藍読日記 ☆読んだ本と『幻想文学』関連の情報、その他の情報をお届けします。         2003/7/5更新
★読書メモについては主観的かつ恣意的な趣味に基づく書き散らしです。文責はすべて石堂藍にあります。
●2003/6(最終回)
●2003/5
●2003/4
●2003/3
●2003/2
●2003/1
●2002/12
●2002/11
●2002/10
●2002/9
●2002/8
●2002/7
●2002/6
●2002/5
●2002/4
●2002/3
●2002/2
●2002/1
●2001/12
●2001/11
●2001/10
●2001/9
●2001/8
●2001/7
●2001/6
●2001/5
●2001/4
●2001/3
●2001/2
●2001/1
●2000/12
●2000/11
●2000/10
●2000/9
●2000/8
●2000/7

2002年3月


5日
『幻想文学』63号出来。個人への発送と書店への納品。

6日
津原泰水『少年トレチア』
(講談社)
 子供たちの残虐な暴力行為の言いわけとして使われている「トレチアから来た少年」と「キジツダ」という言葉。それは登場人物の一人、崇によれば、自分の子供時代の残虐行為に発している。一人の少女も交えた少年たちのとどまるところを知らない残酷さは、池の主である赤い怪魚によって隠匿され、すべては沼の中に消えていた。だが、後年、かつての自分たちの行為に対するしっぺ返しであるかのように、トレチアたちによって崇の友人たちが殺される……。
 メタノヴェルとしての仕掛けもある本書は、『ペニス』同様、こうした要約を受け付けない。上の要約にしても的外れなものだが、正確に語ろうとすると、それはそれで作品を損なう。文章が非常に良くて、ことに主要登場人物の一人であるダウジングが趣味の漫画家の語りの部分は、ほとんど私小説のごときであり、それはその種の文学と同様の、文体を読む喜びを読者に与えるだろう。そしてこの部分にも実は仕掛けがほどこしてあったことを知らされて、ちょっと、というよりも大いに驚いてしまった。
 薄味の純文学など、足下にも寄せ付けぬ作品である。ホラー・ファンでも良いといえば良いけれど、文章を味わうということを知っている読者にまず読んで欲しい。

10日
リチャード・マシスン『ある日どこかで』(尾之上浩司訳・創元推理文庫)
 余命いくばくもないということを知っている三十五歳の男が、前世紀末に活躍した女優のポートレイトに恋する話。読むうちに、これは恋愛小説とは言い難く、実在した女優へのオマージュ小説ではないかという感じがしてくる。解説を読むとどうやら本当にそうらしいので、がっかりする。本書は75年の作品だが、『ふりだしに戻る』(70)『マリオンの壁』(73)をあわせたような作品だと言いたくなってしまう。

菅浩江『五人姉妹』(早川書房)
 『永遠の森』の一作「お代は見てのお帰り」ほか全九編を収録。クローン、人工知能、疑似世界、ロボットなどをモチーフにした、甘いテイストの短篇集。

ポール・スチュワート『崖の国物語』3神聖都市の夜明け(クリス・リデル画・唐沢則幸訳・ポプラ社)
 三部作完結。ところがこれはトウィッグの物語というだけのことだったらしい。ある程度の評判を得たので物語を書き継ぐようだ。父を助けに虚空に赴いたトウィッグはそこで再会した父から母なる嵐の秘密を知らされるのだが……。ただ行動あるのみの世界。興味を持てず。

稲葉真弓『花響★はなゆら』(平凡社)
 花にまつわる小品23編を収録した短篇集。視覚的イメージの鮮やかな、そして幻想的な作品集で、一篇一篇に利渉重雄による銅版画が付されており、それなりの雰囲気を出している。にもかかわらず賞賛しようという気になれないのは、こうした小品はひとつひとつが磨き抜かれた言葉で詩になっていなくてはならないのに、そうでないと、死だの魂だのといったものを扱うとうわっつらで流れてしまうのに、まったく言葉として魅力的ではないせいなのだ。言葉の詐術でどうにか立たせるしかない世界だというのに。
 著者の作品については、もっと即物的な、生身の女を描く描写などで、なかなかいいと思うことがときどきあるから、こうした幻想表現を持つ作品も何とかしろよと私は思ったのかもしれない。しかしこの作者には実はそこまでの、幻想を言葉に出来るほどの才能はないのだろう。

ジャック・センダック『魔法使いの少年』(ミッチェル・ミラー画 長田弘訳・みすず書房)
 絵本。モーリスの絵かと一瞬思わせるようなところのある絵だ。著者はモーリスのお兄さんの児童文学者。自分を魔法使いだと信じた少年マーツェの遍歴を描く、寓話的色彩の強い作品。

ニアル・マクナマラ ウェイ・アンダーソン画『レプラコーンの仲間たち』(井辻朱美訳・東洋書林)
 『ゴブリンの仲間たち』に続く妖精の絵本で、作りは似ているのだが、作者がまったく違うので、内容もまるで異なっている。訳者の井辻朱美も言うように、九割方は信用してよい、妖精研究・フォークロアなどの文献をもとにしたレプラコーンの紹介本である。ユーモラスで楽しい。

11日
パトリック・レドモンド『靈応ゲーム』(広瀬順弘訳・早川書房)
 パブリック・スクールで暮らす14歳の少年たちの世界を描いた長編小説。ジョナサンは歴史の好きな善良な少年だったが、ラテン語が苦手で、ラテン語教師にはいじめられていた。またクラスのボス、ジェームズには適当な憂さばらしの道具でもあったが、仲の良い双子や親友ニコラスと、辛うじて息をついていた。ジョナサンはあるとき一匹狼のリチャードと親交を結ぶようになる。リチャードは世界のすべてを憎み、軽蔑していたが、ジョナサンの真直ぐさとリチャードへの傾倒振りは彼の心をとらえるのだ。二人はウィジャ・ボードを持ち出してきて、願を掛ける。そしてそれが現実になっていく(らしい)。ジョナサンはもはやリチャードから逃れられないことを知る……。
 リチャードは狂気とカリスマを合わせ持った天才的な人物であり、非常に魅力的に描かれている。ジョナサンもニコラスも、少年たちはみんなそれなりにかわいい。だが、それにしてはあまりにも無残な物語と言わねばなるまい。ウィジャ・ボードで悪魔的なものが呼び出されたことをにおわせているが、リチャードの狂気が遺伝的なものとされているので、その点は曖昧。曖昧に押し通すのならそれはそれでもう少し書きようがあったようにも思う。また告白という体裁なのに、語り手が知りえないことまでが細かに語られているのは奇妙だ。当然、ジョナサンが語り手なのだと思ったが、そうではないというのも驚き。それではあまりにも不当だからなのだが……。

C・S・ルイス『いまわしき砦の戦い』(中村妙子・西村徹訳・原書房)
 《神学的SF三部作》完結編。解説の巽孝之の視点は魅力的なのだが、作品をちょっと持ち上げすぎでは。

12日
栗原成郎『ロシア異界幻想』
(岩波新書)
 死後観を中心にロシアのフォークロア的な世界観を述べたもの。死にまつわるものが多く暗い雰囲気なのは、生野幸吉の死と彼の黙示録的な詩に触れたためとあとがきにある。(京)

池田節雄『国際弁護士』(平凡社新書)
 ダンピングの調停を専門にしている著者の体験談なので、国際弁護士というタイトルはいささか羊頭狗肉。内容はそれなりに興味深く、要するに役人などどこでもいい加減だということがよくわかる。ヨーロッパのエリートの裕福さ加減も。(京)

恩田陸『図書室の海』(新潮社)
 短篇集。ミステリ、SF、ファンタジーなどの作品を10編収録。「国境の南」が印象に残った。基本的にファン向けの作品集。
 菅浩江、恩田陸と続けて読み、前者が最も一般的なSFのイメージとすると、後者は雰囲気SFとでも呼ぶべきものだと思った。SFっぽいことが書かれているが、SF的な内実は何もないという意味で。SFとして評価する気にはなれないが、恩田陸の雰囲気を愛好する向きにはいいのだろうと思う。

篠崎紘一『持衰』(郁朋社)
 古代日本を舞台にした恋愛小説集。素人の自費出版本だろうか? 古語と近代以降の漢語を交ぜた会話文とか、中途半端に古代的な意識とか……趣味で出した本ならかまいはしないのだが。

野口芳子『グリム童話と魔女』(勁草書房)
 グリム童話に登場する魔女の類を考察し、現実の魔女観などと比較するもの。論文としてはいい加減。読物としてはおもしろくない。知識としては……一般には啓蒙書と言えるかも。(京)

鎌田慧『ひとを大事にしない日本』(小学館)
 いじめ、過労死、自殺、環境破壊などについて語る軽いエッセイ集。(京)

武田雅哉・林久之『中国科学幻想文学館』(大修館書店)
 中国SF小説史。相当に詳しい。おもしろい、珍しい紹介記事が満載。中国に興味のある人、SF愛好家はぜひ読んで下さい。去年図書館で借りて読んで、メモるのを忘れ、『幻想文学』で取り上げるのを失念した。本屋で見かけてあっと思ったが時既に遅し。せめてここで取り上げておく。

ピエール・ペロー『ジェヴォーダンの獣』(佐野晶訳・ソニーマガジンズ)
 映画のノヴェライズ。ハリウッド映画らしい、すごくオバカな設定だった。1760年代に起きた現実の、獣による連続惨殺事件をもとにしたもので、モホーク・インディアンが相棒の、博物学者の騎士を主人公に物語を展開する。

筒井康隆『愛のひだりがわ』(岩波書店)
 母を亡くし、料理屋でこき使われている小六の美少女愛は、父を探すために出奔する。金持ちの老爺や空色の髪のサトルに助けられたりしながら自立していく。愛が犬語を解したり、サトルに空中浮揚が出来たりするあたりはファンタジー風。世界の雰囲気は近未来かもう一つの現代といった趣。最近、筒井を読んでいなかったが、今度は普通のファンタジーのようなので読んでみた。まあ普通というか。

富安陽子『ほこらの神さま』(偕成社)
 ほこらを拾って河原の秘密基地に安置した少年たちが、願を掛けると、なんとなく願い事がかなうという物語。軽めだが、それなりにまとまっている話だと思う。『霊応ゲーム』を読んだばかりだったので、小説として同列に考えられるものではまったくないのだが、構造的にはかなり近いため、宗教的風土について考えざるを得なかった。

16日
バリー・ヒューガード『鳥姫伝』
(和爾桃子訳・ハヤカワ文庫FT)
 昏睡に陥った子供たちのために、解毒剤となる人参を求めて、実直な青年十牛と天才老人李とが冒険を繰り広げる。ほとんどマジックリアリズム的乗りで展開されるファンタジー。これはなかなかおもしろい。

メイ・ギブス『スナグルポットとカドルパイ』(矢川澄子訳・メディア・ファクトリー)
 20世紀はじめごろのオーストラリアのファンタジー絵物語。双子のように育ったユーカリの木の実の精が自然界でさまざまな冒険をするというもの。

『聖石伝説』『モンスターズ・インク』を観る。前者は吹き替えで観るのだった。阿呆らしいような設定の人形劇なのだが、テレビシリーズを観たくなった。好み。後者はCGがすごい、ただそれだけ。

17日
平野千果子『フランス植民地主義の歴史』
(人文書院)
 16世紀から20世紀に至るフランスの植民地の歴史を概説したもの。文明化を合言葉にしながら、フランス式の教育を受けた現地人を文明化された人とは決して呼ばず、「進化した人」と呼んだという一事が、きわめて象徴的である。

18日
広瀬立成『超ひも理論』
(PHP)
 つまらなかった。だから畳み込まれている6次元っていうのはいったい何なんだ? これって計算上出てきたものにすぎないんじゃないのか? 何のために、どのような理由でそのような高次元なのだろうか。SFのネタにはいいかしれないけど、超ひものいちばんわからないのはここなのに、ちっとも具体的に説明しないではないか。空間四次元でさえようやくイメージできるだけなのに、それよりもさらに5次元上の世界をどうイメージしろというのか。いい加減過ぎて笑えない挿画がついていたけど……。

19日
ローズマリー・サトクリフ『剣の歌』
(山本史郎訳・原書房)
 9世紀の北部世界を舞台に、キリスト教徒を殺したために追放された少年が五年にわたって剣士として働き、成長していくさまを描いたジュヴナイルのための歴史冒険小説。《サトクリフ・オリジナル》と銘打たれたこのシリーズの中で、シリーズ名にふさわしいと言える唯一の作品であり、またいちばんおもしろい。ただしファンタジーではない。

薫若雨『鏡の国の孫悟空』(荒井健・大平桂一訳・東洋文庫)
 1640年に書かれた荒唐無稽なパロディ。全体としては夢の物語化といっても良い感じで、《アリス的小説》と惹き句にあるのも故なしとしない。風変わりな作品。東洋文庫700冊目だそうである。

ポール・ヴィリリオ『情報エネルギー化社会~現実空間の解体と速度が作り出す空間』(土屋進訳・新評論)
 カバーがおもしろく、目次を見たらSF的な本なのだと思われたので買ってみたが、全然違った。これは世界の速度についていけない老人が、繰り言を述べた(警鐘を鳴らすとも言う)本なのだ。哲学のおもしろさは感覚的なことを理詰めの言語に言い替えていく、そのダイナミズムにあると思うが、本書には私はそれを感じなかった。平板に著者の世界認識が並んでいるという印象である。なお訳者のソーカル事件に関する哲学側の弁護(言葉をどう使うかについての立場の違い)は的はずれであり、ソーカルの問いに答えず、またこの事件全体の問題点(ソーカル側のも含めて)を隠蔽するだけだ。

20日
『アイスランドのサガ』
(菅原邦城・早野勝巳・清水育男訳・東海大学出版会)
 「赤毛のエイリークル」など、中篇五つを収録。復讐や戦いの物語。ファンタスティックというものではない。

スティーヴン・バクスター『マンモス~反逆のシルヴァーヘア』(中村融訳・早川書房)
 現代のシベリアに生きるマンモスが人間に捕らえられるまでを描いた動物ファンタジー。人間のごとき意識を持ち、恐竜時代からの伝承を伝える知的生物として描いている。意識ある動物と人間とが生命のやりとりを含んで接触するものは白けて読めない、毎度のことながら。

22日
江波戸哲夫『成果主義を超える』
(文藝春秋)
 一流家電メーカーのホワイトカラー評価制度を検討したもの。(京)

斎藤修『江戸と大阪』(NTT出版)
 江戸時代の都市形成と人口・就業について論じた一冊。前掲書と併読するとおもしろい。(京)

レイナルド・アレナス『夜明け前のセレスティーノ』(安藤哲行訳・国書刊行会)
 10歳の詩を書く少年の内的世界をつづる作品。心象風景的な作品なので物語よりも詩に近く、きっと翻訳ではどうにもならないのだろう。スペイン語は音が美しいと言われているのだから。

木崎さと子『緋の城』(新潮社)
 初めてこの作家を読んだ。二度と読みたくない。(京)

村松友視『ある作家の日常』(河出書房新社)
 タイムループあるいは未来の幻視ネタの「菩薩の首」のほか、現実が曖昧になっていく諸作を収める。全五編を収録する短篇集。私小説めかした作品の中で、過去の女関係を入れたがる男の作家の気持ちがいまいちよくわからない。サーヴィス精神というものだろうが、それだけでもないような。また、作家の価値などおしなべて二束三文に思われる世の中でも、作家が主人公というのはまだアピールするのだろうか。あるいは単純に他人の人生ということで読者の覗き見的興味を引くことができるのか。すべてがフィクションでも、ノンフィクションめかしてあることが大事なのだろうか。まあきっとそうなのだろう。作者はそれなりの作品を書く人なので、読んでいらいらするということはないが、特に興味を持てる話でもなく、「菩薩の首」なんかもうまいものだが、技法的にもテーマ的にもどうということはなく、総じてこんなものかというところ。

グレアム・スウィフト『ウォーターランド』(真野泰訳・新潮社)
 非常にがっかりした。歴史の教師が、過去を語る。どうやら生徒に向かって。教師の一人がたりであるからには、生徒に語っているということや生徒との交渉なども本当のことのかどうかはわからないが、もしも本当だという設定で書かれているのなら、薄気味悪いし、ただの妄想なら妄想で、よりおぞましい。身内に嫌悪感だけがあふれる。
 妻がショッピングセンターから子供をさらってきてしまう。彼女は精神的に変調を来している。それが引き起こされる遠因となった過去について語る。ついでに一族の歴史についても。もしもこんなものを授業中に聞かされるとしたら、この教師を殴り倒して、学校をやめた方がまし。生徒の口を通して教師批判もなされるのだが、理路整然と教師は反論するし、また子供たちの批判もあとの段落で覆される。結局こんな教師を肯定するわけか。当然のことながら語り手には感情移入できないので、この全体は作者が書き上げたもの、ということを意識して読んでいかざるを得ない。とてつもなくつまらないではないか。批評家としてしか読めない(その意味では評価できることもある)小説は、私の内心ではゴミ箱行きなのである。
 この教師が切り刻まれてドブに打ち捨てられるというほどの無惨な目にあうようにと願いつつ読んだが、まったくそうはならなかった。当り前だが。

23日
須永朝彦『美少年日本史』
(国書刊行会)
 日本の美少年総ざらえ。語り口調で書かれていて、軽妙なユーモアのあるところがとてもよい。数年前まですべて記憶に頼ってメモも何も取っていなかったという須永さん。これだけの知識をいったいどうやって蓄えておけるのか、まったく驚いてしまう。
 で、伊藤彦造の絵がね、いいの。この人の絵でナルシスなんかに初めて出会った私としては、美少年というのはこういうイメージなわけ。いそうでいない美形の夢。

『ロード・オブ・リング』を観る。人からいろいろと聞いてはいたので、期待はしていなかったが、現実に観てしまうと、自分ならこんな映画にはしない、という気分ばかりが強まる。サルマンの設定を除けば原作通りでいろいろとはしょっているが、ともかくも『指輪』を映画化したのだ、とは言えるだろう。しかし、フロドが子供であることやその他のホビットの扱いが軽いことは気になる。それにエルフはまるでエルフに見えないし。まあまあ見られたのはレゴラスぐらいか。唐突に現れる友情という言葉にも面食らう。レゴラスとギムリの友情は、原作ではなかなかおもしろいエピソードとして描かれているけれど、映画では一切描かれていないじゃないか! 原作を読んでいない人にはわからないよ。サムの扱いがいい加減で、長男の読みによれば、最後の旅はサムが引っぱるのではなくフロドが中心になってサムは支えるだけになるだろう、ゴラムに噛みちぎられるのもなしじゃないか、と。まあ後者はないにしても、前者はそうなるかもね。
 ところで、躍る小馬亭の騎手のシーンはアニメにとても近かったですね。こういうのって意識して作っているんだろうか。

4/7長男がバクシの『指輪物語』のDVDを借りて来た。こんなものが出ているとは! 改めて見直すと、宿屋の場面はとても近いというよりは似ているというもので、その他のカットにもっとそっくりなものがたくさんあった。黒の騎手がフロドを探すカットや集団で追うシーン、川で溺れさせるシーン、裂け谷やシャイアの美術など、まったく同じ。ほかにもたくさんの似たシーンがあってショックだった。20年以上前に一度観たきりだとはいえ、こんなに似ていたら、アニメを思い出しても良さそうなものだが、そんなところはまったく思い出さなかったのだ。バクシ版で何より印象に残っているのは、キャラデザの悪さと、実写合成で特殊効果を使った敵の描写のひどさ。しかし今回パソコンでコマ送りで見直し、背景や色調の美しさと、合成での特殊効果を手間ひまかけてすごく頑張っているところに感心してしまった。もちろん作品としてはまったくダメなのだが。
 というわけで、今回の映画はアニメを意識したというより、アニメに影響されすぎと言えるのでは。原作もアニメにもない新機軸としては指輪をはめた時の世界を描いてることが挙げられ、そのシーンはいかにも乙女の祈りの監督らしいのだけれど、こんなに恐怖に満ちた世界で描くのはヘンだろう。というわけでやっぱり良い評価はくだせないのであった。
24日
ロベルト・シュナイダー『眠りの兄弟』
(鈴木将史訳・三修社)
 19世紀の初め、オーストリアのスイス寄りの寒村が舞台。精神的に歪んだ人々や畸型が多く住まう偏狭な田舎に生まれた音楽的天才少年ヨハネス・エリアス・アルダーの短い生涯を描く。マジック・リアリズムとはちょっと違うが、異様な感覚で描かれた蹉跌の物語。

ウィリアム・モリス『アイスランドへの旅』(大塚光子訳・晶文社)
 サガの地を尋ねたモリスの感激にあふれる紀行文。ここがグレティルの生まれたところ、グレティルが追放されて暮らしたところ、グレティルが敵を追ったところ……とあらゆるところにサガの痕跡を見出す。旅の途上、モリスはビョルンのサガ一篇をほとんど間違えずに朗誦したのだとも書かれている。モリスのサガへの愛情がよく理解される。紀行文としても一級品。

ルドー・J・R・ミリス編『異教的中世』(武内信訳・新評論)
 編者のほか五人の執筆者が中世のキリスト教世界にどのような異教的なものが見られるかを考察したもの。驚くようなことが書いてあるというわけではまったくなく、時折、これは考えたことがなかったと思うようなことが見られる程度。つまらなくはなかった。

25日
山田真美『夜明けの晩に』
(幻冬舎)
 失われた十支族のひとつが日本人、ヘブライ起源の日本の言葉がある、猿田彦は外来の神、などのネタを用いた長篇小説。上下二巻で、予知夢を見る聡明な美少女が主人公。冒険小説というには足りず、サスペンスなどはない。学園もの恋愛もの……どれも違う。偽史ものとでも言えばいいのか。(京)

ロンダ・シービンガー『ジェンダーは科学を変える!?』(小川眞理子・東川佐枝美・外山浩明訳・工作舎)
 科学的分野における女性差別の歴史と現状を概観する。差別には二つの方向があり、女性科学者の差別と科学研究にジェンダーのバイアスをかけることがある。著者はフェミニズムを範囲限定的、また中立公正的に扱おうとしていて共感できるが、同時にこのように細心の注意を払わないと、逆差別や人種差別等の問題に当たって何らかのクレームがつくからなのであろうとも思う。フェミニズムというのはたいへんな隘路なのだ。
 いずれの事例についても、特に目新しい話題はなかったが、医学の薬物実験の問題や医療現場の統計の偏りといった問題は、ふだん注意を払っていないので、考えさせられた。男性白人のみを追跡調査の対象としているなど、常識的には思い及ばない。また生物学・人類学などにジェンダーが影響している例はともかく、数学・物理学についても同じ項目立てがあって、おおっと思ったのだが、残念ながら、この分野の研究はほとんどなされいないらしく、単に女性が数学が苦手だということへの反論を展開するにとどまっている。私見では数学と物理学においては、ジェンダーよりも宗教の方が大きな問題であると思う。大統一理論を始めとするシンプル=唯一絶対神という発想は完全な宗教的バイアスというものであって、むしろ民族文化の方から異議が唱えられてもいいのではないだろうか。

26日
ツルティム・アリオーネ『智慧の女たち』
(三浦順子訳・春秋社)
 合衆国出身でチベット密教の修行僧となり、還俗後にも宗教活動を展開している女性による、チベット女性覚者評伝。というよりも奇跡譚を含んだ物語集。六人の女性たちの物語に加え、著者自身の経験とチベット密教に対する考え方が述べられている。

神宮輝夫・野上暁監修『暗くなるまで夢中で読んで』(原書房)
 アトリエOCTAで刊行した井辻朱美さんの『風街物語』が取り上げられている。照会に答えたため、本が丁寧にも送られてきた。日本の現代児童文学から年齢別にセレクトされている。ファンタジー童話に偏っていて、だからこそ『風街』なんて選ばれたのだろうし、ありがたいとは思うけれども。私ならもっとリアリズムの童話を入れたセレクションにするだろうし、たぶんハリポタが出る前ならそうだったにちがいない。また、氷室冴子が二冊もあるのに、先頃亡くなった上野瞭の傑作が入らないのはなぜだろうとか(たぶん本が手に入らないのだろうな)、こういうベストのセレクションにつきものの不満が出てしまう。だいたい児童文学の専門家でもない私の知らない作家・作品が一つも入っていないというのは、問題ではないか? 硬派だけどおもしろい、これはびっくり、というものも選んでよ。もっとも児童文学系のファンタジーをまったく知らないのだが興味あるという人には、手引きにはなるだろう。
 自分でもやっているからよくわかるのだけれど、こうした編者でない人間の気楽な批判というのは、非常に腹立たしいものだ。わかっていて落している作品もたくさんあるわけだしね。この批判はあるだろうと予測しつつ出したものに、その通りの批判をされると、当然のこととは言え、やっぱりげんなりしてしまう。でも稀にはまったく思ってもみなかったことを教えられることもある。まあそんなものだ。

27日
篠田真由美『東日流妖異変』
(祥伝社ノン・ノベル)
 『龍の黙示録』続篇。津軽にいる吸血鬼的な美神をめぐる話。キリストの墓伝説などを巧みに用いている。山田真美『夜明けの晩に』と一部ネタがダブるわけだが……エンターテインメントの小説というのは、こういうふうに素材は消化して別の形にしてからから使うものなんだよ、と誰か山田さんに教えてあげて欲しい。
 東北のキリストというと、私など、諸星大二郎の「ぱらいそさいくだ」が強烈で、あの地をネタにしたもので、あれ以上のインパクトのものに出会ったことはない、と感じる。好みの問題もあるだろうけど。


3月の雑感
 前半は『種村季弘の箱』製作に明け暮れた。青焼きが出来たと思ったら、出力が不備だらけで(製版屋さん曰く、指令が多過ぎて機械がパニクった)、修正に手間取り、出来がすっかり遅れてしまった。これを書いている今は書店に並んでいるけれど、本当は3月25日出来の予定だったのだ。というわけでその校正などにも手を取られ、なかなか落ち着けなかった。やれやれ。
 『種村季弘の箱』は瀟洒な装幀に仕上がっているが、これはオブジェ製作の勝本みつるさんとともに、白井さんというデザイナーの手腕。とても丁寧に仕事をなさるので、敬服してしまった。中のデザインにも相当苦労したが、西村有望さんに助けていただいて、ちょっと綺麗にできたかなと思う。こういう造りのものは『幻想文学』ではすごく珍しいので、そういう点も見ていただければ幸いである。