藍読日記 ☆読んだ本と『幻想文学』関連の情報、その他の情報をお届けします。         2003/7/5更新
★読書メモについては主観的かつ恣意的な趣味に基づく書き散らしです。文責はすべて石堂藍にあります。
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2002年7月


1日
『幻想文学』出来。発送業務。

2日

『幻想文学』の配本。疲労度高し。

3日
岩橋邦枝『月の光』(講談社)
 私小説短篇連作。興味無し。(京)

柳田邦男『言葉の力、生きる力』
(新潮社)
 古今東西の文学の一節などを解説したものほかのエッセイを収録。著者って文学青年だったんだ!(京)

北林優『アブラムスの夜』(徳間書店)
 長篇ミステリ。暗いけど、凶悪には報いがあってしかるべきだという、わかりやすい話。小説は下手だけど。(京)

北中正和『ギターは日本の歌をどう変えたか』(平凡社新書)
 ギターの古代からの歴史と、近現代日本における歴史を語るもの。(京)

中野孝次『良寛 心のうた』(講談社+α新書)
 良寛の歌の鑑賞。(京)

4日
 神奈川県立近代美術館にて野中ユリ展「すきとおった夢」を観る。近年の新作多数と二十代の頃からの旧作をあわせて展示。

ロバート・ジョーダン『黒竜戦史4』
(斉藤伯好訳・ハヤカワ文庫FT)
 途中の話。

テリー・グッドカインド『魔石の伝説3』(佐田千織訳・ハヤカワ文庫FT)
 骨の女エイディとゼッドが襲われる話。それから光の塔への旅。

5日
エレーナ・エスティ『魔女ファミリー』
(井上富雄訳・瑞雲舎)
 『ガラス山の魔女たち』として出ていた作品の新訳。メタファンタジーでなかなかおもしろいのだが、ぜひとも、というほどでもない。

セルジュ・ブリュソロ『ペギー・スー』(金子ゆき子訳・角川書店)
 この世でただひとり悪霊とその現実に及ぼす悪巧みを見ることが出来る少女が、非常にささやかな魔力で孤独に戦うというシリーズもの。SF風ファンタジーだが、暗いうえにテーマが古臭い。

7日
次男の要請により「MIB2」を観る。1の方がおバカ度が高かったように思う。

ミッシェル・フェイバー『祈りの階段』(林啓江訳・アーティストハウス)
 歴史ミステリ風のラヴ・ロマンス。スーパーナチュラルの小説ではない。カラー写真が数葉入っていて、コラボレーション風だが、その写真がまったく魅力的ではない。わずか150ページの物語もおもしろくもなく、とても1700円の価値がある本には見えない。

8日
武田泰淳『十三妹』
(中公文庫)
 鶴田謙二の絵が可愛かったので、つい買ってしまった。ばかだった。

山東京伝『復讐奇談安積沼・桜姫全伝曙草紙』(須永朝彦訳・国書刊行会)
 訳注が思ったよりも多かった。どちらも有名な話で、グロテスクな趣向多し。

田原八郎『渡世民俗の精神』
(燃焼社)
 わけわからん歴史書だったので、紹介文もパスした。(京)

橘正典『鏡花変化帖』
(国書刊行会)
 鏡花の具体的な作品に即してその特質を論じる。おもしろいところもあるんだけど、著者のことを何も知らないので、私は好きだ、とか言われても困る。(京)

安岡章太郎『慈雨』(世界文化社)
 エッセイ集。安岡ファン向け。(京)

池上冬樹『ヒーローたちの荒野』
(本の雑誌社)
 矢作俊彦を評価する著者によるハードボイルド論&書評。百冊を軽く越える本が扱われているのに、読んだ作品が数作しかない。まったく興味の持てない世界。(京)

9日
倉阪鬼一郎『青い館の崩壊』
(講談社ノベルズ)
 吸血鬼探偵コンビの幽霊マンションもの。作中作の氷の世界のイメージ、スマールという概念などは良かったと思う。しかしこれはミステリなのか?

トラヴェルソ『アウシュヴィッツと知識人』
(宇京頼三訳・岩波書店)
 ショアーの始まる前からその後まで、それへの対し方、見解などを検討する。ベンヤミン、カフカからアーレント、ギュンター・アンダース、アドルノ、パウル・ツェラン、アメリー、レーヴィ、ドワイト・マクドナルド、サルトルまで。アンダース、マクドナルドについては著書を読んだことがないが、それ以外は言及される書物のいすれかは読んでいたので、それらに対する、別の角度からの見方を教わったという感じ。当該テーマの入門書としてもいいかもしれないが、それには不足な点が一つある。原注に挙げられている書物に、訳者としては、邦訳のあるものはそのタイトル(原題と違うものもある)、版元を挙げておくべきではなかったかと思うのである。

 ホラー映画『アザーズ』を観る。ニコール・キットマンが美しいし、とても怖いのでぜひ観るようにと知人に勧められて観に行ったが、元手のかかっていなそうなの幽霊屋敷ものの映画だった。ネタをばらすので、興味のある人は読まないよーに。ロケ地スペインとあって、要するにこの館がスペインにあるわけだな。でも何の変哲もない館の中だけで終始するので……。登場人物は七人。最後に端役が六人という質素ぶり。目立った特撮は皆無。キットマンの出演料が高かっただけだろう、たぶん。金のかかっていないホラー映画だって、screen play と演技がうまければ何とかなるのだ、と思う。特に子役ね。音楽も演出もみごとに定石通り。落ちは「シックス・センス」よりは捻ってあるというところか。ノイローゼ気味で子供を殺してしまった母親が、死んだ子供と和解するシーンを観ながら、思わず幼児虐待について考えてしまう。子供って殺されても親を許してしまうようなところがあるかもしれない(もちろん許さない場合だってたくさんあるだろうが、許すことも多いのではないか)と考えて、少しやるせない気分になる。子供は親を信頼して愛するものなんだけれど、親の方はそれをいいことにして権力をふるってしまうことがある。もちろんしつけだとか教育だとかを考えてそうなる。それが虐待になってしまう境目ははっきりしていなくて、そういうことで悩む親は多いに違いないということを思う。『アザーズ』でも子供を殺してしまった母親はものすごく子供を愛しているわけで……。まあこの話はそれをメインにしているわけではないので、その点に関する母親の当時の心理状況などは描かれていないから、ノイローゼで殺しちゃったんだなというぐらいしかわからないのだが。

10日
スチュアート・ウッズ『パリンドローム』
(矢野浩三郎訳・文春文庫)
 アメフト選手でステロイド剤の多用で暴力的になった男の妻が病院に逃げ込むところから物語は始まる。敏腕弁護士のおかげで離婚に成功した妻は楽園のような島に身を隠し、男は妻の居場所を探るため、また自分の犯罪を隠蔽するために殺人を重ねる。妻は島で新しい恋を手に入れるのだが……。サスペンス・ミステリ。珍しく一気読み。

ラムゼイ・キャンベル『無名恐怖』(鈴木玲子訳・アーティストハウス)
 ペーパーバックという感じの安い作りの本。四歳の時に殺された娘から、死んでいないという電話がヒロインのところにかかってくるが……。ミステリみたいな感じだが、カルトものホラー。展開に無理があり、説得力に異様に欠ける駄作。どうして稲生平太郎がまあまあ良いと言っている Incarnate とか出ないのか?

 『少林サッカー』と『セッション9』を観る。
 前者は長男が、熱い映画だから観て損はない、絶対に観ろ、というので、観に行った。二流香港映画で、なるほど、あまりにもアホだ。まるで高校生が考えたようなストーリー、ギャグ、演出で、洗練なんざ犬に食わせろというところか。長男曰く「いい歳した大人がこんな映画を撮ってしまおうと考えること自体が熱いのだ、しかもそれでそこそこあたっちゃうあたりがすごい」。ま、一時的なサッカーブームになりましたからね。とはいってもサッカーの映画とは言い難い。やっぱりただのアホ映画である。
 後者は二流サイコホラー。実在の精神病院跡(俯瞰するときわめて大きく美しい建物)を舞台にしたものというので見に行ったのだけれど、プロットが凡庸で、しかも強引。建物ももう少し活かされるかと思ったが……。俳優はみんなうまい。日本で同じ作品を撮ったら学芸会にしかならないだろう。これも幼児虐待ではないが、子供を殺してしまう話だ。子供をホラーに使うのは、ちょっともう勘弁してという気分にもなった。ここのところずっとそうだったから。

11日
ロバート・オレン・バトラー『奇妙な新聞記事』
(樋口真理訳・扶桑社)
 原題はTabloid Dreams なので、この和訳書名だと全然イメージ違うでしょ。タブロイド新聞の見出しに触発されて、ファンタスティックな連作に仕立てたものらしい。日本ならさしずめ女性週刊誌的怪奇ネタをもとにしたというところ。「キスで死を呼ぶ女」は「恐怖! 死を呼ぶくちづけ――彼女の甘い接吻を受けた男たちは次々と謎の死に見舞われる」てな感じになるのではないか。作中には「リアル・ワールド・ウィークリー」といタブロイドも登場、その編集長は殺されたりしちゃうのである。
 作者の意図はわかる。しかし原文を読んでいないので本当のところは何とも言えないが、おそろしくつまらない。文章がかったるいのである。

フリードリヒ・デュレンマット『約束』(前川道介訳・ハヤカワ文庫HM)
 サブタイトルが「推理小説へのレクイエム」というメタミステリ。推理作家がとある警察の署長から、連続殺人鬼捜査についての顛末を聞かされるというもの。レクイエムと言いながら、これ自体がすぐれて推理小説的だ。むしろこう言い替えるべき。「紋切型の感動物語へのレクイエム」。

青柳いづみこ『無邪気と悪魔は紙一重』(白水社)
 文学の中の悪女考。というか悪女の出て来る小説の紹介。著者の立場はフェミニズムからは遠く、共感できるところは少ない。これらの小説は男が書いているのであって、男の幻想がどう動くかについては、そんなには触れていないのが私の興味を引かない主因だろう。とはいえ、こういうものの方が過激なフェミニズム批評よりは、受け入れられやすいだろうし、結果として柔軟なもの見方をせまるかもしれないと思う。
 著者のお婆さんは清純過ぎて男たち(阿部次郎とか)を幻惑したそうだ。著者の家系はたいしたものなので、凡人とはそういう思い出がちがう。ともあれ、そういう実感からも本書は書かれたようだ。

カビール『ビージャク』(橋本泰元訳注・東洋文庫)
 こんなものがよくもまあ世に出た。インドのイスラムとヒンドゥーの混淆文化の中から生まれた15世紀の詩人の語録。宗教的に複雑で、アッラー信仰を核として既存のさまざまな考え方を退けていく。宗教的には複雑で、ヒンドゥー、仏教、イスラーム、果てはユダヤ教まで理解していないとこの詩人の研究はできないだろう。

『狐物語』(鈴木覚ほか訳・岩波文庫)
 白水社版の改訳。完全な散文形式にあらためている。分量を多く入れるためか。それでも白水社版の半分である。

ミッドハット・カザレ『〈数〉の秘密』(小屋良祐訳・青土社)
 記数法の概説と、数の分類を数学的に説明したもの。数秘術とか何の関係もないので間違えないように。特にコンピュータの数学的言語の基礎や無限といったわかりにくいところを数式で説明している。行列とかΣとかちゃんと理解していない人にはまるっきり読めないから、文系の人でも興味があれば、という訳者のあとがきはちと苦しい。

植村恒一郎『時間の本性』(勁草書房)
 範国くんが『批評・人間科学』で取り上げていたのをみて、ちょっと興味を引かれたので読んでみた。なるほどあの解説の通りだわ。ある意味ではツッコミがいのある本かも。

12日
浅暮三文『石の中の蜘蛛』
(集英社)
 事故で異常に鋭い聴覚を得た男のミステリ。『オルファクトグラム』の聴覚版。どうせ非現実的な話なんだから、設定をもっと荒唐無稽にして、その限りでリアルな話にしたほうが良かったのでは?

中内かなみ『暗行御史霊遊記』(角川書店)
 ものすごくつまらない小説。だけど、帯がすごいぞ。金がかかってる。荒俣宏=「韓国版「陰陽師」だ。」確かにその通りと言ってもいいだろう。「東アジアの香りをたたえた志怪小説の魅力が現代日本に蘇るとは思わなかった」。具体的に何を指しているのか? 韓国の古典怪奇小説ってこと? そんなに数は多くないと思うし、その系譜を継いでいるとも思われないけど、私の知らぬ何かそういうものがあるんだろうか。京極夏彦=「怪は文化である。他国の怪を知ることは異文化を識ることとなる。隣国の怪をまことしやかに綴る語り部の登場は、まことに喜ばしいことであろう」異文化云々なんぞと言うなら、ちょっと留学したぐらいで、「まことしやか」に隣国の文化を語っちゃまずいんじゃないの? 

小野正嗣『にぎやかな湾に背負われた海』(朝日新聞社)
 これは第十五回三島由紀夫賞受賞作。帯には、筒井康隆の「少しほめ過ぎになるが、小生はガルシア=マルケス+中上健次という感銘を得た」というのがついていて、ほめ過ぎと断ってはいるけど、この若い作家が気の毒だよ。中上自身がマルケスにはなれなかった存在であるということを考えれば、複雑すぎる文言だし、またマルケス・ファンも中上ファンもこれでは怒るにちがいない。ど田舎が舞台の普通の小説で、歴史意識も薄いし、地方意識というのも全然。マジックリアリズムというものではまったくないし、あとがきで本人も書いているけれど、故郷を描いた小説であり、一種の青春小説なのだ。ど下手ではないが、マルケスとか中上のような、アクの強いものを想像していたら肩透かしを食ってしまうし、かといってこの作家に何か特徴的なものがあるかと言われれば、全然としか言いようもないのだけど。個人的には、教師とセックスにおぼれる中学生の少女という主人公にまったく興味が持てない。

多和田葉子『球形時間』(新潮社)
 高校生と高校教師を主人公にした小説。高校生の息子がいる私にはアホらしくてついてけません。もしも私がこんな小説を書いたら、子供は軽蔑して口も利いてくれなくなってしまうだろうなあ。女子高生が喫茶店で不思議の国を旅行してきたという老女に会うエピソードがファンタジーになっている。

清水義範『博士の異常な発明』(集英社)
 マッド・サイエンティストものの連作短篇集。ものすごく凡庸でつまらない。マッド・サイエンティストなどと言うなら、みのりちゃんのレヴェルを越えてほしい。所詮、掲載誌が『小説すばる』だからか。

13日
山田正紀『ジャグラー』
(徳間デュアル文庫)
 アメコミのヒーロー・ジャグラーが狂気の怪人たちと戦う話、と言ったら誤解を招くだけだろうが……。霊的なコンピュータによって霊界の扉が開き、そのネゴシエイターたちとジャグラーが戦うのだ。しかし戦いの意味は秘密。興味があれば読んでもよいが、たぶん作者的には「できれば忘れたい作品」の一つなんじゃないかと思う。

ル・グイン『言の葉の樹』(小尾芙佐訳・ハヤカワ文庫SF)
 伝統文化の拒否された、本はすべからく廃棄という星を舞台に、オブザーバーのサティの探求を描く。つまらない。アホな設定のSFで寓話的なものをやらんでほしい。

14日
白鳥賢司『模型夜想曲』
(アーティストハウス)
 五島プラネタリウム終業に伴う作品の一つか。投影機消失の謎と、失踪した〈悪〉の少年を探す過程が、一人の探偵のうちでからみあう……と書けば、まともそうに見えよう。しかしこれは素人が書いた習作でしかない。幻想小説で重要なのは言語の扱い方である。言葉によってしか構築され得ない世界だからこそ、ピュアな幻想小説になればなるほど、言葉の重要性が増す(はずだ)。本書のような幻想的仕掛も、うまく働かせるのは、言葉の詐術にほかならない。ものすごくよく出来たミステリのような、そういう意味での言語的構築。二度読むことを余儀なくさせ、その詐術に再び感動する。そのようなものであるためには不用意な言葉は使えないのだということをまず知っていない書き手に、幻想小説を書く資格があるとは私は思わない。難しさを認識せずに挑戦してもよいのは、子供だけだ。

加門七海『環蛇銭』(講談社)
 ずっとしょうもない小説ばかり読んできたので、読んでいてつまずかないことにホッとする。八百比丘尼と『清悦物語』の常陸坊海尊、二つの不老長寿伝説を軸にして展開するサスペンス・ホラー。ラストまで一気読みだったが、こういう作品のうまいまとめ方の難しさを痛感する。御都合主義の大団円を選ばない、安易なホラー的解決も選ばない、その隘路をどう行くかということの難しさである。

小池壮彦『四谷怪談』(学研)
 近代以降の文献の丹念な調査は著者ならでは。おもしろいところもたくさんあるけど、「祟りの正体」というサブタイトルで示されるようなものを中心に読んでしまうと、結局怨念ということにしかならないので、要注意。

15日
ピーター・ストラウブ『MR.X』
(近藤麻里子訳・創元推理文庫)
 よくできたエンターテインメント。謎の幽体離脱体験を繰り返す主人公の出生の秘密をめぐって展開する物語。クトゥルー神話ものでもあるけれど、その点のひねり方はしゃれている。

川上洋一『クルド人――もうひとつの中東問題』(集英社新書)
 クルド人の概説書。民族という概念は近代の発明物であると感じざるを得ない。トルコもまたインドネシア政府が東ティモールでやっていたようなことをやっている。つまりクルド人同志を戦わせる。それから言語の使用の禁止。これは日本も沖縄や朝鮮でやったな。いい加減うんざり。そう言えばトルコはワールドカップで日本に勝った国だった。クルド人はいたんだろうか?(京)

ペトル・ヤルホフスキー『この素晴らしき世界』
(千野栄一・保川亜矢子・千野花江訳・集英社)
 千野栄一の遺訳となった作品。私より若い世代の人が、たぶん取材などによって書いたものだろう。ユダヤ人をかくまう話。リアルに想像すると耐えがたいほどの設定と展開だが、重苦しさは薄い。岩波ホールで公開中の映画の原作である。映画を観に行こうと思っていたのだけど、まだ行っていない。アホなものばっかり観てて。これは映画化にはユーモアで押し通すのと、思いっきり暗くするのと二通りありそうだ。後書きなど見ると、前者っぽいが、それは見てのお楽しみというところか。(

 『スターウォーズ エピソード2』を観る。例よって大バカ映画。このおとぎ話はもともとが噴飯物の設定で、真剣に観るものではないとしても、莫大な金をかけているんだから、もうちょっと何とかしろと言いたい。
 長男は エンディングロールを観る価値もないと言って先に出てしまった。次男はラヴシーンが全体の四分の三とは多過ぎるとぶつぶつ(もちろんそんなにはない)。
 青春性の欲情期であるためかお姫さまにひたすら色目を使うアナキン、自重しましょうと言いながら露出度の高いゴージャスな衣装を取っ換え引っ換えする姫君。暗殺者はこの星までは来ないという大前提で、のんびりと恋愛気分。これなら護衛なんていらないだろう。あわやキスか、と音楽も盛り上がるが、姫が拒絶したのでぱたっと音楽も止まるとか、ギャグとしか思えない演出。自己パロディでもやっているのか? 古典・王道・紋切型というのも恥ずかしいシーンの連続である。(夜のアニメでは『犬夜叉』がまたもや「王道恋愛」話で、親子でげんなり。なら見るなよって、そうですよねー。)中高生でも呆れるような固定化された恋愛像はもうたくさん!
 頻繁な画面の切り替えは、長男の作ったヴィデオ作品のようで、ほとんど情けない気分。クリストファー・リーが戦うシーンはさすがにかっこよかったが(スタントじゃなくて特撮)、短い。それにしても、これといい『指輪』といい、ハリウッドには人材がないのか?
 まったく関係ないが、コマーシャルではバンダイのアニメ『戦闘妖精雪風』を映した。原作・神林長平と大画面に映ると、たたもうそれだけで嬉しかったりして。動きが良くて、雪風もかっこよい! 劇場でもやればいいのに……。

16日
佐久間充『山が消えた』
(岩波新書)
 千葉の産業廃棄物をめぐる報告。これはすごい。税金というのは、ダム建設などではなく、こういうことのために使うべきではないか。(

杉本苑子『流されびと考』(文藝春秋)
 配流の運命にあった人々、流浪の運命にあった人々などについてのエッセイ集。八百比丘尼も登場。ヤマトタケル、崇徳、道真と怪奇幻想系人物を取り上げながら、人は死ねばそれで終わりというクールドライな視点から、残された人々の死者への思いの強さに感嘆してみせる。(

斎藤美奈子『紅一点論』(ちくま文庫)
 アニメや特撮もの、そして子供向け伝記の中に見られる固定化した男女役割とジェンダー観について論じたもの。たいへんにおもしろい。アニメ特撮文化に浸って育った私と、四歳年上の著者とでは、アニメとの距離の取り方が違うのだが、その距離感が、このような批評を展開するには絶妙というべきだろう。
 ジェンダー・バイアスのかかっていない表現物というのは、この世にはほとんど存在しない。広告からゴシップやニュースの類までそうだし、小説や映画も大衆向けになればなるほどより一層ひどい。例えば昨日観た『スターウォーズ』なんぞはまさに紅一点の世界だ。本書がアニメや伝記に集約されているのは、それが最もすり込まれやすい子供向けのものだからである。そして、そういうものを見て育った私たち(その最初の世代と言ってもいい私たちは、平均すると中高生の母親、小学生の父親になっている)はもう洗脳されちゃって「バカばっか」ということになる。ああ、フェミニズムの世界は難しい。
 
17日
スティーヴン・ミルハウザー『マーティン・ドレスラーの夢』
(柴田元幸訳・白水社)
 20世紀初頭のニューヨークを舞台にした一種のアメリカン・ドリームもの。ドリームがまさに夢のように不確実で曖昧なもの、途方もなくて幻想的なものになっていく過程が描かれている。幻想小説とは言えないが、フェティッシュな手触りのある作品で、どことなく夢幻めいた描き方をしている。ミルハウザーが好きな人はピュリツァ賞受賞作といっても裏切られまい。(

小池壮彦『呪いの心霊ビデオ』(扶桑社)
 心霊ノンフィクションから普通のホラーまでを取り上げるビデオ・ガイド。軽いノリだけれど、いかにも著者らしい筋は通っている。取り上げられているタイトルだけ見るとゴタマゼっぽいが、読むとなるほどと思わされる。本書を読んでから『四谷怪談』を読むと、わかりやすいかもしれない。

ロバート・ジョーダン『黒竜戦史5』(斉藤伯好訳・ハヤカワ文庫FT)
 エグウェーンがガーウィンと会って愛を確かめあう。ナイニーヴは治療のわざをとうとう発見する。

18日
ラフィク・シャミ『夜と朝のあいだの旅』
(池上弘子訳・西村書店)
 団長の祖母の出身地であり没した土地オリエントに巡業するサーカス団の話。

冲方丁『微睡みのセフィロト』(徳間デュアル文庫)
 四次元的解釈の超能力ものSF。すごくオリジナリティがあるというのでないのだが、いいと思う。二作目『ばいばい、アース』を新刊時に結局書店で見かけなくて読んでいないので、デビュー作以来ということになるけど、当時これは悪くないと思ったのはまちがっていなかった。もっともSFへ行ったのは予想外だったが。

米田淳一『ホロウ・ボディ』(ハヤカワ文庫)
 プリンセス・プラスティックの第二作。女の子の変な言葉遣いを止めて欲しいのだが、主要サブキャラなのでもう直せないところが辛い。小説がものすごく下手なんだけど、話は悪くないので、アニメにして欲しい。アニメにした方がずっと良くなるのは間違いない。つまりアニメの原作っぽい。

甲田学人『Missing 神隠しの物語』(電撃文庫)
 タイトルだけでつい手を出してしまったが、バカ本でした。頭のおかしい機関のおっさんとか出さなきゃいいのに。

井上雅彦監修『マスカレード』(光文社文庫)
 《異形コレクション》の一冊。仮面がテーマ。私は基本的にこういうものに興味がない。芦辺拓はおもしろく読んだ。

井本英一『穢れと聖性』(法政大学出版局)
 比較神話学の中でも、東西交渉のあったことを力説したいのか、人間は……ということを語りたいのか、いつもよくわからないんだが、似たような事例をいろいろと並べる。講演なども採録されている。

19日
 映画「この素晴らしき世界」を観る。ユーモアも交えつつ、という感じで、悲愴感はやはりやや薄め。残酷なところも描いてはいるが、背景を考えると甘いし、軽い乗りの映画として作り切れているというのでもなく、難しいものを感じる。久々の岩波ホールで、年上のおばさまがたくさん。50代60代というところか。あわや、というようなところで、「まあ、大丈夫かしら」とかいった声が聞こえてくる。ああおばさまたちは善良なり。

西沢雅野『イボ記』(小学館文庫)
 ジュヴナイルではなくて、純文学系の幻想小説。表題作は主題のまとまりがいまいちだが、併録の「おしえない」はおもしろい。

瀬川昌男原作・スズキコージ画『おばけめぐり』(金の星社)
 日本の妖怪・幽霊を紹介し、つきあい方まで伝授。「とにかくおばけはほんとうにいます」とあとがきで作者。星とか宇宙の話を書いている科学読物のオジサンは、本当はヘンな人の仲間だったのだ。小池壮彦は『呪いの心霊ビデオ』で、幽霊を見る人間はこの世にたくさんいるから、そんなのは気にすることはないと言っているが。やれやれ。

森昭雄『ゲーム脳の恐怖』(NHK生活人新書)
 ゲームをやり過ぎると痴呆の人の脳波に酷似してくるというような内容の本。小さい頃からゲームばかりやっていると、まともな人間に育たないって、それはそうだろう。ここで例に出されるゲーム漬け人間は半端じゃない。幼稚園の頃から一日に四時間から七時間もゲームをやったりしているらしい。こういう統計は、母数を大きくしてさまざまなデータを集めないと意味がないのでは? でも確かにゲームで集中力が養われるというのは迷妄だと思うので、その点は強調されても良いだろう。

『ユーロ・アニメーション』(フィルムアート社)
 私には読むところがほとんどなかったが、ヨーロッパのアニメにはこんなにいろいろなヴァリエーションがある、ということを知ってもらうにはいいかも知れない。アニメ・ファンを自称する人に読んで欲しい。

宮田光雄『ナチ・ドイツと言語』(岩波新書)
 ヒトラーの発言が宗教を援用していることや、ナチの言説がカルトめいていることをはじめとする興味深い論考を収録。教科書の影響と教育者の役割(自信と誇りということついてきわめて示唆深いエピソードが提示されている)、ナチ下のジョークと夢(悪夢)の記録についてもそれぞれ一章が割かれている。

20日
ヴィクトリア・ハンリー『水晶玉と伝説の剣』
(多賀京子訳・徳間書店)
 児童文学のファンタジー。予見能力のある王女と彼女の父に国を滅ぼされた王子をめぐる物語。

22日
小倉千加子&上野千鶴子『ザ・フェミニズム』
(筑摩書房)
 対談。漫才としてはまあまあか。フェミニズムの知識のない人間が読んでもしょうもない。フェミに対する知識が歪む。あるいはよくわからなくなる。ただのおしゃべりなので、浅い斬り込みだし。

サトクリフ『ケルトとローマの息子』
(灰島かり訳・ほるぷ出版)
 ケルトの部族に育てられたローマ人の少年が、部族を追われて苦難の人生を歩む話。

なだ・いなだ『人間、とりあえず主義』(筑摩書房)
 エッセイ集。完璧は望めないので、現時点でのベストを尽くす、という生き方の話など。(

23日
三枝和子『今は昔、猫と私の関係』
(講談社)
 猫を飼った話いろいろ。(

見崎鉄『J・ポップの日本語』(彩流社)
 あゆ、グレイ、ミスチル、ラルク、椎名林檎、スピッツ、ゆず、鬼束ちひろなどを取り上げてその歌詞を論じていく。バカ本かと思ったら、とてもおもしろくて、ついつい読んでしまった。下手に漢字なんか使っているから薄い教養なのがバレル林檎、文学にもっと触れた方がいい鬼束、代名詞ばっかの小田和正、ACのアイドルあゆなど、なにしろ曲の方は聞いたこともないから(あるいは歌詞は聞き流しているから)、歌詞を読んでもメロディーが出ないのがよろしい。hydeがホラー好き、スピッツがニューエイジだというのは初めて知った。hydeは歌が超絶的に下手なので、断片を聞けばすぐに彼だとわかるが、歌詞なんて聞いたこともないので、知らなかったなあ。サブ・カルチャーの世界がさまがわりしたことをつくづく感じる。(

土佐弘之『グローバル/ジェンダーポリティクス』
(世界思想社)
 戦時性奴隷という言葉を政治学を勉強中の内田さんに教えてもらったのだが、その参考書として勧められたのが本書。国際政治学におけるフェミニスティックな問題をいろいろと取り上げ、ウェストファリア・システムと家父長制関係、戦時下の性暴力廃絶、売買春に関する論考を収録している。勉強にはなるけど暗い本。

田中伸尚『靖国の戦後史』(岩波新書)
 英霊の祭祀にまつわる諸問題を整理した一冊。「こんなふうに祭られないとしたら、誰が国の為に死んでくれるか」という趣旨の中曽根発言が、靖国問題の根幹にある。なんのために、誰を祭るのか。遺族の反対を押しきって祭るのはなぜか、違憲という最高裁の判決後もなお政治家が靖国参拝を強行するのはなぜか、といった疑問に答える。「国家のための死」=名誉という観念が立派に生きている社会に私たちは住んでいるのだ。靖国の神官の東京裁判は欺瞞で戦犯だとは考えていないという信念も、A級戦犯が平気で国会議員になる国では、ごく当り前にすら思えてしまう。国際法というのがあることがわかっていないんだ、日本人は。(

ジュリア・オフェイロン『従順な妻』(荒木孝子・高瀬久美子訳・彩流社)
 ロサンゼルス在住のイタリア人一家のドタバタを描く。一人でイタリアに帰った夫は妻に浮気しろと言い、妻はひょんなことからそうなってしまう。息子は隣家の家庭に恵まれない、風変わりな少女に恋をしている……。コメディだと思うが、訳はそうなっていなくて、訳者の後書きを読むと、どうやら高級な(やんわりとした)笑いであるために露骨にはやれなかったもののようだ。本来下劣と言ってもいいほどの笑いの要素があるように思われる作品。このヒロインはしかし何を考えているのかよくわからない。(

25日
『戦闘妖精・雪風マニュアル』
(早川書房)
 深井零の子供時代を描いた書き下ろし短篇ほか。神林長平読本。買って下さい。雪風のDVDもみんなで買おう!

エリザベス・ヘイドン『プロフェシイ・大地の子』(岩原明子訳・ハヤカワ文庫FT)
 ラプソディとアシェのドラゴンへの旅を中心にしたもの。この三部作はハヤカワ文庫FTの近年の傑作である。解説を書いたからそう言っているのではない。私が珍しく褒めたから解説の仕事が来たのであろう。みんなが買うと完結編がすみやかに出るにちがいない。

26日
S・ジャンピノ『仕事を持つのは悪い母親?』
(鳥取絹子訳・紀伊國屋書店)
 いまどきまだこんなタイトルの本が世に出るのか、と驚いて手に取った。これは決着の着いた問題だと思っていたから。フランスの心理学者による著作で、まとまりが悪く、繰り返し多し。事例も少なく、駄本である。ただ「罪悪感」を核に解析しているのは、的を射たことだとは思う。この社会的抑圧の強さは相当なもので、私はオッケーだと思ったくらいでは跳ね返せないので、もっと具体的な処方箋がほしい。専業主婦で子供にべったりの人も子供に罪悪感を抱くと言っているが、罪悪感の質が違うように思う。一緒には出来ないのではないだろうか。

『es』と『猫の恩返し』を観る。
 前者は看守と囚人という役割を振って心理学的実験をしたという事実に基づく映画。制服と大義名分効果というのは凄いものがある。警官による暴行なんて、簡単に起きるはずだ。
 後者はスタジオジブリのアニメ。猫の王国の王様に魅入られた女子高生が、猫の人形バロンに助けられる。塔昇り、落下、鳥の手助けと、長猫のパロディのような。ヒロインの声が池脇千鶴(「ほんまもん」の主人公役の子)なので、パスだわ。
 ついでにマグリット展を覗いたが、中学生から六、七十代まで、たくさんの女性で混んでいた。つまらなかった。写真で見たほうがいい画家がいるが、マグリットはその一人のようだ。CGが使えたら、もっとおもしろいものをたくさん描いたかもしれないな。


7月の雑感 映画がたくさん観られた。むりやりに時間を作ったので。めぼしいところは読んだが、これという本もなく、ただ暑い。