藍読日記 ☆読んだ本と『幻想文学』関連の情報、その他の情報をお届けします。         2003/7/5更新
★読書メモについては主観的かつ恣意的な趣味に基づく書き散らしです。文責はすべて石堂藍にあります。
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2002年4月


4日
リチャード・パワーズ『ガラテイア2.2』
(若島正訳・みすず書房)
 ジョン・バースみたいなメタノヴェル。つまり自分の作品についてうるさく語る。私は前に、パワーズは自分の書いているものを分かって欲しくて自作について繰り返し説明するのだろうと言ったことかあるけれど、これはどうやら彼の性癖のようだ。この作品は分析対象としては非常におもしろいのだけれど、つまりこれについて何かを書こうとすればいろいろと書くことがあるのだけれど、ただの読者にとってはさほどおもしろくもないだろう。もっともファンにはおもしろいかも。本当に自伝的な要素があるらしいから。基本はSFなんだけど、その部分の切り込みが浅くて、SFとしてはつまらない。
 で、本の内容とはまったく無関係に感動したことが二つ。まず、あちらの大学ではちょっと名の売れた純文学作家のために、何もしなくていいようなポストがあるということ。日本の大学にもあることはあるが、それはおおむね講師であって、なんかちょっと違う。もう一つはあちらの大学の卒業試験のレヴェルの高さ。というのは難しいことを問うという意味ではなくて、文学の試験の課し方にきちんとしたセオリーがあるということ。それはきわめて具体的で実際的な感じだ。こういう試験を通らなければならないとなったら、日本の学生も勉強するだろうに! きっと文学に限らずそうなんだろうなあ……。また私の大好きなロセッティの短詩が引用されていた(詩で全文引用されたのはこれだけ。たぶんすごく短いから)。

5日
マルコ・ベルポリーティ編『プリモ・レーヴィは語る』
(多木陽介訳・青土社)
 インタビュー集。レーヴィの著作よりはおもしろくないが、興味深い点も多々あった。

6日
岩井志麻子『自由戀愛』
(中央公論新社)
 帯の引き句から連想されるような邪恋もの、不倫ものではない。そういう側面もあるが、これは女性の自立をめぐる物語で、一種のフェミニズム文学である。ただ、分量が無い。(京)

笹倉明『ほのおの保育物語』(作品社)
 すごいタイトルだが、奈良女高師(奈良女子大学の前身)卒業後、幼稚園教育に生涯をかけて打ち込んできた広岡キミヱの評伝。経験的には幼稚園というのはたいへんに大事な場所であると感じる。まあ小学校も大事だが、幼稚園の存在は子育てをするうえではたいへんに大きかった。著者の幼児教育の取り組みはたいへんにすごいもので、これをやるのは並大抵の労力ではない。こういう女性の先達に支えられてきた部分があるのだとも思う。ただ、園児が大きくなると保育者を覚えていないというエピソードが紹介され、あとがきで著者が無償の愛情、与えっぱなしの愛情を注ぐというのはすごいことだと言っているが、これはまったく奇妙な論理でまちがっている。なぜなら、子育てでもそうだが、子供たちはその現場で、たくさん愛し返してくれるからである。幼稚園の先生が大好きという子供のなんと多いことだろうか! 大きくなって忘れてしまうからと言って、それが見返りなしの行為だと言えるわけがない。また親だって、お世話になった当座、例えば子供が幼稚園でなにがしかの喜びを得たのなら、それを感謝しないわけがあろうか。忘れられてしまうのがショックだというのは、すごくすごく変だ。先生だってすべての子供を覚えているわけではなかろう。あとあとまで先生のことを覚えていて恩師として感謝しろとでもいうのだろうか。それは呆れるほどに傲慢な発想ではないか。(京)

7日
高橋たか子『この晩年という時』
(講談社)
 自伝的なものを含むエッセイ集。修道者としての意識が本当に強い。著者にとっては修道以後の小説は、いわば小説ではないのだ。また、ヨーロッパ、殊にフランスへの思い入れの強さに驚く。これはやはり世代的なものなのだろうか。(京)

後藤文夫『痛みの治療』(中公新書)
 痛みに関するミニ赤本のようなもの。本書には無痛覚症の危険性について、死にやすいということも含めて述べてある。以前『神のふたつの貌』について、無痛覚症もミステリのネタでしかないのかと言ったが、ミステリのネタ(動機)になんて、まるっきりできていなかったのだ。あほらしい。(京)

佐木隆三『三つの墓標』(小学館)
 坂本弁護士一家殺人事件を題材にしたドキュメンタリー・ノヴェル。素材が素材だけにいわく言い難いものがある。実行犯たちは殺された村井を除き、結審した全員が極刑が言い渡されている(控訴中の者もいる)。
 弁護士の妻都子さんは私と同年齢、赤ん坊の龍彦くんは私の次男(中学生)と同じ歳なのである。一歳の頃の話だ。赤ん坊だけは助けてと都子さんが言ったことが供述書の中に何度も出て来る。暗澹たる気分にならざるを得ない。(京)

8日
ダイアナ・ウィン・ジョーンズ『トニーノの歌う魔法』
(野口絵美訳・徳間書店)
 クレストマンシー・シリーズ第四弾。本来なら二冊目だが。また気弱な少年が主人公だが、今回は珍しく「やな感じの少女」が出てこない。敵が女悪魔だけど。おもしろいシリーズなので、四冊しか書かれていない(短篇集が一冊あってこれも翻訳されるようだけど)なんて、とても残念。bk1

ジョン・ベレアーズ『鏡のなかの幽霊』(三辺律子訳・アーティストハウス)
 《ルイスと魔法協会》シリーズの四冊目。魔力を失ってしまったツィマーマン夫人とローズ・リタが過去の世界で冒険を繰り広げる。おもしろいのだけれど、もう少し厚くて、書き込まれているとなおいいのだが。

14日
ロバート・ジョーダン『黒竜戦史2』
(斉藤伯好訳・ハヤカワ文庫FT)
 マット、闇セダーイの動向とナイニーヴたちの状況。ほとんど進展無し。

17日
テリー・イーグルトン『ボスモダニズムの幻想』
(森田典正訳・大月書店)
 ポストモダニズム批判。文芸評論ではなかった。皮肉な言い方を多用するので、何を言いたいのか判断に迷うところがある。イーグルトン自身ポストモダニズムの評論家だったわけだから、素直になれないところもあるのかもしれないし、アイロニックな言い方は翻訳の仕方によっては、正反対の意味になってしまうこともあるだろう。また、どうもポストモダニズムが反発を食うのは、言い方がやけに文学的、と言って悪ければ詩的であるためらしいということもわかる。発話者は詩的な装飾(浅薄な意味に受け取って欲しい。科学的分析とは対照的な仕方)によってしゃべるが、それを社会科学だなどと言っているので、どこが? と言われてしまう、というような、まあサイエンス・ウォーズと似たような状況となる。で、あとがきを読んだら、思想というのは西欧では新ジャンルなのだと書いてあった。つまり、文学なのに一見そうじゃない感じなのでみんな騙されたということか? ともあれ、本書は常識論で、そんなにおもしろくもなかった。批判術のお勉強と思って読めばよいか。

迫光『シルヴィウス・サークル』(東京創元社)
 ミステリ。1930年代のパノラマ的見世物の中で起きた殺人事件をめぐる話。昭和10年前後の話だが、単に現代の話にしか読めない。人の意識は時代環境で異なるものだ。そういうところを描くことに挑戦して失敗しているというならまだしも、そんなことはまったく関係なく、ミステリ的要請によって書かれていると感じる。そういうものを私はおもしろいとは感じない。ミステリとしての評価は私にはわからないが、少なくとも、感心はしなかった。探偵役が突然秘密の部屋を開けてしまったりするのは問題外ではないのか?
 皆川博子さんが解説で「ゴシックロマンの味わいをもった」と言っておられるが、どういうところがどういう意味で? 皆川さんにとってのゴシックとは何だろうか。

山下柚実『五感生活術』(文春新書)
 現在、人間の五感に起きている問題と、それを活性化させようという提案。この人の本は前にも取り上げたけど、リサーチが浅い。(京)

宮原昭夫『シジフォスの勲章』(河出書房新社)
 重度障害者の母親たちの活動を描く小説。

赤瀬川原平『老いてはカメラに従え』(実業之日本社)
 エッセイ付き写真集。いや写真付きエッセイ集か。トマソンとか日常の何げない風景、一瞬驚かされたもの、ちょっといいものなどとそれを撮ったときの状況、雑感などが記してある。(京)

テリー・グッドカインド『魔石の伝説2』(佐田千織訳・ハヤカワ文庫FT)
 光の信徒が出現し、服従を迫るが……。《時の車輪》とは違って、話があまりにも緊迫しているので、この刊行ペースで七巻も続いたらたまらない。せめて五冊にして欲しかった。それにしてもこの分量でこの定価とは。一冊のペーパーバックの翻訳が4500円というのはどんなものだろうか?

18日
新井政美『オスマンVSヨーロッパ』
(講談社選書メチエ)
 オスマン・トルコ史をヨーロッパとの関連(オスマン帝国の版図拡大)を中心として語る歴史書。なかなかおもしろい。(京)

千田稔編『海の古代史』(角川選書)
 日本海、東シナ海、南シナ海、黄海、渤海をあわせて東アジア地中海という一つの文化圏と見なそうという考えのもとに出された研究テーマをまとめたもの。(京)

倉橋由美子『よもつひらさか往還』(講談社)
 魔法のカクテルで不思議な体験をする話。一人の少年が女性たちをめぐって……というパターンの連作短篇集。それぞれの作品に詩歌・故事などの蘊蓄が入っている。個人的にはおもしろいとは思えないが、普通の幻想文学読者にはまあまあおもしろいのでは、と思う。

19日
『トマス・ド・クインシー著作集』
(国書刊行会)
 小説六篇を収録。南條竹則訳『エスパニヤ尼侠伝』がすばらしかった。内容もさることながら、62号インタビューで「落語の感性」と自らを語る南條氏ならではの翻訳だと思う。また横山茂雄の解説がたいへんに上質で楽しめる。同人訳による「ハイチの王」はギャグ小説なのだが、設定のあまりのあほらしさに、笑うに笑えない。しかしこの作品の仮面舞踏会のシーンは非常におもしろい。「クロースターハイム」の仮面舞踏会とともに、ポー「赤死病の仮面」との関係が指摘されているものらしい。ただ、この集中最も長大なゴシック風小説「クロースターハイム」がダメな作品だったので、がっかりではあった。

20日
皆川博子『冬の旅人』
(講談社)
 幕末生まれの女性が洋画に魅せられてロシアに渡り、波瀾の生涯を送るという物語。ヴールベリ、ラスプーチン、トレチャコフが出て来る歴史伝奇ともいうべきもの。一言ではとても評せない作品。ロシアの画家による「岩の上に坐る悪魔」がヒロインのすべての動機のもととなっているのだが……私はこの絵のタイトルが出て来たとき、年代的にはあわないものの、あれをイメージしているのだろうか、と思った。カバーにヴールベリを使っているからなおさらである。「坐せるデーモン」を私はかなり鮮明に思い出せるのだが、それはあまり一般的ではないだろう。とすると、そのイメージにひきずられつつ読むということと、その絵を知らぬままに読むことでは大きな差があるのでは? 実際にカバーにもその絵ではない絵が使われているわけで、それは現実の絵とは離れて読んでくれということか?などといらぬことを考えてしまったりする。これはまったく余談の部類。歴史小説ではこうした知識のあるなしによって与えられる印象が違うのはあたりまえのことである。とにもかくにも興味深くは読んだ。

21日
久世光彦『あべこべ』
(文藝春秋)
 連作短篇集。初老の男の性的・官能的な幻想体験を弥勒さんという不思議な女優との関わりにおいて描いたもの。こういう小説をおもしろいと思うのは、やっぱりある程度年齢のいった男性なのだろうか。わからない。松浦寿輝とか好きな人にはおもしろいのかも? 私はパスだ。少なくともフェミニスト向けの小説とは言い難い。
 何にでも点数をつける若いフランス文学専攻の文芸評論家というのが出て来る。こいつの品性がきわめて下劣。もちろんこの作品は、私小説風の作りにしているけれど、フィクションである。

杉谷綾子『神の御業の物語』(現代書館)
 スペインの古代、中世における奇跡譚を歴史的に検討したもの。文学というよりは宗教史・民俗史的な作品。

23日
ルディ・ラッカー『フリーウェア』
(大森望訳・ハヤカワ文庫)
 『ソフトウェア』『ウェットウェア』に続く作品で、モールディという寿命の短い人工的生命体が中心の話。スリ・ラマヌジャンという天才的数学者が登場するが、ちょっと性格的に問題あり(どうしていつもこうなの!)。ただのバカ話よ。だから、これまでラッカーを読んだことがないという人には勧めません。マジメな人向きでもありません。これは趣味の合わない人には読めないような本。でもラッカーの長篇って全部翻訳されている。ということは一定量のファンはいるわけだ。今は『ソフトウェア』以外の在庫はないようだが。私は『ホワイトライト』が好きだ。『セックススフィア』や『時空の支配者』はあまりにもオバカなので、真っ当な人には到底薦められないし、「私はラッカー・ファンだ」と言い切るような度胸も持てない。

24日
アイリーン・ヨー編『フェミニズムの古典と現代』
(永井義雄・梅垣千尋訳・現代思潮新社)
 ウルストンクラフトを中心に論じた評論集。バーバラ・テイラー「神の愛のために」が信仰の問題などを扱い、秀逸。

加藤典洋『ポッカリあいた心の穴を少しずつ埋めてゆくんだ』(クレイン/平原社発売)
 近年新聞などに書いた雜文集。(京)

米原万理『旅行者の朝食』(文藝春秋)
 料理をめぐるエッセイ集。まことに軽妙で楽しい。ハルヴァという幻の菓子をめぐる話に興味を引かれた。レシピが書かれているが、これではとても美味しそうなものにはなりそうにないのだ。ところが最後の最後でこの菓子の秘密が明かされ、とても自己流では作れないものだとわかる。うーん、これは美味しそうだ。(京)

25日
浜たかや『南総里見八犬伝』
全四巻(偕成社)
 馬琴の作品の脚色。かいつまんでちょいと手を加えたというようなもので、まあまあおもしろく読めてしまう。山本タカトの挿画は古典的な美少年!

キャサリン・ロバーツ『アースヘイヴン物語』(金原瑞人訳・角川書店)
 ユニークな設定の魔法世界をこの世の裏に配したファンタジー。『ライアルと五つの魔法の歌』の著者で、前作と同じ長所、同じ欠点を持つ。つまり、世界の独創性はすばらしく、キャラクター設定も凡庸ながら悪くはない。しかし物語運びが中盤から甘くなって薄まってしまい、結局、安易な成長物語になってしまう。訳者は「あらけずり」と言っているが、これが初心者ゆえの欠点であるとしたら、期待できる新人であると言えよう。だが、ハリー・ポッターが最初から物語としてあれだけ完成していることを考えると、そんなふうには希望を持てないか。

バーナード・ミーハン『ケルズの書』(鶴岡真弓訳・創元社)
 『ケルズの書』の詳細なイコノグラフィー。しかし完全なものではなく、一部にとどまる。興味深いところも多々あるが、それだけに物足りなくもある。

26日
マリオ・ヤコービほか『悪とメルヘン』
(山中康裕監訳・新曜社)
 メルヘンのユング心理学的解釈集。治療(失敗)例など。悪というよりは影というか暗い領域というか。そういうものに対処する過程を描くものとしてメルヘンを捉える。教科書みたいなもので、つまらない。

鬼頭宏『環境先進国江戸』(PHP新書)
 江戸時代を中心に日本の経済と人口、生活環境などを見ていくもの。(京)

宇都宮健児『消費者金融』(岩波新書)
 サラ金についての詳細な報告書。サラ金への認識を深めてもらうための知識とともに、具体的な対処法や法律の提案も。(京)

福井貞子『絣』(法政大学出版局)
 《ものと人間の文化史》の一冊。絣の歴史、技術、模様の詳細、製法などを述べる。殊にその歴史はたいへんに感動的。(京)

27日
アミール・D・アクゼル『「無限」に魅入られた天才数学者たち』
(青木薫訳・早川書房)
 カントールの集合論、連続体仮説を中心に、無限という概念が数学の中に定着してきた歴史をたどる。既知の話ばかりだが、神観念なども持ち込んでいるところはなかなかおもしろい。ラッカーの『ホワイトライト』というのはこのカントールと無限をネタにした神秘系小説。

ヴェスタ・サーコーシュ・カーティス『ペルシャの神話』(薩摩竜郎訳・丸善ブックス)
 タイトル通りの本だが、きわめて薄く、内容的にもかいなで。神話由来の習俗などにも触れているが、まさに指先で軽く、という感じであり、これで二千円はないだろう……。最近は本当に本が高すぎる。

28日
五十嵐太郎『近代の神々と建築』
(廣済堂出版)
 講談社現代新書と違うのは、神社建築をめぐる言説についてのエッセイがあること、特に国内ばかりでなく植民地も扱っていることと、カオダイ教やカルトについての簡単なエッセイがあること。宗教的なものと日常ということについて、いつでも考え続けているみたいなところが好き。

29日
ブライアン・ステイブルフォード『ホームズと不死の創造者』
(嶋田洋一訳・ハヤカワ文庫SF)
 前作『地を継ぐ者』よりも三世紀ほど後の話。ミステリ風の設定で、連続殺人が起きるのだが、いわゆる本格ではないので、単にサスペンスを楽しむという形になる。しかし殺害されるのが、ほとんど死んでいるような年寄(200歳近い)ばかりで、動機も最後の方までよくわからないので、サスペンス性ということではまったく話にならない。文学的お遊びもあるが、マニアックなものではなく、ちょっとしたSFファンタジー読者なら知っているようなネタなので、衒学的という感じすらしない。前作のような秀逸なイメージもない。オスカー・ワイルドとマイクルという二人の美青年のキャラだけでもっている小説。

北野勇作『どーなつ』
(早川書房)
 人工知熊(じんこうちぐま)の話。時系列をばらばらにしている、あるいは作品世界の設定上の要請としてそうなっているので、どこか夢のようである。『かめくん』などの姉妹篇。

ミシェル・タルデュー『マニ教』
(大貫隆・中野千恵美訳・クセジュ文庫)
 マニ伝、マニが拠った宗教・思想、マニの教えなどについて概説。クセジュのいつものことだが、入門書とも言えず、詳しすぎるということもなく、変に細部にこだわる。ある程度の知識のある人向け。

★「上海アニメーションの奇跡」を観に行く。連休ということもあって、満員だった。映画で観るのは久しぶりだけど、LDを持っている作品が多いので、新鮮な感じはない。切り紙の「猿と月」は初見。この作品の最中に子供が泣きだした。可愛らしいアニメなのにどうして? 1963年作の水墨画アニメ「牧笛」、1979年の「ナーザが海を騒がす」は古典的作品として有名なので観ている人は多いはず。なにしろNHKでも放映されたのだから。個人的には、季節の移ろいを背景に、音楽の伝授を描いた「山水情」が好き。琴の音も美しい。五月半ばくらいまではやっていると思うので、興味のある方は渋谷のユーロスペースまでどうぞ。

30日
セガレン『ルネ・レイス』
(黒川修司訳・水声社)
 日記形式の小説。北京で語り手が出会った中国語に堪能な青年ルネ・レイスの物語。レイスは驚異的な紫禁城での冒険を語り手に打ち明ける。といってこれはファンタジーではない。帯に言うようにミステリに近いかもしれない。実話に基づいている話である。
 私はフランス語がまったく出来ない。下記の文は、誤訳かどうかはわからないが、とにかく何を言っているのかわからない。
 「もし、ぼくが「歴史的」に数えるならば、隆裕夫人は、彼女だけで38から40才になるはずだ。彼の方は18にも満たない。年代的な確率は高い!」
 このような文章はほかにはあまり出てこない。しかし、全体が謎めいていて詩的な雰囲気をたたえた作品で、このような翻訳文が許されるのだろうか。4500円もするのだぞ!

小沢正文・ヘルマン・セリエント画『フェイク』(パロル舎)
 絵本。絵に文章をこじつけたもの。いまいち。

コルネーリア・フンケ『どろぼうの神さま』(細井直子訳・WAVE出版)
 ドイツの作家だがヴェネツィアが舞台。家出した子供たち、孤児などが数人寄り集まって暮らしているという設定。一人がいろいろなものを盗んできては換金して暮らしている。彼らのうちの一人を探す養親がいて……。決まり切った設定だが、妙に歪んだところもあり、ファンタジーにもなっている。

島田雅彦『フランシスコ・X』(講談社)
 フランシスコ・ザビエルが主人公の小説。歴史物というより、諷刺小説に近い。分量も内容もきわめて薄い。こんなものを書いてどうするのか? 雑誌に連載するのはいいけど、本にしないでくれよー。

ムロージェク『鰐の涙』(芝田文乃訳・未知谷)
 社会諷刺的、不条理的掌篇集。90-93年の作品を集めたもの。ポーランドの現実に触れていない私には、何言っているのかよくわからない作品が多過ぎ。「面白い面白くない、分かる分からない、これは、皆様の手持ちの鍵の多様性の問題。」と出版者側は開き直っているが、少なくとも「所長」は官僚主義をよく知っている日本人にも笑えるものだった。今度のは共産主義ネタが多過ぎ。それに例えば、民主主義にはなったけど、貧しさは変わらない、という諦めきったような口吻に、どう笑えばいいというのだろう。それこそ知識のかけらもない人間が寓意を一切廃して、その馬鹿馬鹿しさ加減に笑うとか?


4月の雑感 『指輪物語』がやけに評判になっている。映画はまだ混んでいるらしいし、『ユリイカ』でも特集するし、ほかにもいろんな本の出ること。『幻想文学』でもファンタジーの特集をしようと編集長が言ったので、「幻想の動植物」という特集になった。しばらくはそれ関連の本を読むが、数が多くて面倒なので、ここには書かない。心ある人は『幻想文学』を参照して下さい。取り上げなかった本だけ、そのうちにまとめて御紹介します。