藍読日記 ☆読んだ本と『幻想文学』関連の情報、その他の情報をお届けします。         2003/7/5更新
★読書メモについては主観的かつ恣意的な趣味に基づく書き散らしです。文責はすべて石堂藍にあります。
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2002年2月


6日
アニータ・ディアマント『赤い天幕』
(ハヤカワepi文庫)
 創世記のヤコブの娘を主人公=語り手とするフェミニズム小説。創世記のファンタジーをここまで骨抜きにしてしまうとは! 大胆というかいかにもアメリカのフェミニズムというか。でもこれは創世記を宗教的幻想譚としてしか読めないノン・クリスチャンだからこその読みなのだろう。キリスト教国では違った受けとめられ方だろうなあ。

8日
 ミシェル・ロヴリック&ミンマ・バーリア『ヴェネツィアの薔薇』
(富士川義之訳・集英社)
 39歳のラスキンが10歳の少女ローズに絵を教えることになり、次第に恋へとのめっていくが、神を信じていないからという理由で求婚を拒絶される。ローズは髄膜炎によって27歳で死亡し、その後ラスキンはヴェネツィアで傷心を癒す。その過程をちょっと詩的な文体で綴った、小説風の作品。図版をたくさん入れて一冊の本にはしているが、所詮短篇である。せっかくの図版も緑では見づらかろう。

9日
エミリー・ロッダ『ローワンと伝説の水晶』
(さくまゆみこ訳・あすなろ書房)
 三氏族の中から賢者の地位を継ぐ者を選ぶ役目をローワンが果たす話。なんとこの役目、血筋で決まっているんだそうだ。今までの話から考えたら、リアリティが無いだろ、それは。その地位を狙って殺しまでするというのだが、選任者を殺そうとするのは変だし、その地位を得れば世俗のことはすべて捨てねばならぬので、氏族の代表者の一人に婚約者がいたりするのは奇妙としかいいようがない。まったく設定がデタラメなので苛々させられるシリーズだ。相変らず「謎に満ちた詩」ネタだし。これの評判が良いなんてうんざり。小学生の頭ってこの程度のものだっけ?

ニール・スティーヴンスン『ダイヤモンド・エイジ』(日暮雅通訳・早川書房)
 ナノテクの極度に発達した未来(訳者解説には21世紀中葉とあるけど、本文では22世紀のいつかということになっている。絶対に後者が正しいと思う)、「若い淑女のための初等読本」プライマーと呼ばれる、インタラクティヴな教育用絵本をめぐる物語。
 冒頭にちらっと登場してたちまち殺されてしまう、バカとしか言いようのない下品な男が父親、しょっちゅう男を変える(どれもこれも暴力を振るったり、少女にいやらしいことをしようとしたりするろくでなしばかり)駄目な母親の娘であるネルが、本のおかげでレディに成長していく話で、冒頭のエピグラムには「氏より育ち」。でも、ネルが劣悪な環境のなかでまともに生き続けられたのは、とっても良いお兄さんのハーヴのおかげで(こんな頼りになるお兄さんって理想じゃない?)、彼はじゃあ何に教育してもらったというのだろうか? とんでもないバカになって妹の本を取り上げてたって良さそうなものなのだ。だから、氏より育ちというのは変だ。彼女にはもともと素質があった。これは大した偶然なのだ。ろくでもないものからも良いものが生まれることがある。遺伝とはそういうものだ、ということか(作者の意図は無視)。国家が壊れて、宗教や信条によってまとまりを見せている未来社会の枠組みなどもおもしろく、突っついて遊びたい。ドラマーズのようなものも興味深いし、倫理裁判所などというのもいい。一種のオリエンタリズムSFでもあるわけだな、これは。ついコードウェイナー・スミスの影響が……などと考えてしまう。
 本書は造本もちょっと凝っていて、カヴァーを取ると、本体には、プライマーの内容がちらっと書かれていて、主要キャラの絵もある。こういう粋なところはたいへんに良い。

ユーリー・ストヤノフ『ヨーロッパ異端の源流』(三浦清美訳・平凡社)
 読むのに一ヶ月近くかかってしまった。ボゴミールとカタリ派の発生と展開を古代イランからたどる。

ファジリ・イスカンデル『チェゲムのサンドロおじさん』(浦雅春・安岡治子訳・国書刊行会)
 ホラの交じった老人の昔話集。本来たくさんある作品の中から7編を選んでいる。アブハジアの架空の町を舞台にして、語り手の母方の父親(老ハブグ)を中心とした一家を描いたもの。訳者の言う通り、ノスタルジーが強く、殊に「大きな家の大いなる一日」ではそれが顕著。仔馬と見ると血迷ってしまうラバが語り手の話や、女問題をめぐる伯父のピカロ風の活躍(ホラ)を描いた表題作や「略奪結婚」などは普通の娯楽作。スターリンが登場する「ベルシャザルの饗宴」はどうやら非常に緊張した作品らしいのだが、私にはわからない。このあたりの歴史には暗い。で、読んでもわからない。訳者にはこういうところを解説してほしい。「スターリンが隠れ主人公」と言われただけでは、カンドコロがわからないのだ。

J・G・バラード『コカイン・ナイト』(山田和子訳・新潮社)
 「ここはヨーロッパの未来なんだ。世界中がまもなく、ここみたいになる」あるいは「まるで『サイコ』のスタイルでリメイクされたカフカではないか」といった帯の言葉は作中人物のせりふである。だから、ちっともこの作品を言い得ていない。倦怠した、金持ちの集まる隠棲地がある。しかし、それではどうしようもない。ここを活性化させたい。そこでちょっとした犯罪をしてみる。すると何だか町が活気づく。人々はゲームのように犯罪に加担するが……。『ハイ-ライズ』『クラッシュ』などと近しい作品。「人間は常に理性的なのではない、非理性的なのだ」とバラードは言ったそうだが、人間なんてほとんど非理性的で、運良くたまに理性的になれるだけだろう。バラードは人間の理性をまだ信じていられるということだよね。ともあれ本書はテーマ的には古くさいとしか言いようがないが、小説がものすごくうまい。訳もいいのだろうけど、サスペンスがある。

ダイアナ・ウィン・ジョーンズ『魔女と暮らせば』(田中薫子訳・徳間書店)
 かつて『魔女集会通り26番地』として偕成社から出ていた本。クレストマンシー・シリーズの第一作なので、本当はこれから読んだほうがおもしろい。
 キャットは、魔女で気性も激しく強い美少女グウェンダリンを姉に持ち、無意識のうちに彼女の支配下で暮らしていた。両親を亡くした二人はクレストマンシー城に引き取られることになるが、冷淡なクレストマンシーを振り向かせるためにグウェンは必死で魔法を使っていたずらをするが……。
 この作品はおもしろいので読んで欲しい。強くて魅力的な姉を持ったキャットの気持ちが私にはよくわかる。

テリー・グッドカインド『魔石の伝説』(佐田千織訳・ハヤカワ文庫FT)
 『魔道士の掟』が終わった直後から物語はスタート。開いてしまった箱とその中かなら出てきた石の処分に頭を悩ませているゼッドとチェイスの前に闇の化物スクリーリングが登場する。中野善夫のシブイ解説つき。

11日
フィリップ・プルマン『琥珀の望遠鏡』
(大久保寛訳・新潮社)
 《ライラの冒険》の完結。あとがきにポッターがカトリック系から非難を受けているということが書かれていて、ああ、魔術ってシモンだということなのか、と今さらながら思う。どうもキリスト教の風土はよくわからない。で、本書は「ポッターの百万倍邪悪」とカトリック紙に書かれたという。さもありなん。だってこの本の神学は創造主否定だから。そのインパクトは私にはわからない。アングリカン・チャーチなどは狂信者の巣みたい書かれていて、それは怒るだろうとは思うが、しかしファンタジーなのだしね、とか思ってしまう。
 だから本書は読み終えると、ある意味でがっかりする。これだけ騒いで結局ボーイ・ミーツ・ガールか。児童文学とは言い難いが、ヤング・アダルト、思春期のための文学だな、確かに。愛と肉体を肯定しよう、地上に楽園を築こう、そして消滅としての死を受け入れようというのではねえ……。当たり前すぎちゃって、どうしようもない。このように現世的になりすぎることが現代の問題だと思うのだが、作者にとっては切実な問題だったのだろう。まあ結論はそうでも、物語としてはかなりおもしろい。やはり、別世界の生き物が魅力的。

12日
マイケル・ムアコック『グローリアーナ』(大瀧啓裕訳・創元推理文庫)
 パラレルワールドのエリザベス朝を舞台に、邪悪な王の跡を襲った娘グローリアーナが先王の影にを克服するまでを綴る。大瀧先生の華麗な訳文を堪能して下さい。

カレン・ウィン・フォンスタッド『中つ国歴史地図』(琴屋草訳・評論社)
 これはたいへんにマニアックな地図&解説集。『指輪』の詳細な道のりがたどれるだけでなく、過去の勢力地図まで描かれている。本当に歴史地図帳なのだ。地図マニア・指輪マニアは必携。

21日
マーティン・スコット『魔術探偵スラクサス』
(内田昌之訳・ハヤカワ文庫FT)
 アメリカン・ハードボイルドのファンタジー的パロディ。探偵は何を考えついても敵に先を越され、依頼をまっとうできない。冴えない小説。こんなものが世界幻想文学大賞の受賞作だとは!

24日
『幻想文学』63号製作・別冊の種村季弘製作に追われる。死にそうである。更新のひまもなければ、本を読む暇も無し。この二週間ほどは校正を含む誌面の製作しかしていない。
『幻想文学』は3月4日発売。詳しくはトップから。

25日
ブライアン・ジェイクス『モスフラワーの森』
(西郷容子訳・徳間書店)
 ネズミの勇者マーティンの物語。『勇者の剣』の続篇で、過去の伝説の物語となっている。敵キャラがダメなのと、あまりにも視点が変わり過ぎること、いくら子供向けとは言え、食物や生態に関するリアリティがあまりにもないので、つまらない。ネズミとかにするのは、人間だと設定がありきたりになるし大変だからという手抜きの理由以外ないのではと疑ってしまう。あとは子供の動物好きにおもねっているか。

26日
山岸哲『オシドリは浮気をしないのか』
(中公新書)
 卵はどうして卵型なのか。カラスは秋冬になるとどうして大群で寝るのか(なんと長野県のカラスはすべて、七箇所に集まってしまうのだ。そのうちの一つは須玉町で、隣町だ。こんなところが本当にあるのかしらん)。こんなことが本当のところはまだわかっていない。(一応の説明はつけられている。)そういうのが自然のおもしろいところだ。自分のではないヒナを育てている父鳥が結構いるという話(托卵ではない。母鳥が生物学的父親にはもっと良い雄を選ぶため)も、また鳥のなわばりに適用されるゲーム理論も、みんな利己的遺伝子の応用である。(

三木卓『わが青春の詩人たち』(岩波書店)
 三木卓と言えばまず詩人としてデビューして、それから小説の方へ行った人というイメージがあった。実は、伊藤聚や小長谷清美と小学校からの同級生で、詩に関しては劣等意識を抱いていたため、小説志望だったのだそうだ。一旦小説で袋小路に入ったときに詩へと抜けて、また小説へ戻ったものらしい。いやいや、どこまで真剣に取ったらいいのかちょっと悩ましいような、自己卑下と含羞の強い(それは三木さんの個性でもある)、回想録だ。戦後約10年、詩が、社会的にも意味を持ちうるとまだかすかに信じられた時代、文学的にはもちろん大きな意味のあった時代の、夢のような物語である。私が学生の頃でさえ、同人誌の熱気などというものは伝説と化していたのだ。詩を読んできた人にはおすすめできる一冊。読んでいない人には固有名詞が理解不能だろう。三木さんの同人誌仲間だった高良留美子について評論を書いたりしたのを懐かしく思い出した。(

マイケル・シェイボン『悩める狼男たち』(菊池よしみ訳・早川書房)
 短篇集。狼男になりきって少女にかみついちゃったりして特殊学校へ送られてしまう少年が出て来る(主人公ではない)のが表題作だけど、ファンタジーではない。最後の一篇「暗黒製造工場で」はラヴクラフトを意識したホラー短篇で、一種のメタホラーでもある。そんなに良いとは思えないのは翻訳が悪いのか、著者が悪文なのかどちらかだと思う。(

27日
宇月原晴明『聚楽――太閤の錬金窟[グロッタ]』
(新潮社)
 摂政関白・秀次の出自の秘密をめぐる伝奇小説。異端のイエズス会士を登場させ、錬金術からホムンクルス製造に至る魔術が実効を持つという設定のもと、『信長あるいは戴冠せるアンドロギュヌス』の続篇を展開。あまりにも頑張っているので、好みの小説ではまったくないのだが、否定的な気分にもなれない。(

28日
キム・ニューマン『ドラキュラ崩御』
(梶元靖子訳・創元推理文庫)
 ローマという古い都に巣くう怪物との戦いを描く。とぎれとぎれに読んだので、一ヶ月ぐらいかかってしまった。このシリーズのおもしろさは本当ならSF的な思考をうながすようなおもしろさだと思う。でも作者はSF的な頭の人ではないのでたくさん突っ込みたくなるところがあるという感じか。なんでもっとよく考えてテーマを練らないんだろう?! 今回は吸血鬼のアイデンティティをめぐる話で、いったいどんな読者がこれをおもしろがるのか? 怪奇党ではないだろうし、SFホラーファンか? あるいはカルチャー・オタクとか吸血鬼マニアか。吸血鬼というだけで売れるのかも知れないし。わからない。


二月の雑感。地獄のごとき一ヶ月であった。『幻想文学』63号の製作と『種村季弘の箱』の製作が重なったためで、御覧の通り、本は読めない、気ままな無駄書きも出来ないという状況。映画を観に行くどころか、デザイナーの伊勢さんのところに行ったのと、デザインの相談で西村さんに会ったのを除くと、外にも出ていない。でもそれも一段落。種村季弘もまもなく印刷にかかれる。表紙はたいへんにきれいにでき上がっている。詳しくはトップから。