藍読日記 ☆読んだ本と『幻想文学』関連の情報、その他の情報をお届けします。         2003/7/5更新
★読書メモについては主観的かつ恣意的な趣味に基づく書き散らしです。文責はすべて石堂藍にあります。
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2002年6月


7日
スーザン・ヒル『ぼくはお城の王様だ』
(幸田敦子訳・講談社)
 母のいないエドモンド・フーパーは曽祖父の作った田舎の大きな屋敷に暮らしている。父とはしっくりいっていない。それを言うなら誰とでもそうで、孤独の殻の中にいる。そこに母と二人暮らしのチャールズ・キングショーが越してくる。父と母は仲よくなるが、息子たちはそうはいかない。エドマンドは陰険きわまりない仕方で相手を支配しようとする。チャールズは次第に追いつめられていく……。
 安定しない生活から抜け出るため、伴侶を獲得することを焦るあまり子供のことに気を払わない母親のせいで、子供はより一層追いつめられてしまうのが哀れである。暗く悲惨な話。帯には「少年の邪悪な魂、それをもあなたは愛してしまう」とあるのだけど、なんだろ、これは。そういう話ではないだろう。
 著者の名前に覚えがあると思ったらオーソドックスな怪奇長篇『黒衣の女』の書き手だった。この『ぼくは……』もまたある意味でオーソドックスな悪の少年ものであるが、三十年前の作品だと考えると、古びていないことも事実で、こうしたゴシック風の定型には時間を越える力があるのだと思わされる。

ウィリアム・モリス『不思議なみずうみの島々』
上下(斎藤兆史訳・晶文社)
 二月の奥付だが、見つけたのは最近。間に合わない。五千円も出して読む作品だとは思わないが、何でも古いものが好きな人にはいいのかも。モリス―マクドナルドと連なる線がはっきりと見えるような森の貴婦人が登場し、一人の女性の成長物語となっている。

ワイス&ヒックマン『邪空の王』(関口幸男訳・ハヤカワ文庫FT)
 設定は非常におもしろいのだけど、小説が下手である。

ロバート・ジョーダン『黒竜戦史』3(斉藤伯好訳・ハヤカワ文庫FT)
 ナイニーヴが絶対力を使えるようになりそうな気配。次が楽しみ。

ジェイ・ナスバウム『アトランティスのイルカ』
(奥村章子訳・アーティストハウス)
 マカジキの愛と死を描く作品。ゴミ。

スーザン・クーパー『コーンウォールの聖杯』(学研)
 三十年ぶりの改訂版。子供たちがマーリンの影の元で、悪の勢力と対峙するエンターテインメント。

14日
サイード『戦争とプロパガンダ』
(みすず書房)
 以前から気になってはいた本だが、範国くんが『幻想文学』のレビューに取り上げていたのに後押しされるようにして読んだ。9・11のテロ中心のエッセイなのだと誤解していたが、9・11をあいだはさみながらも、パレスチナ問題を一貫して取り上げている。私が驚いたのはアラファトに関するもので、無知だから驚いたに過ぎないが、PLO議長としての利権にしがみついているのだそうだ。本書でもアラファトは悲劇の英雄だと書かれているが、しかしその位置にあり続けるために腐っているのだ。あんなにも悲惨な状況にある国家(の体をなしていないもの)でそんなことがありうるというのはいったいどういうことなのだろう。9・11についての意見は、内容はご平凡に中立的だが、合衆国でアラブ人知識人が語っているということに意義が見いだされる。パレスチナ問題については、ジャーナリズムの責任と宣伝効果を中心に話を進めているが、日本も合衆国の情報偏重というあり方を反省するべきなのだろう。

加藤隆『一神教の誕生』(講談社現代新書)
 ユダヤ教の成立について歴史背景を主たる要因として説明する。論旨は明快で、勉強にはなった。(

安富和男『虫たちの生き残り戦略』
(中公新書)
 合理的で知能的とも思える虫たちの生活のリポート。(

小林泰三『海を見た人』(早川書房)
 SF短篇集。著者自らが電卓を片手にどうぞ、と言うぐらいにハードだが、物語としては恋愛小説や冒険小説などの形になっているので、ハードが苦手な人は、完全にオミットして読んでしまえばよい。表題作はプリースト『逆転世界』を思わせる設定で、おもしろい。

15日
『幻想文学』の誌面製作が完了したので、結局取り上げられなかった作品などについて、以下に掲げる。

『大アルベルトゥスの秘法』(河出書房新社)
 人間学から博物学、天文学まで、いわゆる自然科学のすべてが入っている書物。十三世紀ごろの成立。植物の効力について、動物の効力についてという項目には医学関連の記述、また魔術関連の記述があるが、ファンタジーに満ちている。

多田智満子『動物の宇宙誌』(青土社)
亀、鶴、いるか、馬、牛の神話伝承におけるエピソードを集めたもの。幻獣というよりは動物幻想。


荒俣宏『目玉と脳の大冒険』(ちくま文庫)
 博物学についてのエッセイ集。古典の博物学は迷信俗信入り交じったもので、西洋ではそれが二千年以上、精度を挙げつつ続いたのだということがわかる。日本の本草学や植民地への博物学的欲望についても軽く触れる。

リン・バー バー『博物学の黄金時代』(高山宏訳・国書刊行会)
 《異貌の十九世紀》の一冊。博物学流行の様をおもしろおかしく綴ったもの。

ティルベリのゲルウァシウス『皇帝の閑暇』(青土社)
 ソドムで育つ植物は見目麗しい果実をつけるが中は煙と灰である。さかさ空豆はさやが天を逆に向いているが、主祷文を三度唱えて願いながら摘むと、食す人は摘んだ人と同じ顔になる、つまり笑いながら摘むと、食べたら笑い続ける。……
 十三世紀初頭に書かれた世界のさまざまな驚異の書物。作り話もあれば、正しい記述(例えば絹の作り方とか)もあって、確かにひまつぶしにはなる。イングランド海の人魚では、今の人魚のイメージが語られる。不死鳥についてのオウィディウスからの引用とか、人狼の記述などもある。

ウィリアム・スペンサー『ゾッド・ワロップ』(角川書店)
 ハリー・ゲインズボローは童話作家。娘のエイミーを亡くしたという傷を抱えていて、一時は精神病院に収容されていた。そこで謎のドラッグを投与される。ドラッグには人々の精神を融合させるという不思議な作用があり、精神病患者と童話作家の融合から『ゾッド・ワロップ』は生まれた。奇妙な生き物たちが多数登場するこの物語がいつしか現実を侵食し始め、現実が変容していく。しかしそれは死者を呼び戻そうとするハリーの意志のもたらしたものでもあったのだ……。幻獣のこの世への出現が、それを最も象徴する。まずはぬえみずちの出現。アカエイにも似ているが、蛇のような頭が長い首の先に付いていて、空を飛ぶことも地下を這い歩くことも出来る。人間の顔を食い赤ん坊を盗み、揮発性の液体を吐き出すと炎に変わる。

野尻抱介『ピニェルの振り子』(ソノラマ文庫)
 銀河博物誌。の一冊。宇宙に出てしまえば、さまざまな生態系が考えられるし、それがSFのおもしろいところだろう。タイトルに博物誌と銘打つだけあって、主人公の少年は田舎星の標本採集人、彼が恋してつきまとう少女は画工で博物学者の卵である。大仕掛けな宇宙生物を想定しているところがおもしろい。ただ、珍しい生態系を描くことをもっぱらとしている『ハイウェイ惑星』のような探査シリーズもそうだが、整合的解釈という枷があるので、イマジネーションがいささか窮屈。そうしたもの独自おもしろさもあるので、そのあたりはバランスの問題か。
ジョーン・エイキン「海の王国」
 蛇のすべての母として竜が、鳥の母としてえそろしい巨大な鳥が出てくる。翼は真鍮でくちばしは鉄、それが羽を打ち合わせるとすさまじい嵐が起きる。人魚は青い石の目を持ち、海の王様が海を支配している。

ピーター・ディキンスン『魔術師マーリンの夢』(原書房)
 コカトリス、ドラゴン、一角獣、人狼、さらにはスキヤポドなどが登場する。しかしそれらはみんな規格外でひとひねりしてある幻獣小説集と言える。

『クルイロフ寓話集』(岩波文庫)
、ロシアのラ・フォンテーヌがクルイロフである。風刺性が強く人生訓的にもおもしろい。動物寓話は恐ろしい。イソップが与えた影響ははかりしれないというべきなのか、私たちは寓話的に動物をみてしまう。狐はずるがしこく、狼は腹を減らした残忍で愚かな生き物である、といった具合に。それは大昔からの、捕食される者であった頃からの知恵なのかもしれないけれども、

コンスエロ・アルミホ『クルリンたちのゆかいなくらし』(福音館書店)
 全身が緑色で、頭のてっぺんには耳が、下の方には足がついている。どこに住んでいるのかはわからない。とんぼがえりが得意で、いろいろな場面で、うれしいときなどにする。ムーミンのような。でも普通の人間とかわらないよね。そのムーミン・シリーズの中で最も幻想的存在は、電気を求める奇妙な生き物ニョロニョロだろう。

エリック・マコーマック『隠し部屋を査察して』(東京創元社)
 表題作の罪人の中には、人工の森を作ったものがいる。森には神樹、苺樹、生命樹、衰退樹、ユダの樹などもある。そして森に棲む動物たちは、不自然な知性にきらめく瞳、ポリフォニックな咆哮を持つ。この動物たちの描写がとてもよい。

エリック・リンクレーター『変身動物園』(晶文社)
 魔女に助けてもらってカンガルーに変身したダイナとドリンダがお父さんを助けるために奮闘する。彼女たちが入れられた動物園には、人間が変身したキリン、自由にあこがれるハヤブサとピューマ、新聞を読み葉巻を吸う灰色熊などがいる。もちろん全員人語を解する。

マルセル・エーメ『おにごっこ物語』『もうひとつのおにごっこ物語』(岩波少年文庫)
 田園を舞台に、二人の少女の動物たちの愉快な生活を描く。動物たちは彼女らだけにわかる不思議な能力を持っていて、彼女たちを助けてくれたり、またふつうの動物でも言葉を交わすことができる。

荒俣宏編著『怪物誌』(平凡社)
 幻獣と実在の動物のごったになった、あるいはそのあたりにまだ隔てがなかったゲスナー『怪物誌』、ヨンストン『禽獣虫魚図譜』、トプセル『四足獣の歴史』等々を部分的に収録。

マジシ・クネーネ『アフリカ創世の神話』
 動物が神々の使者として重要な役割を果たす。最初に人間世界へ、人間が不死であることを告げ知らせる使者としてカメレオンが選ばれる。しかしカメレオンは人間の絶滅を望む死の母の策謀によって人間の元へなかなかたどり着くことが出来ない。カメレオンの旅は自己探求の旅であるとされている。彼は旅の果てに聖なる蛇ニャンデズールーに遭遇する。しびれを切らした神は人間に死の運命を告げるためにサラマンダーを遣わす。サラマンダーは人間に歓迎される。死の伝言を伝えたのに、彼らにはよく意味がわからなかったからである。しかし死を知ると人々はカメレオンにサラマンダーを打ち倒して欲しいと願う。サラマンダーとカメレオンの争いは、破壊と創造とのたたかいの寓意である。

稲垣史生監修『江戸の大変・天の巻』(平凡社)
 渡来の珍しい動物・駱駝や象、虎の話もあるけれど、同時に三ツ目の人魚が出た、オランダ渡来の人魚というような記事がある。中国の瓦版と変わらない。こういうものって、いつまでもそうなんだろう。

ルース・スタイルズ・ガネット『エルマーのぼうけん』(福音館書店)
 どうぶつ島で囚われの身になっているドラゴンの子供を助ける旅に出かけるエルマー。ドラゴンは黄色と空色の縞縞で、金色の翼、目と角と足の裏は目の覚めるような赤である。続く巻ではドラゴンの親兄弟のこともエルマーが助ける。

カール・シューカー『竜のファンタジー』(東洋書林)
 竜の神話伝承の紹介。蛇状のものも含む。古典的なものがいろいろと入っているけれど、あんまりおもしろくはない。

『ベーオウルフ』(岩波文庫)
 八世紀成立のイギリスの英雄叙事詩。怪物グレンデルを退治して、平和裏に国を治めて五十年経ったとき、龍の宝のうち金杯を盗んだものがいて、そのために龍は怒り狂う。日が落ちると、龍は村落へ行き、炎によって報復する。ベーオウルフ自身の館も焼かれてしまう。鉄の盾を持ち、龍とたたかうが三度目の攻撃で首を噛まれ、短剣で龍をしとめるものの、自らも死んでいく。ベーオウルフ最晩年のこのエピソードは、その研究者であったトールキンによって『ホビットの冒険』に利用された。スマウグにはもう少し人間的な性格付与がされている。

ル・グイン《ゲド戦記》(岩波少年文庫)
 『さいはての島へ』では、衰弱した世界を救うために、今や大賢人となったゲドがエンラッド公国の王子アレン(ハブナーの王レバンネン)とともに西方へと旅立つ。衰弱の原因を死を忌避しようとする願望が引き起こした邪なものだと見て取ったゲドは、最終的には死の世界に入り込むことになる。
 この世界では龍は龍の言葉を話す。太古の言葉だ。龍は人間よりも古い生き物で、人間よりも早く言葉を取得し、誰よりも強いという自負を持つ。そして龍は人間とは違う知恵に満ちている。ゲドが出会うのは古い伝説の勇者と戦った龍の末裔、オーム・エンバーである。幅も長さも90フィートほどで、圧倒的な力の強さを見せる。ほっそりとした弓形の胴、トカゲのような足、へびのようなうろこ。背骨に沿ってバラのトゲのようなぎざぎざ。ぎざぎざは灰色で鱗は鉄灰色、いずれも黄金の輝きを帯びている。目は緑色で細い。息が漏れるような柔らかな声。怒った猫のような。火を含んだ息を吐く。その龍が邪なもののために知性を失ったようになっている。そこでゲドに助けを求めるのだ。
 空飛ぶ竜の姿には、命あるものの栄光のすべてがあった。恐ろしく強い力と荒々しい野生。そして優雅な知性がその美しさをなしていた。もちろん肉を食うのだが……。このゲドの描く輝かしい竜についてオミットして論を組み立ててしまった。すみません。

ネズビット『ドラゴンがいっぱい!』(講談社青い鳥文庫)
 さまざまなドラゴンのアンソロジー。魔法の動物の本を開けると中から幻想の動物が飛び出す「本からドラゴンが……」が可愛い。はいろいろなものがさかさかまのロンタディアが普通に戻った経緯を語る「紫色のドラゴン」もおもしろい。

デイヴィッド・パーシィズ『ドラゴン伝説』(BL出版)
 世界のさまざまなドラゴンの伝承を簡単に説明したもの。ティアマト、ブリトラ、ヒドラ、ファーヴニル、ベーオウルフの龍、ゲオルギウスと龍、ラムトンのワーム、ワイバン、カオリャンの橋、中国の龍の真珠、そのほかと詩を掲載。

イーデン・フィルポッツ『ラベンダー・ドラゴン』(ハヤカワ文庫FT)
騎士の主従がドラゴン退治に赴く。しかしドラゴンは高潔な教養人で、ユートピア的な村を治めていた。終には通風で死ぬ。基本的にはユートピア小説であって、現実風刺の要素が強い。ドラゴンは非常に高徳でセンシティヴ。その点がユニーク。1923年の作品。

ウェイン・アンダースン『ドラゴン』(ブックローン出版)
 卵の時に迷子になったドラゴンは自分が誰なのか知りたくていろいろとやってみるが失敗。ところが人間の少年は彼が何であるか知っていた。二人は北の方にドラゴンの仲間を求めて旅立つ。

ウィリアム・メイン『闇の戦い』(岩波書店)
 現実世界での苦難と別世界でのワーム(ドラゴンの一種でおぞましいもの)との戦いとが重ね合わされている。

ジェイン・ヨーレン『三つの魔法』(ハヤカワ文庫FT)
 メリンナは最後の人魚で海の魔女だった。かつて彼女が王子に贈った上着には銀のボタンが三つ付いていて、何でも願いをかなえてくれるのだった。シアンナはそのボタンを野原で拾った母から受け継いでいた。シアンナは海に引き込まれ、海の魔女に助けられて魔法を教えてもらえることになったが……。
 この人魚の尻尾は着脱可能で、尻尾を脱ぐと二本の足が現れるが、しかしそれを使うのは不自由だ。四つの話からなっていて、最初の話が終わると魔女は出てこない。海の底深く潜って二度と姿を現わさなかったのだ。あとはシアンナと息子ランの話になる。

ヘレン・クレスウェル『海からきた白い馬』(岩波少年文庫)
 漁師の網にかかった真っ白い小さい馬は、金の蹄と知己の黄色の目をして花びらのような耳で、それが少女の家にいるが知れると大騒ぎに……。ほかに植物が異様に繁茂、巨大化する「緑の海の船長さん」を収録。

サタジット・レイ『ユニコーンを探して』(筑摩書房)
 チベットの高山の奥地、ユニコーンの集団がいるという。探検隊を組織した私が見たものは……ドゥン・ルン・ドウの壁の向こうには、想像上の動物の世界があった、という短篇。ほかに蛇の怪談なども収録。

フィオナ・ムーディ『ユニコーンと海』(西村書店)
 ユニコーンは何の仕事も持たずに寂しい思いをしているが、ハーピーに囚われた海の王の娘を助けることに使命感を見いだす。絵本。

ロバート・ヴァヴラ『ユニコーン』(サンリオ)
 角をつけた馬の写真集。古今のユニコーン詩(?怪しいものもある)が付されている。同時に、作者の考える生物としてのユニコーンの生態が詳しく述べられている。若い〈森のユニコーン〉はクロイチゴを常食するとか、〈砂漠のユニコーン〉はナツメヤシを食べるとか。ユニコーンはなんと交尾もするのだ。雌が発情すると角の蜜に花びらがつき、それを雄がなめるとか、交尾の期間は薔薇の実と薄荷しか食べないとか。観察記録と称するお遊びの本。こんなユニコーンならいらない。

フェルドゥスィー『王書』(岩波文庫)
 王子イスファンディールによって傷つけられたロスタムは霊鳥スィーモルグにたすけられる。傷の手当てをして回復に導き、知恵を授ける。羽の端を燃やすと高みからそれと認めて舞い降りてくるところが良い。

ハンス・ファラダ『田園幻想譚』(ハヤカワ文庫FT)
 シュパッツ一族(スズメ家)の最後の一人グントラムに降りかかる幸運と災難。遺産(スズメ屋敷)が転がり込むはずが、悪賢い参事官に取られそうになり、美しい女性も偽のグントラムに取られそうになる。魔法使いはワシミミズクで、助けてくれるが……。みんな鳥に変身する鳥の物語。

手塚治虫『火の鳥』未来編
流刑星で人が変身する植物が出て来た。暗い話だ。火の鳥自身も幻獣であろう。ロシアのアニメ『イワンとせむしの小馬』を息子に見せたところ、そこに出てくる火の鳥が『火の鳥』そのままだと驚いていた。この図版も用意したが使用せず。最近観たアニメでは、『アリーテ姫の冒険』の、超科学で飛び続ける鳥のイメージが良かった。アニメはいまいちだったけど。とにかく鳥の話はするスペースが取れなかった。

高木仁三郎『鳥たちの舞うとき』(工作舎)
 自然開発に反対して鳥が人間や機械を襲うという発端から、人々の開発反対の戦いを描く。人はオーケストラで音楽を、鳥は舞う。鳥たちと人間たちが一緒になってコンサートを行うところで幕を閉じる。


ひかわ玲子『魔法のお店』(徳間書店)
 夢花という月の光によって咲く花が別世界にあり、人々の夢が湛えられている。もしも夢花が枯れたり夢が悪夢になったりすると、現実界にも影響が及ぶというので、それを救うために少女が冒険を展開する。

ひかわ玲子『魔法のお店2妖精たちの扉』(徳間書店)
 ユニコーンとかケンタウロスのいる妖精郷ローゼリアンで魔道士オーラジーンに会うための旅をする妹。上の作品と同じ世界だが、いろいろな場所があるらしい。

カルヴィーノ『マルコヴァルドさんの四季
』(岩波少年文庫)
 「雨と木の葉」では、愛情をかけて水やりをしていた観葉植物が、異様に大きく育つ。それを取り替えてもらうために三輪トラックに載せて走っていると、木はマルコヴァルドさんを覆わんばかりに成長する。そして力つきて枯れ果てる。その葉の描写のすばらしさ。

わたりむつこ『はなはなみんみ物語』三部作
 「いかり草」真紅の草でまるで炎が燃えているような姿。くしざしになってるような黒い実がたくさんついている。つやつやと宝石のように光っている丸い玉。それは科学の粋を集めて作られた植物性の爆弾であって、手に持つと燃えるように熱い。ほかに山羊頭の悪魔的種族も出てくる。

コッパード『郵便局と蛇』(国書刊行会)
 電信柱と柳の娘を描いた「若く美しい柳」のような寓話がある。電信柱は半死の状態で人間の役に立っている。柳の娘はそれ自体で生きていて価値がある。電信柱は柳の娘に恋をする。次第に柳も電信柱に好意を抱くが……。

夢枕獏「ほのかな夜の幻想譚[ファンタジア]」(同名書所収)
 花が少女に化身して出現する話。

ウォルター・クレイン「夏の女王」(『英国ロマン派幻想集』)
 白い百合、赤い薔薇、どちらが夏の女王に愛される騎士となるのか、決闘を始めるという寓意詩。

エラズマス・ダーウィン「植物の愛」(『英国ロマン派幻想集』)
 さまざまな植物の擬人化。そのカップルの、あるいは男の愛の、女の愛の様子を描く。下品だと言われたものらしい。
筒井康隆「メタモルフォセス群島」
 コンプリ島という島では新種の植物が続々と見つかる。こでは異種交配どころか異属、異目交配まで起こる(とすると異目ではないはずだが)ので、雑種の植物がうようよしているのだ。どうやら水爆実験によるものらしい。駄洒落好きな男が生物学的な分類をコケにして好き勝手な名前を付けているという設定で、クチバシリという卑猥なことを叫ぶ鳥とか、梨のような味のする果実の生る木をロクデナシとか、色が鴨に似ているカモネギ(ポケモンだと植物じゃなくて動物だ)とか、動物と混淆したような植物が出現し、メタ生物だと疲れる生物学者達……。

ル・クレジオ『木の国の旅』(文化出版局)
 森を愛する少年は、森の木々を手なずけ、生きている彼らと仲良しになる。木々が動物のように生きているというファンタジーの産物である絵本。

岡田淳『ようこそおまけの時間に』(偕成社)
 もう一つ別の時間があって、クラス全体が巨大な植物に囚われていることに気付いた主人公が、自分も、また友達も解放していくさまを描く。岡田淳のファンタジーの中でも最もうまく出来ている作品。

モーリス・メーテルリンク『花の知恵』(工作舎)
 植物学の成果をもとに、その神秘的と言ってもいい生活を、感動を込めてつづっている。いささか擬人化が過ぎるので、一種のファンタジーとしても、そんなにおもしろいものではない。ただメーテルリンクの知性に対する考え方、地球霊と人間の生命と向上していくという問題について、よくわからせてくれる。

レオポルド・ショヴォー『子どもを食べる大きな木の話』(福音館書店)
 ミニチュア子どもみたいのが木の中からたくさん出てくるのがおかしい。ショヴォー氏とルノー君のお話集は、動物を主人公にした変な話が多い。絵物語の傑作。

長野まゆみ『超少年』(河出書房新社)
 植物を胚胎している少年の話。ちょっと形容しがたし。

エルサ・ベスコフ『ラッセの庭で』(福武書店)
 ボールを取ろうとした少年が、九月の精の少年とともに庭の精霊たちに挨拶をして回る典雅な絵本。

米田仁士「メタモルフォセス〈ダフネ〉」(『カレイドスコープ』)所収。
 少女は木に変身するが、異様に膨らんだ腹の様な木のこぶからエイリアンが……。漫画。たぶん植物幻想の漫画なんてたくさんあるに違いない。個人的に最も古いその記憶は坂口尚の「いちご都市」。『COM』で読んだ。同じ頃の同誌で、うまく人間と付き合えない少年がカッパと仲よくなるが、人が全部カッパに見えるようなってしまうという話に強い印象を受けた。いったい誰のなんという作品だったのだろう。

f立岡月英『メリーちゃんのみちくさ』(福武書店)
 メリーちゃんの影は一人でお花を摘みに森の中へ。タブタブの木に飲み込まれてしまうが……。奇っ怪な絵本である。

18日

 青木画廊に建石修志個展を観に行く。東京人に連載していた久世光彦の詩をめぐるエッセイに付けた鉛筆画を展示。一番吸引力があると思われる作品は売約済みでありました。29日まで。

19日
酒井シヅ『病が語る日本史』
(講談社)
 日本病気史。縄文時代から現代まで、推測できる病気を拾っている。日本武尊は脚気だった(?)、藤原道長は糖尿病だったなど。文学からも事例を引き、また病に関わる習俗などについても若干触れている。(京)

森山茂樹・中江和恵『日本子ども史』(平凡社)
 こちらは子どもについての日本史。文献、絵画資料などから日本の子ども像を探る。(京)

宇江佐真理『斬られ権佐』(集英社)
 捕物帳的な連作もの。(京)

日野啓三『落葉 神の小さな庭で』(集英社)
 短篇集。とあるが、エッセイ集にしか見えない。死のごく間近にいる72歳の作家が、心境をつづる私小説か。個人的にはいろいろな感慨も湧くが、それだけのことである。

『奇跡の少女 ジャンヌ・ダルク』(創元社)
《知の再発見叢書》の新刊。フランスに二万体ものジャンヌ像があると知って驚く。なぜかジャンヌ関係の書物がたくさん出ている。

20日
 本文の青焼きと表紙の色校正が出て、64号の仕事は納品関連だけとなった。出来は7/1予定。

みづきゆう『パルムの樹』(富士見書房)
 このノヴェライゼーションはまったくだめ。

南條竹則『寿宴』(講談社)
 中華料理を中心にした私小説的漫文。

21日
ロバート・レヴィーン『あなたはどれだけ待てますか』
(忠平美幸訳・草思社)
 時間感覚、ペース感覚の文化による違いを検討したもの。合衆国の学者による本書は、グローバル・スタンダードなどという言葉が合衆国スタンダードでしかないことを、「こういえばアメリカ人は驚くかもしれないが、大方の国では異なる」といった見方を何度もすることで、簡単に示している。著者の直接的体験から、ブラジル人の時間感覚のいい加減さが盛んに例として出てくるのだが、とすると今サッカーで来日している選手たちなどは、その点からしても、並みのブラジル人とは訳が違うということになろう。日本のことがしばしば出てくるが、日本は世界一せっかちな国であるらしい。ともかくもおもしろい本。

ジャネット・ウィンターソン『オレンジだけが果物じゃない』(岸本佐知子訳・国書刊行会)
 カルトの優秀な説教師だった少女が同性愛に目覚めて家を出るまでを描く。著者は、自伝的なこの処女作で作家として認められた。これはおもしろいよ。

22日
斎藤美奈子『文章読本さん江』
(筑摩書房)
 さむらいの世界である『文章読本』(文章の書き方指南)の歴史を繙いて、おちょくる、時には真っ当に批判する本。こういのを品性下劣というのよね、これって差別意識、ということのいちいちが、まったくだ、というほかないすばらしさ。しかも文章読本の文章よりはるかにおもしろい文。でもやりこめられている文章読本の書き手がなんだかひどくマイナーに見え……というのは私はこの手の本を、たとえ三島由紀夫や谷崎のそれであれ、ちらとでも読んだことがなく、ましてやその他のジャーナリスト系の有象無象(もちろん差別語)のものなんて本屋で見かけたことすらないのだ。こんなものに情熱を燃やさずとも、もっといじめがいのあるものがあるのでは……とつい思ってしまう。またもっともっと「書くことなんてくだらないっ」というところを強調したってよさそうなものだ。いちばん共感したのは、野口英世の母のつたない手紙を褒め称える奴らの本性をあばいているところ。もっと言ってやれ! とけしかけたくなる。それから大いに笑ったのは、文章のプロというのは何を隠そう、プロレタリアートのプロだったのだ、と言っているくだり。まさにその意味でプロである私は、ひざを叩かずにいられなかったが、匿名で、ほとんど意味を持たぬ「達意の」文章を書き続けるというプロレタリア階級から、ようよう抜け出た斎藤さんは、このあたりにどうやらルサンチマンの根っこがある模様。でも、ライターなどという理不尽な商売をやっていれば誰だってそう思うにちがいない。それはともかく、わずか二ヶ月で三刷までいったのだから、大したもの。実際におもしろい本だった。

飛田良文『明治生まれの日本語』(淡交社)
 前書きを読んだらおもしろそうだったのだが、いまいちだった。丁寧に調べてあるのだけど、もっと大ざっぱでいいから、たくさんの語を取り上げて欲しかった。
『日本子ども史』にも書かれていたことだが、小学校の教科書が子どもたちに与えた影響は大きかった。そして言葉の変化という意味でも、教科書(小学読本)というのは決定的な影響力を持ったのではあるまいか。そこに前掲の『文章読本さん江』にも書かれていた綴り方、作文教育というのも関わって、日本語というのは大衆的なレヴェルで変遷してきたのだ。そういう深くて広い問題なのに、表面的なところで、ちょっとした話題を提供するにとどまっている。

23日
シルヴィア・ナサー『ビューティフル・マインド』
(塩川優訳・新潮社)
 ゲーム理論のナッシュの伝記。映画の予告編を見た感じから、軍の暗号に関わるなんて仕事をしたために精神的にも肉体的にも追いつめられてしまう普通の数学者の話だと思っていた。有名な天才数学者の話じゃないか……。ナッシュって本当に偏った人間、つまり厭なやつだったのね。数学の天才なんて、そりゃそうだろうけど。この伝記は不要なほど長々と脇道に入る膨らましページが多く、それでページがすごく多くて、一流のものとはまったく言えない。

29日
アンドレ・シフレン『理想なき出版』
(勝貴子訳・柏書房)
 亡命フランス系ユダヤ人の父が関わった出版社パンセオンを経営することになった著者の、いかにして私はメディア・コングロマリットから追放されたか。合衆国の出版事情は日本とは違いすぎて参考にならない。うらやましい、と思うことばかり。そうだ、中公の昔の社長が読めば、すごく共感するかもしれないな。


六月の雑感 今月はたいへんに忙しかった。神林長平&『雪風』特集ムックが七月に刊行されるが、その締切が二十日で、『幻想文学』の製作と完全に重なったので。うちは今月末が決算の締切なので、そういう事務仕事も。ほかにもいろいろな原稿の締切が重なり、六月の藍読日記はかくのごとしであったが、ともかくもすべて終わった。これからしばらくは静穏に読書が出来ると思う。