的には興味なし。

立原透耶『ささやき』(ハルキ・ホラー文庫)
 詰め込み過ぎでまとまりが悪い。最後に音の否定というところに持っていくのであれば、別の書き方があるだろう。
 静寂に満ちた星に不時着した男が無音に疲れ果てて故郷の騒音を再現するという坂口尚の短篇マンガなど思い出した。

8日
アラン・カバトゥ『冒涜の歴史』
(平野隆文訳・白水社)
 16世紀から19世紀に到る「涜神の言葉」の歴史(フランスを中心にイギリスも)。神を罵ることで共同体全体が危機に陥る、という宗教的迷信から冒涜的な言葉を吐くものを取り締まった時代、世俗権力が強くなると、涜神の言葉が反社会的暴力と絡んでいるために取り締まられたということなどが大体において述べられている。19世紀になってもそれが続いたことは記憶しておくべきだろう。
 著者は当時の裁判記録などに丁寧に当たった結果、却って一概に言うことができなくなって、たいへんに回りくどい文章になっているという印象を受ける。読みやすくはない。また翻訳は、言葉がテーマであるだけに直訳優先にすべきではないか。

マルク・ボナール&ミシェル・シューマン『ペニスの文化史』(藤田真利子訳・作品社)
 文化史というよりは生理学史とでも言いたいようだと思ったら、著者は精神科医と泌尿科医だった。大きさや勃起に関わる悩み、淋病などの病気の解説などがやけに詳しい。もちろんファルス崇拝や各国民族における風習なども取り上げられているが、整形だとか、割礼だとか、生殖能力だとか、そういうところに力点が置かれている。著者が文科系ならまったく別の視点から別の書き方がなされたであろうと思う。

篠原一『アイリーン』(作品社)
 幻視能力のある、占を生業にしている若い女性が、自分の商売名前と同じアイリーンという女性があちこちで癒し活動をしているということに興味を引かれ、彼女に会いに行く話。カウンセラーにもカウンセラーが必要という話か。小説としてはほとんど読めたものではない。
 全員が成人して親が死んだあとに、兄弟仲がそれほどよくないのを家族崩壊とは言わないだろうに、そう言いたいほどに家族愛に飢えているのか。良い年して姉に頭を撫でてもらう妹というのは気持ち悪いのだが……。著者は子供だからしょうがないのか、とぼんやり思ったが、もはやデビュー当時の高校生ではないのだよね。既に院生のようだ。でもやっぱりまだ子供か。

9日
秋山完『ペリペティアの福音』『ファイアストーム』
(ソノラマ文庫)
 前者は復活をテーマにした作品。後者はまたも植物幻想の話。(まったくの余談だが、後者には、森康二の名前なんか出て来たので驚いた。秋山さんっていくつ? 奇しくも(?)昨夜は『どうぶつ宝島』と『わんぱく王子の大蛇退治』のLDを、本の整理などをしながら、子供と二人で真夜中まで観てしまったのであった……。)
 秋山の作品はどちらも設定はすごいのである。この作者の歴史意識にはすばらしいものがあるし、SFとしてのおもしろみもある。だが、小説が下手だ。乗りが悪いというかテンポが悪いというか、要するに説明が多すぎるのだ。たぶんジュヴナイルとしては難しすぎる(と言われているだろう)。だが作品の心意気は良い。もう一踏ん張り、頑張れ、と言いたい。

10日
R・A・ニコルソン『イスラーム神秘主義におけるペルソナの理念』
(中村潔訳・人文書院)
 1922年の古典的著作。ハッラージュやルーミーなどの著名なスーフィーを俎上に載せ、イスラーム教の神格について考察したもの。石井啓一郎氏の教示による。

 ティム・バートン「猿の惑星」を次男と観に行く。台風が来ているというのに、傘を片手に自転車で出掛け、帰りは案の定篠突く雨。しとどに濡れたが、気温が高く、寒くはない。まあ、濡れても腹立たないほどの出来ではあった。ひどい、という話しか聞かなかったものだから、期待しないのが良かったのか。過去の作品とあまり比べても仕方ないし。確かにストーリーはかなり粗雑というか、無理だらけ。しかし猿には迫力があった。

11日
南條竹則『猫城』
(東京書籍)
 温泉と美食と猫の三題による長篇。

海保真夫『文人たちのイギリス十八世紀』(慶応義塾大学出版会)
 英文学の論考集。1660年の王政復古から18世紀末までの英文学を取り扱うが、俎上に乗るのは、スウィフト、アントニー・ハミルトン、『ファニー・ヒル』『乞食オペラ』などなどで、日本ではスウィフトを除けば完膚無きまでにマイナーな領域である。著者は「求めて不人気な分野を選んだわけではありません」と書いているが、人間は一度不人気な分野にはまりこむと、なかなか抜け出られないもののようである。剽窃をめぐる英文学と仏文学の断絶や他者の中に自分を見ることについてなど、論考としてはなかなか興味深いものが多い。また、たぶん落語が好きなのだろう著者は、このような論文としては珍しく、笑いを取る箇所を設けている。イギリス流のユーモアについての講釈もあって、参考になった。しかし自分で買うか、と言われれば、やっぱり買わないだろうな。

杉本章子『おすず』(文藝春秋)
 時代小説の連作短篇集。捕物帳というほどでもなく、色恋ものというほどでもなく。

夢枕獏『ものいふ髑髏』(集英社)
 怪奇短篇集。白石加代子の『百物語』用の、語り形式の作品なども収録。

12日
高畑京一郎『ハイパー・ハイブリッド・オーガニゼイション』
1(電撃文庫)
 正義の味方、スーパーヒーローのアンチもの。続き物なので分らないけど、設定に不安あり。

火浦功『死に急ぐ奴らの街』(徳間デュアル文庫)
 近未来の大都市を舞台にしたハードボイルド短篇集。つまらない。

林巧『斃れぬ命』(角川書店)
 老林を語り手とする連作短篇集。音楽と怪異の物語。中国の古典的怪談からもネタを拾っている。

13日
三津田信三『ホラー作家の棲む家』
(講談社)
 三津田信三自身を主人公として、惨劇の起きた洋館を舞台にした物語。ホラー小説を作中作として持っている。内容についてはこれ以上は言えない。
 怪奇幻想系の同人誌を出したり、怪奇小説のタイトルを挙げたりといった遊びをいろいろと含んでいるが、あからさまにやり過ぎ。

14日
ニコラス・ウェイド編『心や意識は脳のどこにあるのか』
(木挽裕美・翔泳社)
 感覚、気分、記憶、言語などがどういう仕組みで起きてくるか、ということを説明する話題を集めている。ニューヨーク・タイムズの科学コラム欄の抜粋。いまいち。

ミッチャーリヒ&ミールケ『人間性なき医学』(金森誠也・安藤勉編・ビイング・ネット・プレス)
 ニュルンベルク医師裁判(米軍事法廷)の記録を整理したものの抄訳。ナチスの医師の犯罪といえば、メンゲレが有名だが、そればかりではなく、数多くの残忍な実験が行われたのである。またユダヤ人だけではなく、ポーランド人、ジプシーや、死刑の決まった一般の囚人や捕虜などにも行われた肉体的な実験が数多くある。本書で取り上げているのは低温低圧実験、海水を飲ませる実験、ワクチンや毒ガスの試験、外科実験、ユダヤ人頭蓋骨の蒐集、安楽死プログラムである。それらは本書によらずとも、いろいろな書物で紹介されているだろう。裁判記録(証拠書類を含む)というところが読みどころなので、いかなる残虐な行為も、正当化してしまう人間というものの底深さを直視したい。「ポーランド人は人間ではない」(だから殺してなんら支障はない)、精神遅滞児をつかまえて「もう二三日は死なない」(餓死させている途中なのである)といったおぞましい言葉もまた、人間の発するものなのだ。
 安楽死プログラムについては、もう一つ、ある牧師の報告書にある「どこで線引きするのか? 誰が異常で、誰が非社会的なのか?」という言葉が、印象に残る。「異常で非社会的」という言葉を「人間じゃない」と置き換えると、それは人が人を殺すための、いつに変わらぬ免罪の言葉となる。インディオやアボリジニなどのネイティヴが、奴隷が、人間じゃない、と言われたことを思い出そう。また、胎児はいつから人間なのか? という現代の優生学的な悩み。
 裁判記録であるため、それにともなって翻訳文がいまひとつであり、あまり読みやすい本ではない。

15日
牧野修『呪禁官』(祥伝社ノンノベル)
 ほかに読まねばならない本が積んであるので、読むつもりはなかったのだが、読み始めたら結局最後まで読んでしまった。SF伝奇アクション。軽快なエンターテインメント。なんと主要な人物がほとんど誰も死なない!
《サイエンス・ウォーズ》の発端となったソーカル事件のパロディが使われている。目端が利くというかなんというか。また壁に浮き彫りにされているアブラカダブラというのは、古典的な呪文でちゃんと意味があるから、「わけのわからない」と言っているのは、その呪文の効力をバカにしていることになるが、一般の人には分らない表現なのでは? ここはもっと特異な呪文を使うべきではないか。
 『プリンセス奪還』と同じ世界設定――ではないが、同じ発想になっている。この作品は新刊では手に入らないのだろうな。おもしろいアクションものなのだが……。

16日
 『幻想文学』62号の特集は《都市幻想》ということで進行中。というわけで片端からそのてのものを読み返したり、新たに読んでみたり。面倒なので、再読分については『幻想文学』のガイドでは取り上げないだろうというような作品だけ挙げていくことにする。

都市史研究『都市と宗教』(山川出版社)
 世の中にはいろいろな雑誌がある。宗教と都市がきっても切れない仲なのは都市の成り立ちを見てみれば当然である。日本の門前町、江戸と宗教がらみの話などが並ぶ。

海野弘編『モダン東京案内』『機械のメトロポリス』『異国都市物語』(平凡社モダン都市文学1・4)
 ほとんどファンタジーとは関係ありませんね。中にいくつか幻想的な作品もあるが、都市幻想というイメージではない。『機械のメトロポリス』にはなぜかかなりのページを使って「深夜の市長」が入っている。うーん、市井の科学者が出ては来るが。今で言えばSF的ミステリだ、ということなのだろう、たぶん。

川又千秋『夢都物語』(実業之日本社)
 世界のさまざまな都市をめぐる話だが、これは小説としてひどい。都市にも味わいがない。

川端裕人『ニコチアナ』(文藝春秋)
 無煙煙草の開発・発売をめぐる物語と、インディオの神話的世界とを結びつけたファンタジー。知人に「時間を微分する」というのが出て来て意味不明だから読んでみて、と言われて読んだ。「時間にメリハリをつける」という意味で「時間を微分する」という言葉を使っており、神話的時空に戻すことを「統合する」、「微分された時間を積分しなおす」と言っている。インディオの神話の使い方でも、また遺伝子の使い方でもそうだが、この著者はSF的にそれを使っているに過ぎないのだ。生物学関係の人から見ればてたらめな分子生物学も、素人目には何だかそれっぽいと映る、それを神話や数学にもやっているだけなのだ。さすがに微積程度だと、真面目にセンター試験などを受けた人にはデタラメなのがあまりにもはっきり分るため、違和感を覚えざるを得ない。これで科学記者だったというのはまったく驚きである。
 かんじんの小説だが、まったくおもしろくない。ネイチャーライターだそうだが、インディオを素材にするのには力量不足。

17日
タッド・ウィリアムズ『黄金の幻影都市』4
(野田昌宏訳・ハヤカワ文庫SF)
 続き。記憶を失っているポールは火星(らしきところ)で翼の生えた女性に出会う。主人公たちは迫る追手の影に脅えつつ、何とか場所を見つけて幻影都市に侵入を開始する。

J・バーネット『都市デザイン』(兼田敏之訳・SD選書)
 都市は計画者の思惑を超えて拡張する。という話。

津田元一郎『日本語はどこから来たか』(人文書院)
 世界の主要言語は三つか四つの系統しかない、音義主義で行けば系統が見える、というような妄想の本。

藤本ひとみ『悪女が生まれる時』(中央公論新社)
 シャルロット・コルデー、テレジア・タリアンの二人を取り上げ解説するエッセイ。どちらもフランス革命期にとんでもない活躍の仕方をした女性で、フェミニズムから論じても、普通に歴史的に論じても、さぞかし面白いのではないかと思うような素材――少なくも本書を読むかぎりではそう思える。にもかかわらず、この本は信じ難いほどつまらない。(京)

大道珠貴『背く子』(講談社)
 好き者の父といまいちはっきりしない母とのあいだに生まれた意地のある少女の、幼児時代から小学校入学までの日々を描く長編。幽体離脱した幼女の視点から始まるので、一瞬、お、と思ったが、その後はどうにもならず、ただの感情寄り添い的三人称小説になってしまった。内容的に興味持てず。(京)

アシモフ『ファウンデーション』(岡部宏之訳・ハヤカワ文庫SF)
 永瀬唯さんに銀河帝国の首都トランターは惑星一個がすべて一つの都市で、いかにもSF的な都市であろうと言われたので読み返してみたが、「一面灰色」という描写があるだけだ。評論にすれば語れるだろうが、ガイドとしては取り上げようがない。作品自体は昔読んだときよりもたいへんにおもしろく感じる。アシモフのユダヤ人としての意識がたいんに強いことをエッセイなどを通して知ったので(キャンベルに対抗して異星人を出さない設定にしたことなど。永瀬さんによれば、アシモフ晩年の自伝に、シオニストと怒鳴りあったことが書かれている、とのこと)、そのような眼で読み返すと、まったく興味深い。

18日
倉阪鬼一郎『BAD』
(エニックス)
 サドマゾ系変態ポルノ。ハードカバーで読むようなものではない。

小松和彦編『神隠し譚』(桜桃書房)
 柳田「山の人生」ほか、14の人が忽然と消える話を収めたアンソロジー。ファンタジーだけではなくミステリも含む。長尾誠夫「早池峰山の異人」は『神隠しの村』という長編ともつながるのであろう柳田国男が主人公の作品で、ほぼ佐々木喜善の視点から書くという趣向になっている。『幻想文学』61号掲載の横山茂雄「怪談の『位相』」などを読んでから読むと、このような創作には顔から火を吹くような恥ずかしさがある。〈歴史上の人物を探偵にした恥ずかしいミステリ大全〉などというものを思い浮かべてしまう。これは案外と(いやご想像通りにというべきか)物がある。(京)

19日
 「千と千尋の神隠し」「ファイナル・ファンタジー」を観に行く。
 「千と千尋」というのは宣伝とはまったく違う話なのだな。労働してカオナシと交流する話なのかと思ったが、そうではなかった。『霧の向こうの不思議な町』と『クラバート』をこきまぜてみるというような内容で、要するに物語のオリジナル性なんかとはまったく無縁に魅力的な作品世界が作れるということの証明であり、この世界設定はこれまでの宮崎アニメで最も素晴しいのではないかと思う。
 FFは想像していた通り。壮大な無駄遣いというか、宣伝にそんなに金かけてどうする、というようなものであった。CGの技術はすごい、ここまでやれる、わずか数十年の間に大した進歩だ、と、昔のCGも観ている私などは素直に感動できるが(生まれた時から家にパソコンがあったような高一の息子には絶対に分るまい)、それにしたってただの特撮で出来るような映画をフルCGで作ってもしょうがないだろう。ストーリーだって、これならFF10の方がよっぽど良いぞ。クライマックスは、息子によればグラサガらしいし。

ロドリゴ・レイローサ『アフリカの海岸』(杉山晃訳・現代企画室)
 モロッコを舞台にした奇妙な話。迷子譚の一種。

テリー・グッドカインド『魔道士の掟』(佐田千織訳・ハヤカワ文庫FT)
 続き。主人公たちが境を抜けるところまでのいろいろ。
 エンターテインメントだから、翻訳についてそんなにうるさいことは言いたくない。しかし、日本語としておかしい、というよりは文意が通らない(180ページ。何か抜けているのじゃないか?)のはいくら何でも勘弁して欲しい。これは編集者の責任である。

エトワード・ゴーリー『不幸な子供』(柴田元幸訳・河出書房新社)
 ゴーリーの三冊の絵本はどうやら売れたようだ。別の三冊が順次出るようで、これはその一冊目。版が大きくなっていて、普通の絵本に近いB5判。両親を亡くした少女が悲惨な末路を迎える、残酷版小公女。全ての絵に、トカゲあるいはコウモリ様の奇妙なもの(絵によって違うので目を凝らして探して)がこっそり描き込まれている。主人公の少女は守護天使ではなくて悪魔に見守られているということなのだろう。

21日
『ダレン・シャン2』(橋本恵訳・小学館)
 半吸血鬼になった少年が人間の血を飲むことを拒否しつつ、フリークス・ショウで働くうち、事件が起きる。つまらない。

25日
エレナ・ガーロ『未来の記憶』
(富士祥子・松本楚子訳・現代企画室)
 わずか1500部。
 メキシコの村を語り手とした恋愛譚。婆さんや娼婦たちが魅力的。

ピーター・ワシントン『神秘主義への扉』(白幡節子・門田俊夫訳・中央公論新社)
 ダーウィニズムと神智学、さらに文学の関係について論じたものだと勘違いして買ったが、とんでもない駄本であった。ブラヴァツキーの神智学協会をを中心に、シュタイナー、グルジェフなどについて、批判的にその人物を紹介する。著者は文学の大学教師だそうで、文芸への言及もあるが、きわめて皮相的。例えば、ロレンスはグルジェフと一目会っただけで反目した、てなことしか書いておらず、何の役にも立たない。教義への批判にしても、くだらない、という程度で、そんなことなら誰にだって言える。だいたいスーフィー教の教祖(一体それは誰のこと?)と言ったり、空の意味も理解していないような発言をしたりする人間が、オカルティズムを扱う本を書くのは間違っている。この500ページもある本で著者は何をやっているのかと言えば、要するに人間関係とスキャンダルを追っているのである。リードビーダーに稚児趣味があるってことはとっくにわかってるよ、と言いたくなるような思わせぶりな書き方で。どうせなら、赤裸々な内実がわかるような決定的資料を開陳して、きちんと書いてほしいものだ。いっそのこと派手な小説にしちゃうとかね。さらに、構成が悪くて話が飛ぶので、こうしたあれこれに無知な読者は何を読まされているのか見当識が狂うことがあろう。翻訳も素人を使っているらしく、意味はわかるのだが文章の係受けがめちゃくちゃだったりする。ニーチェの「永久の回帰」? 慣例に抵抗してわざとこう訳しているのではなく、無知ゆえとしか考えられないので唖然とする。ほかにも、バーナード・ショーの「メトセラへの逆行」(Back to Methselah メトセラに還れ[但し、本の後ろの方では「メトセラへの回帰」となっている])、アボットの「平地」(Flat Land 平面国)などなど、ある意味では秀逸な爆笑ものの固有名詞が並んでいるが、同時に頭も痛くなる。この本を企画した編集者の責任で何とかしろよ、こういうのは。何とかできないような無知さ加減だから、こんな本の企画を立てるのかもしれないけど。いや、それより何より、中央公論にはちゃんとした校閲を雇う金もないのか? こんな本を買った私がバカだった。それにしてもあまりにも腹が立ったので、堂々と貶せるように最後まで読んだが、時間の無駄だったな。

荒俣宏編訳『ゴードン・スミスの日本怪談集』(角川書店)
 19世紀末から20世紀初頭に日本に滞在した博物学者が蒐集した伝説集。年代、土地、人名が確定されている伝説がほとんどであって、これらのソースは一体何だったのか、というのが気にかかる。語りを採集したと荒俣宏は解説しているようなのだが……。各話に古典的な挿画が付されていて、多くがカラーで掲載されいる。

ロバート・ジョーダン『竜王戴冠5』(斉藤伯好訳・ハヤカワ文庫FT)
 ナイニーヴ一行を中心とした巻。ビルギッテが夢の世界から現実に出てしまう。

細間宏通『浅草十二階』
(青土社)
 十二階とパノラマ館を中心に、近代文学あるいは近代の民衆における「見る」ということの意味について語る。

26日
ピーター・アクロイド『切り裂き魔ゴーレム』
(池田栄一訳・白水社・2400円)
 切り裂きジャックを念頭に置いた架空の連続殺人の物語。

27日
ゲルショム・ショーレム『錬金術とカバラ』
(徳永恂ほか訳・作品社)
 『ユダヤ論集4』の全訳。表題作はヨーロッパの錬金術は(真正の)カバラと殆ど接点がないということを論じたもの。ショーレムは緻密なテクスト解読をする人で、私には知識がないものだら、いつでも、そうなのか……と感心するばかりである。表題作はとにかくおもしろかった。「宗教現象としてのニヒリズム」はカバラ的立場からのグノーシス主義批判で、興味深く読んだ。

28日
『20世紀SF』5・6
(中村融・山岸真編・河出文庫)
 1980年代90年代の作品を集める。歴史的な意味のある作品ということなんだろうけれど、やはりベスト・セレクションとは違うので、どこか今一つな感じがする。

30日
丸谷才一編著『ロンドンで本を読む』
(マガジンハウス)
 『オブザーヴァー』とか『スペクテイター』などに掲載された現代イギリスの書評集。小説家による書評が多いが、現代イギリスの作家には研究者だったり批評家出身だったりする人も結構いるので、日本の作家による書評とは芸の見せ方が違う。本書を読んでいると、いろいろな意味で複雑な気分にならざるを得ない。

青柳いづみこ『水の音楽』(みすず書房)
 ラヴェルの「オンディーヌ」の弾き方から始まる、水の女たちの物語、音楽めぐり。たいへんによく勉強して書いておられる。ピアニストならではの意見もおもしろい。


9月の雑感 急に涼しくなって、何だかあっという間に過ぎた。こうしてみるとろくに本も読めていないし、何をしていたのかよくわからない。永瀬唯さんと打ち合わせで長話してしまったり、篠田真由美さんの仕事場に遊びに行ったり(おみやげにいただいた自家製のパンがものすごくおいしかった!)、図書館に行ったりと、確かに出掛けはしたのだが。これを書いている時点でもう10月5日なので、非常に焦る。