藍読日記 ☆読んだ本と『幻想文学』関連の情報、その他の情報をお届けします。         2003/7/5更新
★読書メモについては主観的かつ恣意的な趣味に基づく書き散らしです。文責はすべて石堂藍にあります。
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2003年2月


 1月20日過ぎから2月11日までは『幻想文学』の製作のためまったく余裕がなかった。本も読んではいるがメモは何もない。ということでずーっと飛ばす。

12日
ジョン・ベレアーズ『ジョニー・ディクスン』
(林啓恵訳・集英社)
 宝探しものに魔術がからむ謎解きもの。少年の立場などは《ルイスと魔法使い協会》に似る。

リーネ・コーバベル『秘密が見える目の少女』
(木村由利子訳・早川書房)
 児童文学。ドラゴンが凶暴なオオトカゲとして存在しているような異世界。人の心が恥じている記憶の映像を見ることができる血筋の少女を描く。《真実の剣》の聴罪師を少し思わせる。魔女と怖れられながら、敬意も持たれる。井辻さんが『ファンタジーの魔法空間』で、視覚偏重、目の力を過大視する傾向を論じているけれども、それがこんなところにも現れている。

ロバート・ジョーダン『昇竜剣舞』3(斉藤伯好訳・ハヤカワ文庫FT)
 のんびりやの次男が「ちっとも先へ進まない」と言うぐらいなので、本当に同じことを繰返しブツブツ言っているばっかりで、先へ進まないんだ、これは。

14日
斎藤美奈子『趣味は読書。』(平凡社・1429円)
 ベストセラーは売れておよそ500万部。だから趣味は読書、と自ら言うような善良な男女の総数はそれくらいではないのか――と著者は言う。私はそうは思わない。ふだんは本など読まないという人が手に取ってこそのベストセラーだ。ともあれ、そういう善良な読者に支えられての出版界ではある。ベストセラーをバカにしてはいけない、読んでやろうじゃないの、という本。くだけた語り口が様になっている。で、ベストセラーを斬って捨てるわけ、結局ね。
 『朗読者』について私は以前、自己憐愍ばかりの不愉快な作品で、男の立場を肯定すると、ハンナの懊悩があまりにも無惨、こんなものが売れるのがわけわからない、と藍読日記に書いたが、斎藤によれば「知識階級のダメ男をたかだか朗読という行為によってあっさり免罪する」「インテリの男に都合の良い」「包茎文学」なんだそうだ。そうか、池澤夏樹とかが褒めているのも、結局彼もその程度の男だったということか。何というか、その程度の自意識もないのか……。男はこれを読んで、「これじゃハンナの立場はないんじゃないの?」とかは思わないわけね。それってそこらのセクハラおっさんと変わらない、ただのバカだろう。ほんまかいな? とはいえ、やっぱり少年の「手ほどき」してくれるってくっだらない『海辺のカフカ』が、60万部とか売れてるらしい。あー、書いてるうちにものすごく腹が立ってきた。
 本書はものすごくおもしろいのだが、エンターテインメント系は苦手(どうやらミステリ嫌い)だというだけあって、そのあたりについてはちょっと「ゆるい」。「今の若い人は伏線と比喩が苦手なので、ミステリではなくホラー、SFではなくファンタジーに流れる、らしい」と書かれているけど、これはたぶん違うでしょ。もちろん春樹を貶すためだけに持ち出した話題だから、承知の上かも知れないが、ホラーでもミステリ的に「ちゃんと解いてくれる」(伏線とかよくわからないから、それをはっきりと示しつつ解いてくれる)のがモテるんだと私は思う。《ハリ・ポタ》なんかもそう。「ああ、これも伏線だったんだ」ということ。SFがダメなのは、論理的思考が苦手だからで、これは昔も今も変わらない。一般にも売れるSF(宮部みゆきとか)は、論理じゃないから。まあどうでもいいか、こんなこと。
 ベストセラーとメディアについてのツッコミが全然ないのが、本書の欠点か。ものすごく売れてる本は、みんなマスメディアでいろいろな形で取り上げられているということ。そうでもなきゃ、ふだん本なんか読まない人が読むわけもない。
 本書も快調に売れてるらしいから、斎藤美奈子の解剖学が出る日も近いか。(

小関智弘『羽田浦地図』(現代書館)
 旋盤工の作者は大森、蒲田など、都内の町工場ルポで知られるようになったが、小説も書いていたのだ。私には、この世界が半分くらいはわかる。だから、とてもリアルに、哀しく読んだ。普通のサラリーマンの家庭に育った人には未知の世界だろう。左翼運動話もあるが、これも遠い世界になった。(

津島祐子『快楽の本棚』(中公新書)
 我が読書遍歴。あらためて津島さんは若いのだ、と感じた。押しも押されぬという感じがするので、もっと上のイメージだった。昭和22年生れだから、須永さんとか荒俣さんとかと一緒。私とは確かにちょうど一回り違うんだけれども、文化的にも、そんなに遠くない。父親の作品も読んでみた、とあるが、何を読んだかまでは書いていない。国語の教科書で、読まされたりしたのか?などと調べてみたい誘惑に駆られた。(

佐藤次郎『孤闘』(新潮社)
 スケルトンというソリ競技を日本で普及させた開拓者・越和宏のドキュメンタリー。こういうものはかっこよく描かれるに決まっている。(

16日
安藤聡『ファンタジーと歴史的危機』
(彩流社)
 イギリス児童文学の黄金時代と言われる19世紀後半から現代に至るファンタジイの隆盛は不安な世相の反映である。というような社会的批評。

サトクリフ『落日の剣』(山本史郎・泰子訳・原書房)
 理想としての郷士・アーサーを描くアーサー王物語。一見するとリアルな、その実ファンタジイっぽい物語。サトクリフは司馬遼だった、というような。この人の女性の扱い方を見ていると、フェミニズムのエッセイが書きたくなる。私は男だと思っている女の自意識について。

17日
高野和明『K・Nの悲劇』
(講談社)
 ミステリではない。ホラーというには煮え切らない。ベストセラーを当てて有頂天の若いフリーライターがマンションを購入、若妻と移り住んだ途端に、妻が妊娠する。男は堕ろそうと言い、母親になることに幻想を抱いていた妻は、憑霊症状を起こす。精神科医はこれは精神の病だと言うのだが……。パス(

テリー・グッドカインド『魔石の伝説』7(佐田千織訳・ハヤカワ文庫FT)
 一連のストーリーは終った。うーん、何という素早い展開。《時の車輪》とは大違い。
 《時の車輪》と《真実の剣》はファンタジイで物語を進める際には何が必要かということを、よく教えてくれる。自分を知り、それを受け入れること。そのことによって、やらねばならぬことをやる(責任を果たす)ことができるようになるのだ。現実にはこんなことは出来ないが、そこがファンタジイのファンタジイたる由縁であって、現実には為しがたいことをあたかも出来るかのように差し出してくれるから心地良いのだ。全体が絵空事なのだから、人間もそれにあわせて絵空事でなければならないが、しかし、あまりに安易に自分を獲得しては、現実感覚と遊離してバカらしいだけなので、そこそこリアルにする。そのさじ加減を間違うとつまらなくなる。ぐずぐずしすぎると苛々するし、あまりにも簡単でも同じことが起きる。

スティーヴン・シェイピン『科学革命とは何だったのか』(川田勝訳・白水社)
 読むのが遅すぎたようだ。とても読みやすい本ではある。

21日
ロバート・ゴダード『石に刻まれた時間』
(越前敏弥訳・創元推理文庫)
 小さめのマナーハウスでしかも円形をしているという奇妙なアザウェイズ。妻が崖から転落死したばかりで傷心の主人公は義理の妹と親友が住んでいる アザウェイズに誘われるが……。
 前作『一瞬の光の中で』で時間テーマのファンタジイを試みたゴダードは、続けて時間テーマの、今度はまったくの建築幻想譚を書いた。いつか幻想小説を書くかも、と思っていたが、こういうものを望んでいたわけではない。ともあれ本書はオカルトホラー+ミステリという感じの小説になっている。

プーシキン『青銅の騎士』(郡伸哉訳・群像社)
 表題作と「小さな悲劇」と総タイトルの付された戯曲四編を収録。ヨーロッパとロシアの出会うところがサンクト・ペテルブルグであるそうな。だから「小さな悲劇」はこの都市に似付かわしいらしい。
 翻訳はよくわからない。

23日
白石久也編『国際スパイ・ゾルゲの世界戦争と革命』
(社会評論社)
 ゾルゲの電信などを収録した資料集と日ロの研究家によるゾルゲ論を掲載。(

石井彰・藤和彦『世界を動かす石油戦略』(ちくま新書)
 エネルギー・エコノミストが現代における石油の意味をわかりやすく解説。オイルショックの時も石油の輸入は増加していたという解説などは、ある意味でショックだった。この時期、石油の価格が暴騰したのは事実なのだが、それはいわば不必要な高騰だったのだ。(

上田信道『謎とき名作童謡の誕生』(平凡社新書)
 ネットで童謡をめぐる怪情報が流れていて、それと同質の本までが出回っているので、ちゃんとした情報を流しておきたいと執筆されたものらしい。(

雫井脩介『火の粉』(幻冬舎)
 裁判官が殺人で起訴された男を無罪にしたが、その男が隣人になって……というような作品。サスペンスなのだが、内面を描く人物が二人であるために、焦点がぶれ、弱くなっている。裁判官批判というテーマがあるのだろうか。それならそれでやっぱり弱いという気がするが……。(

25日
 有元利夫展を観る。マチエールはいいけど、絵は雜で綺麗ではないので好きになれない。

26日
パトリック・マグラア『スパイダー』
(ハヤカワ文庫epi)
 病気を抱えた男が子供時代の事件を綴る。手記だ、もちろん。というわけで、マグラアらしい内容だが、ちっともおもしろくなかった。映画はうまく作れば面白かろう。

27日
 『The Lord of Rings』を観る。バカみたいな製作費は大軍の進攻を描くためか。クリストファー・リーの存在感を出すために作った設定ゆえに、この展開となるのだろうが、あまりのつまらなさに絶句。ファラミアとエオウィンがまったく魅力的ではない。エルロンドがアルウェンを責める場面では、「泣かすなよ……」と呟く長男。まったくだ。エントの戦いも生きている森を描かないので、がっかり。こんなにわけわからなくて、みんな満足なのか?!

ドン・デリーロ『ボディ・アーティスト』(上岡伸雄訳・新潮社)
 夫に自殺された女性(職業はボディ・アーティスト、つまりこれはパフォーマーのことらしい)が、家の中に降って湧いた奇妙な青年と交流する話。「無駄のない正確な文章は既にして詩である」(浅田彰)そうだが、これが本当ならば、翻訳の段階で詩ではなくなったのだろう。原文を読んでいないので何とも言えないが、そんなに大した小説ではない。

池澤夏樹編『ことばのたくらみ』(岩波書店)
 純文学作家による書き下ろしアンソロジー。あーあ。
 私は先日来、文学について思いを巡らしている。で、こういう本を読むといらいらする。変な行分けをしたり、詩だとか散文詩だとかって言葉を使う前に、もっと本物の詩をちゃんと読んだらどうかね?

トールキン『サー・ガウェインと緑の騎士』(山本史郎訳・原書房)
 トールキンによる古英語のアーサー王伝説や詩の翻訳。源氏物語の現代語訳のようなものである。解釈や書き替えの入る余地があるらしい。韻文が散文訳だったりするので、トールキンと冠してあるのは不当な気がする。須永朝彦訳の古典を英語に直したとしたら、それは確かにそうするには違いないが、須永朝彦による現代語訳の味わいを残して外国語に訳せるのか? という疑問があるだろう。翻訳の問題はともかく、この中の『真珠』という詩は一読の価値がある、たいへんにおもしろいものだ。


今月の雑感  今月前半は『幻想文学』製作のために右往左往し、月の後半の印刷期間(二週間と長い! 教科書印刷がメインの印刷所で、今の時期はとても忙しいため)は溜まった仕事をし、発送の準備や広告などを作っているうちに過ぎた。気ぜわしく過ぎる短い如月である。