藍読日記 ☆読んだ本と『幻想文学』関連の情報、その他の情報をお届けします。         2003/7/5更新
★読書メモについては主観的かつ恣意的な趣味に基づく書き散らしです。文責はすべて石堂藍にあります。
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2002年10月


2日
たからしげる『闇王の街』
(アーティスト・ハウス)
 祟りのある家といわれている家を興味本位で見に行った少年たちが、悪霊と対決することになる話。(京)

岸田秀『一神教vs多神教』(新書館)
 聞き手は三浦雅士。半ば対談に近い。ヨーロッパとキリスト教の関係を精神分析的に解読し、一神教はしょうもない、紛争が絶えない、現状をどうしたものかとため息をつく。アホか。紛争問題が純粋に宗教的対立の問題であるのなら、誰も苦労はしないだろうが。
 以前、岸田はフェミニズムの対談か何かで愚かなことを言っていて、こいつはバカなんだ、と思ったことがあったが、岸田の友人だという三浦雅士も同類らしく、「自分の境遇を不幸だとも幸福だとも考えられるのが人間なのに、自足している人々のところへ行って、君たちは抑圧されている、虐げられている、と言ってそう思い込ませることに成功したのが、キリスト教であり、マルクス主義であり、フェミニズムですね」などと言っている。奴隷の幸福というわけか? この人は抑圧的なものに苦しんだことがないのか?
 だいたい、多神教の方がいいとか言っているこいつらは、自分たちも所詮拝金教という一神教の信徒で、搾取している側の人間だということを考えたことが無いんだろうか? まさか自分たちは違うとでも!?(
 
3日
『賢者180名「命」の言葉』
(徳間書店)
 哲学者や文学者などの思想と経歴を紹介する、倫理社会の教科書のごとき本。しょうもない企画だが、私がもしも同じようなものを作らねばならなくなったら、もうちょっとアピールする体裁に作ると思うけど……。読みにくい。(

佐藤文明『戸籍って何だ』(緑風出版)
 戸籍廃止論者が戸籍の問題点をQ&A方式で書いたもの。戸籍の機能をすべて住民台帳に統一させるとして、その移行が完了してから何十年も経たないと戸籍はなくならないんじゃないか。現にこれが住民台帳と連動して国民把握の道具として使われているわけだし、夫婦別姓でさえすんなり行かないのに、廃止するのは至難の業だろう。戸籍に登録せずに頑張っている人もいるようだが、原発反対と言って電気を使わなかった人みたいな悲壮さがある。(

兵頭二十八『現代戦争学』(並木書房)
 軍事に関する雑学本。核弾頭ミサイルを備えよ、とか書いてある……。(

副島隆彦『金融鎖国』
(祥伝社)
 一千万以上の金を貯めている老人たちよ、日本に金を置いておいたら危ない。良い海外ファンドに預けなさい、という本。アメリカ大不況、戦争による特需と景気回復もたぶん効無しで、アメリカにいいように企業が乗っとられ続けている日本は、大蔵官僚がアメリカの手先のような日本は、このままでは通貨切り替え、預金封鎖ということになるから。これってトンデモ本じゃないの? 文体はトンデモ系列のものなんだけど……。(京)

5日
日本民話の会・外国民話研究会編『世界の運命と予言の民話』
(三弥井書店)
 そのままの内容。全世界の民話を原典から集めようと、それなりの志は見えるものの、特に珍しい話があるでなし、分量もそんなにないし、解説も物足りないし……という感じ。

川上弘美『龍宮』(文藝春秋)
 もう読まないって、言ったはずなのにねえ……。一皮むけた感じ、と某氏に言われてその気になった私がバカだった。作品はそんなに悪くはないが、かけらもおもしろいと思えない。というよりはうざったい。要するに波長が合わんのだろう。

ロジェ・ポル・ドロワ『虚無の信仰』(島田裕巳・田桐正彦訳・トランスビュー)
 仏教受容史。序章の最初の方を読んだところ、どうしようもない本かと思ったが、これはなかなかおもしろいフランス仏教受容史である。文化受容は言葉の受容・創造という面もあるので、出来れば原語表記とその説明が欲しかった。「悟り」は例えば何と言われているのか? サンスクリットの音移しなのか、とか。
 なんで西洋人(の哲学者や哲学愛好家)は仏教を学ぶということをしないのかと常々不思議でならなかったが、その疑問がいささか解けたように思う。

9日
表紙画(浅野勝美さんの描いた美青年の天使)をもらって、デザイナーの伊勢さんのところへ。そこで作品社の編集者の方にお会いして、雑談など。

ロバート・ジョーダン『黒竜戦士』7・8(斉藤伯好訳・ハヤカワ文庫FT)
 何だ、この展開は! という感じで六冊目が終了。いったいエグウェーンやナイニーヴの立場は今後どうなるのか?

10日
『幻想文学』65号を出稿。今回は本当にいろいろな方に助けていただいたという感じが強く、協力して下さったみなさんに感謝。これで読者に楽しんで貰えれば言うことはないのだが。

パウロ・コエーリョ『悪魔とプリン嬢』(旦敬介訳・角川書店)
 ファンタジー本があまりにもないので、何かの足しになるかと思って買った私が悪いのです。あまりのくだらなさにうんざり……。これならまだ『アルケミスト』のがマシだったかも。

サトクリフ『ベーオウルフ』(井辻朱美訳・原書房)
 一冊の本としては短い! 細部は違うけれど、ほとんど原作と変わらないから。

11日
倉阪鬼一郎『内宇宙への旅』
(徳間デュアル踏文庫)
 とっても綺麗な表紙だけど内容とは関連性なし。口絵も、内容的には違わなくもないけど、こういうイメージの話ではない。作者本人が不毛のような努力と言っているような仕掛けがあって、それは不毛そのものだと私は思うけれど、きっと喜ぶ読者もいるには違いない。

ミシェル・セール『天使の伝説』(及川馥訳・法政大学出版局)
 「天使」をkey wordにして、対話形式で現代という時代について考察していく。ロマンティックというのは語弊があるだろうが、そんなような感じ。

ナーズム・ハクメッド『フェルハドとシリン』(石井啓一郎訳・慧文社)
 戯曲。瀕死の妹を助けるために、美貌を犠牲にした姉。二人はフェルハドという美男子の絵描きを同時に見初めるのだが……。
 この作品の含意は複雑微妙であり、容易には説明できない。読めばわかるのだが。

大場惑『ほしのこえ』(メディアファクトリー)
 小説としてはしょうもないと思う。たくさんたくさん付け加えながら読んだ。

14日
神林長平『ラーゼフォン』(メディアファクトリー)
 平行宇宙を弦として奏でる楽器のようなものラーゼフォンとかいう壮大な設定。話は少年が戦う話。アニメとシェアーワールド……しかしまあほとんど関係ない。神林さんの小説。

15日
テリー・グッドカインド『魔石の伝説』
(佐田千織訳・ハヤカワ文庫FT)
 カーランが少年兵たちを指揮して戦う。ラストの方がすごい展開。こういうところでお預けというのはないのでは?

16日
映画『サイン』を観る。あまりにもバカな映画で絶句。本来ギャグものとして始まった企画を無理矢理シリアスに変更してしまい、わけわかんなくった……みたいな。水曜日で安いから許せたが……。

 色校正と誌面の最終チェックを出したので、あとは印刷を待つばかり。月末出来の予定。

17日
村井早苗『キリシタン禁制と民衆の宗教』
(山川出版社日本史リブレット)
 江戸時代のキリシタンの取り締まられ方と民衆と寺社の関係から権力構造を読み取ろうとしたもの。キリシタンと寺社の関係にも言及している。しかし、紙数に見合ったテーマではないので、きわめて散漫な印象を与える。どれか一つとするべきか、切り口を別のものにするかすべきだった。「松前藩は日本ではない」という藩主の見解など、日本の形成という点から見ても興味深いテーマではあると思うのだが……。

ラルフ・イーザウ『盗まれた記憶の博物館』上(酒寄進一訳・あすなろ書房)
 双子の姉弟が父の記憶がなくなりかけていることに気付き、その謎に迫っていく。上巻だけなので、何とも言えないがそこそこおもしろい。

19日
福澤徹三『怪を訊く日々』
(メディア・ファクトリー)
加門七海『怪談徒然草』(メディア・ファクトリー)
 体調がきわめて悪いので、重い本を持てず、書影のために買ったこの軽い二冊を読んでみた。《怪談双書》というシリーズは三津田さんの作ったものだったのか。後者では何度も『幻想文学』の名前を出してもらって……。でも『幻想文学』は怪談を載せはしても、現実の怪談とは縁なくやってきている。もちろん黒死館をめぐる鼎談が取れてなかったという話などは、単に東がドジだったというだけ。座興としてもいまいちだよね、この話。細かいことを言えば私は発行人じゃないし……。

20日
飛浩隆『グラン・ヴァカンス』
(早川書房)
 この世界への納得がいかなくて、時間がかかった。世界設定がすごくわかりにくいんだけど……。《廃園の天使》というシリーズの一作目らしいから、作者にはこのVR世界の構造がちゃんと理解できているんだろう。でも読者には最後まで分らないから、とっても不親切な感じがする。エピローグとプロローグに全体構造をある程度示すものを入れるべきではなかったか。また世界構造と人格が不可分だという設定はものすごくおもしろいと思うのだけど、物語としての人間関係と、SF的な読みとがどんどん乖離してうまく読み取れなくなり、最終的に、私にはわからないものになってしまった。

瀬名秀明『あしたのロボット』
(文藝春秋)
 手塚治虫に捧げるロボット短篇集。「ハル」がおもしろかったのでちょっと期待したのだけれど、全体に感傷的で耐えがたかった。著者はいい人なんだなあとは思うけれども……。

山田正紀『渋谷一夜物語』(集英社)
 近年書いた短篇をまとめたもの。自選短篇集という引き句は、こういう時には使うべきではない。ミステリ、ホラー、SFなどが入り交じっていて、ミステリ系はいまいちである。奇妙な味わいの「屍蝋」が良かった。

ガース・ニクス『サブリエル』(原田勝訳・主婦の友社)
 プライスの『ゴース・ドラム』を思わせるような冥界をめぐる魔術の物語。しかしプライスのような複雑さは持ち合わせず、冒険活劇に近い。ラストが納得できないが、最近出たファンタジーの中では相当程度おもしろい。

22日
森山公夫『統合失調症』
(ちくま新書)
 社会関係から生ずる病であるとして、対人恐怖症の昂進によっても統合失調になることなどを力説する。要するに薬物があまりうまく作用しないのだろう、この病気は。諸説があるので、本書が正しいのかどうかはわからないが、わかりやすくはある。(京)

藤原帰一『デモクラシーの帝国』(岩波新書)
 多民族国家であるからアメリカという国と世界の境界がはっきりしなくなる。また、ファンタジックなフィクション(映画を例に挙げている)を現実に重ね合わせて平気でいられるほどの国力がある。強大な軍事力、そしてかなり強い通貨。要するに、正義と民主主義を旗印にした、誰も止めることのできない帝国であると。9.11によってアメリカは自己抑制を失ったように見えるが、それは結局アメリカに不利だと言い、また各国もアメリカの前に萎縮してもいいことはないと言う。でも結局、これは自発的にアミシャダイ(神林長平の小説に出てくる機械人。非常に優れていて強いのだから、弱い人間を積極的にいじめるようなことをしてはならないと考えている)のようになってもらうしかないということでは?(京)

藤沢周『紫の領分』(講談社)
 数学の塾講師(作者と同じ42歳)が仙台と横浜で働きながらどちらにも内妻を持っている。互いの存在は内緒である。虚無だのなんだのという言葉を好む。同僚の数学講師で、ウィトゲンシュタインと正法眼蔵が好きで出家を考えたとかいう男が、「真が命題になる不能性に絶望する」とか言って自殺してしまう。主人公も死にひかれるが、死にきれない。女たちは互いの存在を知り、男を捨てる。男は新幹線の車窓から見る吼える犬に憧れる……。堪え難い。(京)

土屋道雄『おかしな日本語正しい日本語』(柏書房)
 書籍、雑誌、新聞、テレビなどからさまざまな間違いなどを拾ってきて、五十音順に並べている。翻訳からも多く拾っているが、訳者名が書いていないので、ジイドやチェーホフが可哀相になってくる。漱石の江戸弁に文句をつけたり、谷崎の使う古い言葉に目くじらを立てている偏頗振りだが、もはや誰も指摘しなくなった掉尾(ちょうび)の読みや、独壇場については文句をつけていない。間違った読み方編、ああ勘違い編、などとして、昨今の大手出版社・新聞の校閲の無能をあげつらうものにした方がまだしもすっきりする。小さい出版社はともかく、こうした間違いに関しては専門校正者が多くの責めを負うのである。でも、誤植らしいところにまで「誤植かも知れないが」と言いつつケチをつけているから、それも可哀相か。(京)

ノア・ダベンポートほか『職場いびり』(アカデミックNPO監訳・緑風出版)
 職場でのいじめが現実にあることを認識させるための本。セクハラのようにそれが社会常識となれば、いじめに対処できるということ。アカハラというものがあるそうで、大学・研究機関などで研究者に対する妨害・いじめが日常化しているとかいうことがあとがきに書かれている。(京)

窪島誠一郎『石榴と銃』(集英社)
 先の戦争で夭折した画家・画学生の作品のコレクションをしている作者が、そうした画家をテーマにして書いた短篇集。なかなかおもしろかった。(京)

木下昌明『映画と記憶』(影書房)
 社会的映画批評。アメリカ帝国主義に嫌悪を示し、戦争論の小林よしのりを侮蔑し、北野武を批判する。『新日本文学』の編集者だったそうだから。全面的に共感というわけにはとてもいかないが、一本筋が通っていて、納得できる評論集である。(京)

ラファティ『地球礁』(柳下毅一郎訳・河出書房新社)
 相変わらずわけがわからない。アイルランド人の戯画であるのか、プーカ人という異星人が主人公。一家がアメリカの田舎に入植してきた顛末を、恐るべき子どもたちを軸に描き出す。SFではない。ファンタジーである。ラファティは敬虔な、というよりも原理的なカトリック教徒だというのだが、まったく不思議だ。

レベッカ・ブラウン『私たちがやったこと』(柴田元幸訳・マガジンハウス)
 新婚旅行の悪夢を描く「結婚の悦び」やエイズ死を描く「よき友」、過去と現在が入り乱れる中での複雑な感情を描く「アニー」「ナポレオンの死」など幻想短篇を収録。表題作はフェティッシュで残酷な愛の形を描いているが、小川洋子の作品にそっくり。

23日
平野啓一郎『葬送』(新潮社)
 ショパンとドラクロアを中心にした歴史小説。幻想小説ではなく、芸術家小説。私にはつまらなかったが、少なくとも枚数的に頑張ったことは確か。根気はあるということで、それは一つの才能である。

24日
ローリング『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』(松岡佑子訳・静山社)
 三大魔法学校対抗試合にむりやり参加させられたポッターの話。かなりひどい展開なのだが、どうでもいいや。これだけ売れてしまったのだから、こんなものでも満足な人は満足なんだろうし。
 学校に入り込んだ敵は誰か、をメインとするミステリで、それなりに伏線が張られている。ポッターがこうも受け入れられたのは、ファンタジーだからではなくて普通の、赤川次郎の学園ミステリみたいなものに近いからだと思われてくる。ミステリというのはSFと違って広範な読者を獲得できるジャンルなのだろう。
 毎日新聞の夕刊の一面に本書発売が記事になっていて、驚いた。児童書専門の編集者の方からうかがった話だが、こうした記事は要するに英米の後追いであって、英米で既に似たようなものが記事になっているから、日本でも記事としての価値があるとされるのだろうということだった。そして英米の記者もまた日本の新聞を見て世界的現象であることを確認する。そういう形でのグローバリズムの表われと。なるほど、そのように見ると、米国のコングロマリットによる書籍の均一化の脅威というものが、実感されるように思われる。

村上春樹『海辺のカフカ』(新潮社)
 戦時中、山梨県のとある里山で、子どもたちが空に奇妙な光り物を見た後に一時的昏睡状態と記憶の欠落に陥るというエピソードが調書の形で挿入されている。中で完全に記憶を失った子がいるが、その成れの果てであるナカタ(ネコと喋れる)の不思議な言動と、四国の図書館に住み着いた15歳の少年カフカの、かつて家を出た母と姉を希求する物語が並行して語られる。二つの話は密接に関わっているが、二人が出会うことはない。
 あまりにも人工的、観念的。パス。

安森敏隆ほか編『キリスト教文学を学ぶ人のために』(世界思想社)
 大層なタイトルだが、まったく内容の無い本。聖書とキリスト教信仰の与えたインパクトが近代日本文学にいかなる刻印を残してきたかを鳥瞰するといったような惹き句であるが、大嘘である。いくつかのエッセイと対談、ガイドから成っているので、雑誌のようなものだが、個々のエッセイには全体を俯瞰しようという意図はない。例えば、いくつかの宗教文学とそのパターンを概説し、その後に『クオ・ヴァディス』の筋を長々と紹介した揚げ句、世俗的な題材を用いて宗教的感動を与える作品が、キリスト教文学として優れているものが多い、という、それは子供が考えてもそうは思うかも知れないが、何の根拠もない結論に辿り着いたり(児玉實英)、宗教と文学とは両立しない、イエスは復活していないし……そんなことを言う論者(笠原芳光)をもってきて対談をしてみたり、あまりにもひどい。ガイドの部分では筆頭が『ロビンソン・クルーソー』で最後が『日蝕』。個々の紹介の視点にはばらつきがあるが、ただの内容紹介にとどまるものがほとんどである。歴史的観点からの考察はおろか、個々の作家にとってキリスト教の意味は何かという考察もなく、翻訳文学がキリスト教文学として与えた影響についてもほとんどノータッチ。俯瞰すると言いながら、何を考えているのか一向にわからない。綱島梁川とか岩野泡鳴、あるいは山村暮鳥あたりの名前は、とあるエッセイの中で『本の手帖』のキリスト教文学特集で取り挙げられた文学者の名前を列挙するところぐらいでしか出てこない。
 なぜ今更、漱石とか太宰とか賢治なんぞを問題とするのか? キリスト教文学研究の現在がこのようなものだとは思いたくないが、こんなに低レヴェルなものが一冊の本として世に出ることに鬱勃たる怒りを抑えきれない。

デイヴィッド・チャクルースキー『詩神たちの館』(立石光子訳・早川書房)
 秘密主義の作家ホラス・ジェイコブ・リトルは評価の高い作家だが、メディアには一切姿を見せず、経歴も知られていない。主人公の駆け出し記者ジェイクはリトルの正体を突き止めようとする。
 物語の中にはところどころにアンドリューという統合失調の青年のリトルをめぐる妄想的な手記が差し挟まれている。アンドリューは、ジェイクの恋人ラーラが、彼のあとにつきあい、心底愛した男性だった。彼は今「MUSE ASYLUM」という芸術家たちを集めた精神病院で加療中であり、そこで手記を書きつづっていた。
 友人のハッカーの手を借りてリトルの居所を突き止めたジェイクだが、リトルにもまたどこか禍々しい狂気の光が宿っていた……。
 ミステリともホラーとも言い難い感じ。青春小説の一種とも言えるかもしれない。まあ、そこそこ。このテーマならもっと濃密でないと、読んだという気がしない。

ブラッドベリ『塵よりよみがえり』(中村融訳・河出書房新社)
 「集会」に始まるエリオット一家ものを集めて長篇に仕立てたもの。著者の精神的自伝のようにも読める。ファン向け。

ジェイムズ・ハルペリン『誰も死なない世界』(内田昌之訳・角川文庫)
 不死テーマのかなりくだらないSF。いまどきこんなものが訳されるというのが驚き。

F・P・ウィルソン『異界への扉』(大滝啓裕訳・扶桑社ミステリー)
 《始末屋ジャック》シリーズ。これはいかにも中継ぎめいた一冊。

26日
多田智満子『犬隠しの庭』
(平凡社)
 日々の生活の話題など軽いエッセイを中心に集めたもの。表題作は愛犬の死をめぐるもの。
 著者紹介の欄に「詩人、エッセイスト」とあって、エッセイストとは何と多田さんに似付かわしくない肩書きかと思った。詩ではない文章を書いても、詩人の文章なのであって、多田さんには常に詩人という言葉こそが相応しいと私は思う。

文芸社からの献呈本を二冊読んだ。名前は記さない。小説としてどうしようもないが、自費出版なのだろうから。この読書メモは批評以前のくだらぬ書き散らしだが、これがそのまま「評論書」として本になってしまったような、と言えばいいだろうか。こうした本の行く末を思うと、げんなりする。

27日
『日影丈吉全集』(
国書刊行会)
 長篇ミステリ五作を収録。どれもミステリだと思わずに読める小説である。『見なれぬ顔』という作品を初めて読んだが、これは何だか意外でおもしろかった。ミステリ的な意外さではない、もちろん。横山茂雄の解説も、月報もおもしろく読んだ。

29日
『幻想文学』65号出来。郵送と書店への配本。浅野勝美さんの個展を観る。

アン・ローレンス『アンブラと四人の王子』(金原瑞人訳・偕成社)
 著者は既に亡いフェミニズム系のファンタジー作家で、機知に富んだものを書く作家。本書もまた戯画的に王女の成長を描いているのだが、出だしと結末とに整合性が薄く、いささか中途半端なものになっている。読んでいて愉しいことは愉しく、結構笑える。

山口雅也『奇偶』(講談社)
 神無川県在住のミステリ作家火渡雅が、奇妙な偶然の連続に巻き込まれて宗教的な世界に引き込まれていく話。神無川市の海沿いに原発があって大事故を起こしたという世界だが、べつにSF的になっているわけではなく、あくまでも普通の展開で、パラレル日本というほどのこともない日本で話は展開する。こういう話をミステリ中毒の人がどう評価するのか知らないが(意見を聞いてみたい)、ミステリあるいははアンチ・ミステリではないと私は思う。マイリンクの『緑の顔』とかブルワ=リットンの『不思議な物語』とかいったオカルト小説を私は思い浮かべた。これらの作者がオカルティックなことを信じていたのに対して、そうではないという決定的な違いは、では何のための小説なのだろうと、私に思わせる。

31日
神田に返品の引き取りに行ったら、古本市をやっていた。神保町駅の最もはずれに出てしまったので、ごった返す人と本のあいだをすり抜けて、ようやく目当ての本屋に着いた。古本市のさなかに大きなザック(返品を入れるため)を背負って神田をうろつかねばならぬとは……。


今月の雑感 日野啓三さんが亡くなられた。『幻想文学』を始めたころにお会いしたとき、その精神的な若々しさが印象深かった。作家としての仕事とは別に、そのときのイメージは、私の中にいつまでも消えずに残り続けるだろう。