藍読日記 ☆読んだ本と『幻想文学』関連の情報、その他の情報をお届けします。         2003/7/5更新
★読書メモについては主観的かつ恣意的な趣味に基づく書き散らしです。文責はすべて石堂藍にあります。
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2002年11月


1日
ダイアナ・ウィン・ジョーンズ『ダークホルムの闇の君』
(浅羽莢子訳・創元推理文庫)
 魔物を捕らえて自らの守りとしている悪辣な地球の事業家チェズニーによって搾取されている別世界。観光巡礼地にしたてられて、さまざまな労役を強いられている住民たちは、来季にはもはや飢えて死なんばかりである。魔法大学の総長ケリーダは、チェズニーを追い払おうと策を練るが……。メタファンタジーの要素もある長篇。キャラクターや設定は相変わらず冴えているが、全体のバランスが悪くて、説明が多過ぎる感あり。

石川結貴『あなたは主婦が好きですか』(中央公論新社)
 主婦(もっぱら専業主婦)の置かれている立場と悩みを綴ったもの。タイトルの問い掛けは、主婦の人へのものというばかりでなく、主婦以外の人にも問いかけるもの。
 こんなふうに改めて訊かれると、主婦という言葉には、その家の女主人という響きがあるので、主婦でいることは好きだ、と私は思う。しかし、主婦の仕事がすべて好きでもないし、やりたくないときも多い。それは書評家であるのも同じことで、この仕事が好きだが、すべての書評を喜んで書いているわけではないし、やりたくないことも多い。どんな仕事だってそうなんだろう、たぶん。
 なお著者は自分の体験上、フェミニズムには違和感を覚えるというようなことを言っているが、この本で問題とされていることはすべてフェミニズムの扱ってきた、また現に戦っている問題であると思う。恐らく、現実を前にしてそれを認識するだけでなく変えようとしたとき、何らかのずれが生ずるのではないだろうか。不幸な感じである。
 著者にひどいことを言ったフェミニストとかバカ丸出しの社会学者とか実名で書いて欲しかった。でもそうすると、きっとこんなことは言った覚えはないとか理解していないバカな奴とかいった抗弁をするんだろうなあ。(京)

2日
セリア・リーズ『魔女の血をひく娘』
(亀井よし子訳・理論社)
 魔女狩りでただ一人の肉親である祖母を殺された少女メアリーが清教徒のふりをして大陸に渡り、一人で生きて行くようになるまでの話。魔女の力は本当にあるものだとされている。ただし悪魔との契約ではなくて血筋的なもの。

ジョージア・ビング『モリー・ムーンの世界でいちばん不思議な物語』(早川書房)
 肉丸君の魔子ちゃんみたいな才能を持ったみなしごの少女が冒険する話。

ディーン・クーンツ『ぬいぐるみ団オドキンズ』(風間賢二訳・早川書房)
 善のぬいぐるみと悪のおもちゃが戦う話。早川書房の《ハリネズミの本箱》というシリーズはどうやら小学生向けのようだ。大人の読者には薦められない。

リンド・ウォード『狂人の太鼓』(国書刊行会)
 文字の無い絵物語。だから読んだわけではないが。奴隷商人の息子を描いた暗い話。

4日
杉田敦『権力』
(岩波書店)
 権力論の歴史的な概要を簡単に説明したもの。権力空間は権力を振るう者だけではなくそれを振るわれる者によっても支えられている場合が多いという話。論理的には正しいかもしれないし、仏教的な世界観からは当たり前とも言える話ではあるが、現実は論理ではどうにもならない。

青来有一『月夜見の島』(文藝春秋)
 満月の夜には死者に会えるという島で、カウンセリングを受けることになった夫婦の話。まずい小説。この人はいったい何を書きたいのだろうか?

村上政彦『「君が代少年」を探して』(平凡社新書)
 台湾地震の際に君が代を歌ってから死んだ少年がいて、そのエピソードが昭和十七年の国定教科書に載った。「皇国的美談」を追うドキュメンタリー。内容的にはバランスが取れているが、書き方がいかにも〈小説家〉。(京)

加納隆至ほか編著『アフリカを歩く』(以文社)
 京大の加納隆至退官記念論文集。論文ではなくて軽い読み物集であるところがおもしろい。中には高校生の作文のようなものもあるが、一般向けの読み物としてはこういう素朴なのもいいのだろう。(京)

坂口貞男『熊野山ごよみ』(角川春樹事務所)
 熊野山中で材木関係の仕事を六十年近く続けた男の昔語り。食物の話が多いが、ひだる神などの怪異のエピソードもある。(京)

蓮實重彦『「知」的放蕩論序説』(河出書房新社)
 すが秀実、渡辺直己などを聞き手としたインタビュー集。座談会に近いが、関係が対等ではなく、蓮實が先生と奉られるので、やはりインタビューだろう。この人たちは単語の意味を恣意的に使うので疲れる。(京)

7日
加門七海『常世桜』
(マガジンハウス)
 琵琶を奏で神・霊を鎮める盲目の僧を描く連作短編集。

エドワード・ケアリー『望楼館追想』(古屋美登里訳・文藝春秋)
 愛のこもっているものを収集し、内面的にも外面的にも不動でいることを特技にしている男フランシスと、彼の住まう館の物語。小川洋子みたい。前半はなかなかおもしろく読めるのだが、話が進展するにつれてどんどん凡庸な展開になってしまう。ジョン・ファウルズやマグラアが褒めたというが、前半までなら納得できる。

8日
川村湊『妓生キーセン~もの言う花の文化誌』
(作品社)
 韓国の高級娼婦についての研究。高級娼婦の存在はある種の文化を創造し、また社会的権力を、社会から疎外された女性に与えた例もあるため、その評価は常に両義的になる。植民地についても同じことが言える。本書はフェミニズムにもまたコロニアル・スタディーにも意識的な男性が書いた一冊であり、おもしろいことはおもしろいが、あまりにも日本の植民地・韓国へのまなざしという点にこだわりすぎたために、牽強付会と思われるところがある。例えば妓生絵はがきの解釈(何かに寄り掛かり、目を伏せているのは植民地支配とパラレル)は、対照品が曖昧で数が少ないために、あまりにも強引な印象を与える。植民地は女性として表象されるのを常とし、日本でもそれは踏襲されたのかもしれない。だからといって、高級娼婦たちが植民地の表象となっているとは言えないのだから、単に女性一般に求められるポーズを取らされているとも言える。実際に調べてみれば著者の言っていることは正しいのかもしれないのだが、こうした検証は数をもって説得的になされるべきであって、思いつきのように書かれてはならない。フェミニズム全般に関わる問題でもあるからである。

9日
若桑みどり『皇后の肖像』
(筑摩書房)
 明治天皇の妃、美子皇后の図像(とイメージ)が日本人の国民化、就中女子の国民化に果たした役割について論じたもの。図像学から離れて、明治期のイデオロギーの創出についても紙数を費やしている。
 とにかく怒っている。明治期の政治的イデオロギーの作り出した女性差別、女性への抑圧に怒った結果が本書なのだろう。あとがきではつくる会の教科書に怒りまくっている。前掲の『主婦が好きか?』のような本とともにこういった書物を読むと、歴史を学び、経済を学ぶことがともかくも重要ではないかと思えてくる。
 なお本書には、著者の教え子の父親の企業人が「月経と出産のある女性は企業にとって身体障害者に過ぎない」と言ったというエピソードが載っている。それを娘に言ってしまって、それで娘がフェミニズムに目覚めたというところがおもしろい。身障者は障害のない人と同じようにはいかないが、仕事を限定すれば普通以上に仕事ができる場合もあり、それと同様に出産というハンデがあっても使いようで女は使えるとこの企業人は思っているのだろう。つまりうまく使わねばならないと。適材適所という掛け声がはやったことがある(まだはやっているのか)が、その延長とも言える。実際に企業にしてみれば、出産する女性のためのケアは、身障者雇用と同様の負担だとも言えるかもしれないのだし、こねくりまわせる言葉だ。

恩田陸『ロミオとロミオは永遠に』(早川書房)
 荒廃した未来の東京でエリート養成学校に入った少年たちの運命を描く男子高もの。SFMで連載中、暗いので途中で読むのを放棄してしまったが、まとめて読んで、暗いというよりは狂騒的なのだと思う。イメージのしにくいスケールになっている世界だ。風俗その他を取り入れているのはいつもながらで、展開もスピーディ、キッチュな趣向も堂に入っている。しかし、この落ちはないのでは……。

11日
高野史緒『アイオーン』
(早川書房)
 核戦争によって荒廃した後の世界が、現実の中世の歴史と重ね合わせるように描かれている幻想歴史小説。

〈チェコアニメ新世代〉という短編集を観る。クリムト「フィムファールム」「落下」、ドゥルジアク「大いなるくしゃみ」、ブベニーチェク「海賊」、ヤン・バレイ「ワンナイト・イン・ワンタウン」など、2000年前後の作品ばかりを集めている。「ワンナイト」などはシュヴァンクマイエルやポヤールなど、先行作家の影響が顕著で、新しいものを作っていくことの困難と喜びとを感じさせる。

12日
野崎六助『ミステリを書く! 10のステップ』
(東京創元社)
 小説執筆講座だが、実効力があるかどうかは私にはわからない。ただミステリ入門にはなるし、小説批評にもなっている。むしろ既存の作家に、これ読んで勉強したら?と言いたくなる。一つだけむっとしたのは、ミステリとは何か的な部分で、自分の好きな短篇集としてSF&怪奇幻想もの(『一角獣・多角獣』『ベスト・オブ・ディック』『壁抜け男』『炎のなかの絵』『ベスト・オブ・サキ』『あやかしの鼓』『あなたに似た人』『まっ白な嘘』『10月はたそがれの国』『アイリッシュ短編集』)を並べた揚げ句、「何がミステリで何がミステリでないのか、ますます混乱してしまうかも」などと言っているところ。ここ以外ではむしろミステリとして問題ないものを挙げているのだから、このベスト短篇集というのがまずいだけだ。ミステリ的なものがないとは言わないが、本書の文脈で挙げるべきものではない。変なところで自己主張をするからこんなばかげたことになる。そうしておいてこの言い草はないだろう。(京)

岸俊光『ペリーの白旗』(毎日新聞社)
 つくる会の教科書で偽文書を用いていたとして問題視されたペリーの白旗論争。これはもともと「砲艦外交の証拠として偽文書を用いるのはないだろう」という視点からの問題提起だったのではないか……と思ったが、論争は妙な具合にねじれていく。全体としてはおもしろいのだけど、最終的に、上記の視点にはまったく触れられていなかった。
 本書で初めて松本健一が白旗文書を取り上げて一冊書いていることを知った。だいぶ前に『神の罠』を読んで、あまりにも粗雑な論考だったので、それ以来一切読むのをやめたのだが、こんなものも書いて物議をかもしていたのかと驚いた。つくる会に使われて再び脚光を浴びたのなら、むしろ恥じた方がいいのに……。(京)

13日
 映画『プロフェシイ』を見る。ジョン・キールのMothman Prophecy を元にしたもので、なかなかおもしろかった。スプラッタ・ホラーではないホラー映画のファンにおすすめ。その後、アニメを見に行く。ポール・ドリエッセンというカナダの、形而上学的風刺マンガとでも言うべき作風の作家の作品集、その他のカナダ・アニメ、ヨーロッパのCG集を見る。すべてこれまで未見のもの。ドリエッセンの作品は、これまで見たことのあるものの方がインパクトがあった。その他のカナダのものでは指先ペインティングによる「ゆきのねこ」がおもしろかった。CGは実写やセルなどほかの表現方法との合成ものが多く、どれも愉しめた。人形アニメとの合成「岩のつぶやき」が秀逸。下北沢のトリウッドというプロジェクター(これが難点)による上映館で見たが、ここはいつも人が居ない。ほかでは見られないものをやるので、懐と時間に余裕のある方にはぜひとも行ってもらいたい。

佐藤愛子『私の遺言』(新潮社)
 大規模な霊障に見舞われた話と、霊的世界観を綴ったもの。遺言とは信仰告白に近し。(京)

時実新子『悪女の玉手箱』(実業之日本社)
 エッセイ集。この著者、ほんとに苦手なんだけど……。(京)

鶴見太郎『ある邂逅~柳田国男と牧口常三郎』(潮出版社)
 郷土会で席を並べ、調査旅行も共にしたことのある二人についての評伝。牧口はマイナーなので柳田を引き合いに出したのではないかと思われるほどに対照評伝としてはいまいち。(京)

14日
 写真美術館へロシア・アニメを見に行く。上映期間が短いので、続けて見に行かざるを得ない。なんで11月にいろいろなところでまとめてやるんだろう。上映作品は60年代後半から80年代までのもので、全体としてはいまひとつ。スパイものが「ソ連!」という感じで、政治的な意味でおもしろかった。なおロシア・アニメは阿佐谷のラピュタでは今月いっぱいだが、写真美術館は22日には終わる。同じ値段なら、絶対に阿佐谷なんかで見たくない。写真美術館ではチェブラーシカもやっているので、ぜひどうぞ。

J・グレゴリイ・キーズ『錬金術師の魔砲』(金子司訳・ハヤカワ文庫FT)
 改変歴史物。パラレル18世紀前半、ニュートンがエーテルに作用する物理法則を発見し、別種の科学が発達している。ルイ14世はペルシャの秘薬のせいで長生し、イギリスとの戦争を果てしなく続けていたが……。天才少年フランクリンと女性科学者アドリエンヌの二視点から描かれるファンタジーSF。

大友克洋&木村真二『ヒピラくん』(主婦と生活社)
 吸血鬼の少年ヒピラくんが主人公のものすごく可愛い絵本。

矢玉四郎『はれときどきたこ』(岩崎書店)
 ひさびさの十円安の登場である。しかし、言葉の乱れを嘆く説教が蜿々と入るしょうもない構成で、これでは、ナンセンス童話の傑作シリーズの名が泣く。

15日
セルジュ・ブリュソロ『ペギー・スー蜃気楼の国へ飛ぶ』
(金子ゆき子訳・角川書店)
 人間の目には見えないお化け《見えざる者
》の姿を地球上でただ一人見ることの出来るペギー・スーの第二作。人を虜にする蜃気楼世界を舞台にしたもの。第一作と比べれば不自然ではなく、知恵を使った冒険もあり、まだまし。しかしどうもおもしろくない。

ヒュー・ロフティング『ガブガブの本』(南條竹則訳・国書刊行会)
 《ドリトル先生》番外編。ブタのガブガブが全十章に渡って語る「食べ物語」。シャレがたくさん。

福永令三『クレヨン王国道草物語』(講談社青い鳥文庫)
 まさに道草のような、一冊。話にも何もなっていない。ただキャラが出てくるだけ。それでも、ダガーの太鼓の話などは非常に素晴らしく、何とも言えない味わいがある。これだけ長く続いたシリーズなので、もう話などはどうでもいいというところはある。

16日
酒見賢一『陋巷に在り』13
(新潮社)
 後始末。孔子は魯を治めることが天命でなかったことを知り(身勝手!)、放浪の旅に出るという結末。

池上永一『夏化粧』(文藝春秋)
 強い呪力を持つ産婆のオバァによって、母親の津奈美以外には見えなくなってしまった祐司の呪いを解くために奮闘する津奈美を描く。

アベカシス『クムラン2』(鈴木敏弘訳・角川書店)
 続編。フリーメイソン、テンプル騎士団、暗殺者教団すべてがクムラン教団と同根であるとされる。あまりにもアホだったが、これは本を手にした自分が悪いのだ。一作目で懲りても良さそうなものである。

篠田節子『静かな黄昏の国』(角川書店)
 ホラー短篇集。薄い。

ジョージ・R・R・マーティン『七王国の玉座』(岡部宏之訳・早川書房)
 《氷と炎の歌》シリーズの第一作。七つの小国を一つに統合している七王国の鉄の玉座をめぐって展開する闘争。というか王妃の双子の兄との不倫とその結果の子供が問題。まあよくある話だ。基本的にキャラ小説。本書では発端が描かれているだけで、物語が動くのは次巻以降となろう。

角田忠信『日本人の脳』(大修館書店)
 25年も前の本なのだけど、とてもおもしろい実験結果を報告している。左脳・右脳で単純に言語脳を考えるすると、日本人は言語脳である左脳で、泣き声・ハミングなど人の声全般、鳥や虫の声、自然の音や和楽器の音なども捉えてしまう。しかし西洋でもアジアでも、今のところポリネシア以外の地域では、ただ人間の言語だけが言語であり、自然の音もハミングも言語としては捉えないという実験結果である。い、え、さ、かなど五十音の単音で有意語を表す(中国語は単音でも平仄が入るので違うのだろう)という特異な言語、その母音の強さのせいではなかと推測されている。たとえ日本人でも英語を第一言語として育った場合はこの感覚は失われ、西洋型になるというから、本当に言語的な問題なのだろう。
 多田智満子の『犬隠しの庭』所収のエッセイには、「今年はひぐらしをよくきいた」(ひぐらし)を仏訳しようとしてひぐらしの訳語を調べたが、「セミ」としかなく、フランス人の教授にもカナカナと鳴いてみせたが、「セミ」と言われてがっかりした、という一文があった。もしかするとフランス人はカナカナ……などとは聞かないのであろう。「カナカナ」とか「ニイニイゼミ」とか「ミンミンゼミ」とか、当たり前のように聞き分て名前を付けけることを、外人はしないのかもしれない。擬態語や擬音語の多さは、確かに英語などとは比べ物にならない。
 先日読んだ『クレヨン王国』でも、刑務所長のセミ人間が「泣けば、すべてを忘れるセミ族の習性にしたがって、その声は、加速していきました。ミーン、ミーン、ミーン、ミーン」……という一節があった。、セミの鳴き声と人の泣き声(みんみん泣くなどと言う)の掛け合わせ、一種のシャレを感じ取って、何とも言えない可笑しみを感じるのだが、これは翻訳できないし、たとえ出来ても分らないのだと思った次第。
 この本ではその実験結果からいろいろな日本人的特質を導き出している。特に音楽に関わることが多く、意見を異にする見解もあるが、とりあえずはおもしろい一冊だった。

宮元啓一『インド哲学七つの難問』(講談社選書メチエ)
 著者が自分にとって初の哲学書だと言挙げする一冊。インド哲学史を語りながら自分の見解を出そうというのである。私は『仏教誕生』『牛は実在するのだ』などを読んできて、著者の思想的立場はおおむね理解しているつもりであった。今回読んだ感触も従前と変わらないのであるが、言ってしまえば自分を出したと思われる本書で、序文からしてひどく挑発的であったりするところに、大きなルサンチマンの気配を感じ取ってしまい、いくぶんかがっかりした。一般的に言えば非人間的な営みが実は人間的なのであり、売春も哲学もそうだと言ってみたり、キリスト教神秘主義は光を見て神だと騒ぐ馬鹿馬鹿しいものだと言ってみたり、仏教哲学者の99.99パーセントは仏教信者だから詭弁に対して盲目的だと言ってみたり、あるいは他人の所説を批判するにH氏と言ってみたり。こうした言い方の意を汲んでこちらも好意的になってみることは出来るが、哲学書だと宣言している以上、それはかえって失礼であろう。哲学書では、あらゆる言葉は、その著者の哲学を表明するものである。たとえ既存の見解を説明するものであっても、著者の哲学と見なすべきである。細部において、確たる検証も知識もなく断言するがごときも、ルサンチマンも、すべて著者の哲学の表われである。まさに人間的である、著者の言う動物的である、メタ性の欠如した発言、。哲学においては瑕瑾以外のものではあるまい。著者が自らそう言っているのだし。そうしたルサンチマンを吐き出したうえで、要するに既に人非人(著者の言う人間)となって書きだして欲しかった。
 哲学もまた私には文芸的パフォーマンスに過ぎない。哲学も言葉で勝負するものだが、本の形である以上、正当なツッコミを入れられたら負けだろう。また、媒体への配慮にも欠ける。

19日
須永朝彦訳『飛騨匠物語/絵本玉藻譚』
(国書刊行会)
 「飛騨匠」はからくり(ロボット製作)の達人に仙界から流された男女の物語などが絡むもの。中三の次男がおもしろいと言って読んでいた。須永さんの訳は古文を読んでいるような気分にはなるのだけれど、実際は14歳でも読めるようなものになっているのだと気付かされる。このシリーズは若い人向けでもあるのだ。「玉藻譚」は絵の数がたいへんに多い。特に妲己の部分は残酷描写が多く、絵もすごい。それに比べると玉藻前のおとなしいこと。

ロシア・アニメを観る。「鶴の恩返し」のオープニングが口琴で始まるセンスの良さ。挨拶が中国式でちょっと愉しかった。「青いワニ」もかわいらしく、ロシアにおける牛とは?というエッセイが書けそうだと思った。しかしAプロはいまいち。それに比べると、Cプロは非常におもしろく、ヒルトークの二作品は傑作。また、「ケレ」という作品がユニークで愉しく、ショーリナの「夢」「扉」も印象深かった。しかし今回のロシア・アニメは全体に今一つの観が拭えず、ロシアにはもっと多くのユニークな作家がいるはずなのだが……と思う。数年前に観た赤頭巾のおもしろかったガリ・バルディンなど、短編も良かったので、きちんとした紹介をして欲しい。

20日
『ウェイキング・ライフ』を観る。実写をデジタル・アニメに変換したもので、夢から目覚められなくなった青年を描く。実写でやればものすごく安価そうな映画で、主人公がいろいろな人に会って、存在、生、死、意識、夢といったテーマについて話を聞いたりするというもの。画像が微妙に揺らぎ続けるところがちょっとおもしろいが、アニメ表現としてはいささか単調で(発展性がなくて)、途中で少し寝てしまった……。

21日
ウィリアム・コツウィンクル『名探偵カマキリと五つの怪事件』
(浅倉久志訳・早川書房)
 子供向けの本なのに、ぜいたくな布陣。ホームズのパロディの一種だが、虫の世界で、しかもそれがちゃんと謎解きにからむ、いかにもSF系の作家の物語集。首なし怪物の解明などはかなり笑える。チェスでカマキリを負かすナナフシが見せる虫王国の三不思議のエピソードも素敵。ワトソン役のバッタ博士が甘いものに目がなく、独身でレイディにすぐくらっとなったりするのもよい。しかし恋の相手がチョウチョでは、アプロのように食ってしまいそうではないか。

ラインハルト・ユング『おはなしは気球にのって』(若松宣子訳・早川書房)
 小人が物語を書いて空に放ち、それをどこかの土地に根づいたような物語にしたいと願う話。枠物語で、民話風のものから反戦もののショート・ストーリーまでさまざまな物語が語られる。なかなか良い。
 『カマキリ』とこの本とは《ハリネズミの本箱》というシリーズである。二冊とも悪くはないのだが、高い。このシリーズはどうやらかなり低年齢でも読めるということを考えているらしく、児童文学としかいいようがないラインナップになっている。子供向けの本が好きな人はいいかもしれないが、大人が買って読むようなものではないだろう。もっとずっと安価なら、前者が千円、後者が八百円くらいなら、奨めることも出来るのだが。

22日
香山リカ『切ない…。』
(青春出版社)
 現代日本の若い女性のよくある悩みをカウンセリング物語にして提示する。(京)

高橋哲哉ほか『コンパッションは可能か』(影書房)
 つくる会の教科書に反対する集会の記録。この集会に行った人はがっかりしたのではないだろうか。中に「南京虐殺や慰安婦はあったのかどうか早く共同調査でもしてケリをつけて欲しい。こういう対立はうんざりだ、枕を高くして寝たい」という意見があり、それに対して「早くケリをつけようとしてはならない」というような反論があり、?と感じざるを得なかった。歴史修正主義はあってはならないことではないのか? 千年も昔のことならいざ知らず、ついこのあいだのことで、まだ実体験者だって生きているのだ。共同調査もくそもない。戦時性奴隷に関する本は前に挙げたが、結論の出ている話だろうが。だいたいそんな教科書を聾唖学校とか障害者の学校とかで使うというのは、本当に言語道断な、非道なことではないだろうか。
 コンパッション=共感共苦とは「他者の苦悩への想像力」だそうで、『アウシュヴィッツをいかに教えるか?』から採った言葉だそうだ。もしその通りの意味なら、可能に決まっているというのが答えだろう。しかし、本書の中では、「他者の苦悩を完全に理解しわがこととして感じる」というようにより限定的な意味で使われているようで、それなら不可能に決まっているだろ、という答えとなってしまう。それにしても想像力の欠如と知識不足は、その人間がバカであることの証なのだが、最近はバカであることが平気な人間が増えた。
 『「知」的放蕩論序説』で高橋が揶揄されていたのは、こういう活動をしているからなのだろうか。だがこういう市民的政治活動は、哲学者の実践としてはまともだと思う。(京)

23日
ジョゼ・ボヴェほか『パレスチナ国際市民派遣団議長府防衛戦日記』
(コリン・コバヤシ訳・太田出版)
 タイトル通りの本。参加者たちの日録、メモ集。アラファトへの視線などはサイードなどとはかなり異なるが、これもまた一つの真実なのだろう。パレスチナの惨状を思えば、前掲書など、何を悠長なことを言っているのかと思わざるを得ない。その場にいても他人事は他人事なのである。だが、それでもこのように出来ることもあるということ、単にそういうことなのではないだろうか。(京)

中澤孝之『オリガルヒ』(東洋書店)
 主に『世紀の大安売り』によって富を得たロシアの新興財閥に関するデータブック。(京)

平谷美樹『ノルンの永い夢』(早川書房)
 川又千秋の反在士みたいな話。で、後半は、どことなく神林SFも思わせる。過去を改変するシーンのヴィジュアル描写では映画『ダークシティ』も思い出す。つい最近この映画のことが話題に出たせいもあるが。まあこういう特殊能力者の話はどこか似通うものか。

八木雄二『古代哲学への招待』(平凡社新書)
 パルメニデス、ソクラテスからアウグスティヌスまで、主要古典哲学を概観する。おもしろいのは、ソクラテスをブッダに比定していることで、それがプラトンによって、一見ソクラテスを踏襲しているようでまったく別のものになってしまったことを説明している。原始仏教と大乗のようなものか。あまりにもわかりやすい説明なので、読んでいて不安になる。(京)

今月の雑感 今朝、吉原幸子さんの訃報を見た。高校生の頃、憧れの詩人だった。この人を入り口にして現代詩の世界に入り、ぱるこ・ぱろうるという詩の本の店で時間をつぶした。今年はなんと多くの訃報に出あったろうか。年齢ゆえに仕方ない場合もあるだろうが、寂寥身に沁む年の瀬である。