藍読日記 ☆読んだ本と『幻想文学』関連の情報、その他の情報をお届けします。         2003/7/5更新
★読書メモについては主観的かつ恣意的な趣味に基づく書き散らしです。文責はすべて石堂藍にあります。
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2003年4月


3日
金森修『負の生命論』
(勁草書房)
 タスキーギにおける梅毒観察治療放棄実験の報告、ル・ダンテクの機械的生命論、ラボリの大脳生理学神経・心理学的人間観、LSDと芸術の関係という四つの論考から成る本書は、著者前書きによると、「この暗く憂鬱な色調を帯びた本」は、「どす黒く、ある種の醜さをもったいろいろな着想や概念、判断や想念を、なんとしても書き留めておく必要を感じていた」結果生まれたものだそうだ。随所でやけに情緒的な感想が入る本書は、著者には格別の思い入れがあるものなのだろう。また論文の回りくどさについてやたらと弁解的なのは、専門誌に書かれ、審査されるようなものであったせいかと思ったのだが、初出を見ると、ユリイカや現代思想に書かれたようで、ならば何もこんな回りくどい書き方をしなくてもよさそうなものだ。それぞれのテーマについて核心を抽出して論じていて、とてもきちんとした内容なのだが、最終的に語られているのは著者のとまどいであるため、問題意識を共有できないと、つまり著者の視点に共感できないと、感興がわき起こらないという風になっている。

トドロフ『言説の諸ジャンル』(小林文生訳・法政大学出版局)
 文芸評論、言説論、表現論などを収録したもので、文学を考える上で参考になる。

M・W・メーガン・ウェイレンターナー『盗神伝1』ハミアテスの約束(金原瑞人・宮坂宏美訳・あかね書房)
 泥棒の少年の冒険を描く。基本的に人間模様を描く物語なので、子供向けとあっては物足りないのは仕方ない。だが、それよりなにより「トリック・ファンタジー」「あなたも必ず騙される」という帯の文句がいただけない。そう言われたら、つい高度な仕掛けを読みとりたくなる、というか、期待してああもこうもと考えたくなってしまうではないか。読んでいると、伏線がいやでも眼につき、まさかこんな単純な構造であるまいと思っていると、結局それなのである。児童文学に期待する大人が悪いのだと言えばそれまでだが。

鈴木貞美『日本の「文学」概念』(作品社)
 文学という言葉の歴史をたどり、特に近代文学特有の問題を探る。戦後に日本の文学概念が著しくゆがめられたこと、ことに小林秀雄の影響にこだわる。近代的自我、私小説の問題にまたも触れている。

4日
アニー・ドルトン『聖なる鎖の絆』
(美咲花音訳・金の星社)
 ゴミ。ファッションにしか興味のないバカ娘が交通事故死し、天使の学校、エンジェル・アカデミーに入って、類い希なる共感能力を認められて天使としての活動を始めるというもの。何の因果でこんなくだらないものを読まねばならぬのか、本当に情けない。

サリー・ヴィッカーズ『ヴェネツィアの青い天使』(加藤恵子訳・DHC)
 ルームメイトが亡くなり、退職もして自由になったオールドミスの共産党員の教師が、突如としてイタリアに休暇に行くことに決める。そこで新たな世界に目覚めていくというもの。神秘小説めいた作品だがインパクトは薄い。

カイ・マイヤー『七つの封印』(山崎恒裕訳・ポプラ社)
 山田章博の挿画付。本書の価値はただそれだけ。十二才の少女キラが悪い魔女達と闘う話。

セルジュ・ブリュソロ『ペギー・スー幸福を運ぶ魔法の蝶』(金子ゆき子訳・角川書店)
 家を追い出され、祖母のところへ行くことになったペギー・スーの冒険を描く。三部作完結編。SFだった……。

5日
小熊英二『〈民主〉と〈愛国〉』
(新曜社)
 戦後思想の変遷をたどる。言葉にこだわり、言葉の意味がその時々で異なること、古い言葉に新しい意味を付け加えたり、新しい意味に読み替えたりして使っているため、世代間で言葉が通じなくなったりすることを重視する。世代を超えて共感を得られるような情況や思想を表す言葉を希求する。最近の「戦後思想批判」の浅薄さ、誤解に基づくいわれのない批判のバカらしさに、うんざりした結果がこの分厚い著書になったという感じがする。世代間で断絶があり、その人のいた場所によっても断絶があり、というような当り前のことを確認している。批評というものは、基本的に単純化しようとする言説なので、そのこと自体が著者はいやなのだろう。だが歴史学者であるということはそうもならざるを得ないことでもある。結局、両者の妥協の産物としてこんなふうに厚い本が出来上がるのだとも言える。
 後書きでは「どうしてこういうものを研究しているのか」とよく聞かれることに関連して、直接の要因ではなくてファクターの一つに過ぎないと念押ししたうえで、家族のことを語っているのにも、ちょっと驚いた。わざわざ本にまで書くということは、やはり大きいことだったということなのでは? それともこういうことを言っておくとみんなが何となく納得してくれて、同じ質問を繰返さないだろうという深謀遠慮なのか。

7日
『シンコペーション』
(エディマン)
 合衆国のカリブ、ラテン系マイノリティーの芸術的社会的運動について述べた雑誌形式の本。(

塚崎幹夫『名作の読解法』(原書房)
 近代の翻訳小説を読む。これはいったいなに?(

森川嘉一郎『趣都の誕生』(幻冬舎)
 近年オタク化の著しい秋葉原について語る。都市論、建築論とオタク論をからめたもの。このオタクはいわゆる〈オタク〉で、一般人がオタクと言われてイメージするもの(だと思う)。長男の書いた童話パロディのラジオドラマには、オタクをすべて喰ってしまう巨人=オタクイーターが登場する。本書を読み進めるうちに、それをこの世に解き放ってオタクを殲滅したい気分になった。(

二宮清純『天才セッター中田久美の頭脳』
(新潮社)
 著者と中田の対談。薄い。(

8日
ドゥニ・ゲジ『フェルマーの鸚鵡はしゃべらない』
(藤野邦夫訳・角川書店)
 友人の死の謎をめぐるミステリに数学の歴史と基礎とをからめたもの。
 著者は小説は上手いと思う。『子午線』(たぶん同じ作者だよね)は非常におもしろかったし、本書でも、キャラクターとか設定などは良い。しかし、あまりにも露骨に「数学史のお勉強をしよう」というように、幾何や代数が現れてくるので、つまらない。物語が数学的蘊蓄と溶け合うところまで行っていないどころか、物語は数学のあれこれを入れるために、捩じ曲げられてつまらないものになっている。折角の物語、折角の数学入門なのに……。(

ル・クレジオ『黄金の魚』(村野美優訳・北冬舎)
 一人のモロッコの少女の遍歴を描く。(

9日
ル・グイン『アースシーの風』
(清水真砂子訳・岩波書店)
 ゲド戦記の第五巻。独立した作品として読まないと、私には耐えられない。

ロバート・ジョーダン『昇竜剣舞』5(斉藤伯好訳・ハヤカワ文庫FT)
 つづき。また絶対力を持つ女の組織とか出て来たりする。しかしどうしてこうも傲慢で無能で魅力のない人間ばかりが次から次へと出て来るのか。ちょっとは有能な人間を出してものごとをさっさと進めたらどうなのか?

10日
ジョン・ピール『2099』
(唐沢則幸訳・偕成社)
 子供向けのSFとしては結構おもしろい。コンピュータのプログラミングに関して天才的な頭脳を持つ少年が主人公。設定自体がリアリティを欠いているが、それはこういうものだと考えれば無視できよう。サスペンスとしてよく出来ている。

11日
宮部みゆき『ブレイブ・ストーリー』
(角川書店)
 中身のない長大な本を読むことは拷問にも等しい。肉体的な拒否反応が起きる。
 果たして誰が読者対象なのか? ファンタジーをなめてるのか?
 以下、きちんと通読した次男とぱらぱらとしか読んでいない長男との会話から。

 私「おもしろかった?」
 次男「まあまあかな。後の方がつまらない」
 私「(この本の直後に読んでいた)木の国の媛と比べてどうだった」
 次男「そりゃ、木の国の方でしょう」
 私「どこがおもしろかった?」
 次男「どこって別に。運命の塔で女神に会うとこだけ読めばいいんじゃないの」
 長男「そこ、めちゃくちゃつまんなかったけど。ラストもひどい。五つの問題って、だいたい、五番目は最初に考えてあるものだから、四番目ぐらいで息切れするもんなんだけどさ」
 次男「いや、それは別になかったと思うよ」
 長男「宮部さんてゲーマーらしいけど、設定なんかは、いろんなゲームのそのまんまパクリだね」
 私「特にRPG的に良いところとか」
 長男「独創性は何も感じられないけど。それよりも、リアリティがまったく感じられなくて、ものすごい違和感。上手い下手は別にしてライトファンタジーの書き手はその世界をリアルなものとして考えている。でもこれにはそれがない。本当にRPG的世界で冒険してますという感じで」
 次男「RPGの設定なんかを作るのはすごくおもしろいんだよね」
 長男「そりゃ、書いてる本人は楽しいだろう……。宮部さんはもっと文章がうまくなかったっけ。『竜は眠る』を読んだときにはそう思ったけど。これはものすごく下手じゃん」
 私「確かにこれはひどい。もうちょっと良い作品を作ろうとか考えないのかね」
 長男「いったん売れちゃったら、考えなくなるんじゃないの」
 私「はあ……(親としての責任感じる瞬間です)」

12日
須永朝彦訳『報仇奇談自来也説話・近世怪談霜夜星』
(国書刊行会)
 自来也は、常套の連続ながらも波瀾の物語。霜夜星は四谷雑談をもとにした作品であるため、物語そのものは常套とは言い難く、それをお決まりのパターンに収めようとするため、中途半端で収まりが悪い。構成も変わっているが、訳者も深読みには及ばぬだろうと言っているので、その破綻振りをおもしろがれば良いという感じだろうか。この北斎の挿し絵だけでも一見に値する。

久保寛『古書発見』(影書房)
 いわゆる古本エッセイではない。生協の「本の花束」に連載された、女性の書いた、女性たちを描いた本の紹介である。絶版や品切になっている本、あるいは長らく品切で最近再刊された本、近年の本だが、あまり話題にならなくて消えた本などを取り上げているので、このようなタイトルなのである。著者は『新日本文学』の編集長や『花田清輝全集』などを編纂したコミュニスト系の人で、社会派の本が多く取り上げられているが、そればかりではなく、ケルト文学が好きという言葉の通り、片山広子のエッセイ集なども取り上げていたりする。『苦界浄土』も品切とあるのに驚く。たぶん今は再刊されたろうが……。(

柳澤桂子『患者の孤独』(草思社)
 またおんなじ話。医者に自分の病を理解してもらえなかったという。結局、今の医療に関する制度が悪いのでしょ。大学も、保険制度も。医者が特権階級でありすぎるのだ。(

中島勝住編『学校の境界』(阿吽社)
 京都あたりの有志による勉強会の集積。けっこうおもしろい。教師も一種の特権階級なのだけど、自覚はないところがまた厄介。(

森絵都『永遠の出口
』(集英社)
 家族と恋愛をテーマに、少女の成長を描く青春小説。(

アダム・カバット『江戸滑稽化物尽くし』(講談社選書メチエ)
 妖怪などの登場する黄表紙の紹介。
 前書きなどを読むと、日本に来てから影印本を読む練習をしたことが書いてある。日本文学を勉強する学生は、学部生の時代に影印本を読めるようでなければ、まともな院には行けないだろう。英文学にもそういう基礎的な技術、当地では当たり前にやっているが、日本では基礎的とは見做されないことがあるのだろうが、それはどんなことだろう、と考える。

西澤保彦『リドルロマンス』(集英社)
 ハーレクインという美貌の男性の前に行くと、彼の誘導に従って、自分自身にも隠されていた自分の内面に気付かされるという連作短篇集。

ローレンス・ウェップ『竜の王女シマー』(三辺律子訳・早川書房)
 中国風の別世界を舞台にしたファンタジーらしい。しかし、そういう描写は一切ない。絵がそのように描かれているので、それに引きずられて何となくそう読んでしまうが、手抜きというほかない。三流作品。

15日
渡部直己『かくも繊細なる横暴』
(講談社)
 68年以後の古井由吉、後藤明生、大江健三郎。中上健次、金井美恵子を論じたもの。
 小説の読みの適確さや深さとはまったく関係なく、パスしたい評論家である。彼が持ち上げる蓮実も私は嫌いだ。
 本書の帯には「隠喩の唾をかけろ!」(隠喩に〈はか〉のルビ)とあるけれど、著者は意味不明な隠喩を得々として使っている。特に数学を使ったりするのが、何考えてるのかわからん、という感じだ。例えば金井美恵子の夢的に不可解なのに鮮明な印象を与える文章を、複素数平面の文脈で語るのだが、「Xのn乗の解を結んでできる正n角形」や絶対値1の複素数(つまり極形式の)の集合のような整った線形のきわだちに比すことができる、なんぞと言われて、そうですね、と納得する読者がいるかどうか、聞いてみたいものだ。虚数という言葉を金井美恵子が使っているので(虚数という言葉に詩人的なイマジネーションを持つのは勝手だが、その概念を理解したうえでないと、共感は得られないということを考えて欲しいものだ!)、そこから著者が出してきた比喩ではあるが、要するに、例えば原点を中心とする円は原点を中心とする円でしかない。それは数学的には、別に夢とも想像力とも関わりないのである。円のようだ、というなら、手法的に同じことを別の言い方で繰返すことの集積というような意味かしらん。ド・モアブルの定理に至るまでの何度も繰返される同じ手続きというのが、言いたいこと、というなら、それに至るまでの検証は何処へ行ったのか? だいいちド・モアブルの定理に関する手続きは、短調というほかない単純作業である。これまたそれを文学に変換したら、ルーチンワークということでしかないだろう。それよりなにより数学的な正n角形では、文学的には全然おもしろくなさそうだ。
 さすがに数学的理解がまちがっているとか、微分(という言葉も別のところで出て来るの)の意味もわかってないとまでひどくはないが、それだけに余計に嫌みにしか見えない。
 こういうのに共感できる人がいるから、評論家としてずっと生きているんだよね、この人は。この本だって、最大手から出てるんだし。どんな人が共感できるのか、どうして共感できるのか、私は知りたい。

19日
加藤典洋編『読書は変わったか?』
(トランスアート)
 『本とコンピュータ』からのアンソロジー本。矢川さんなども座談会に出席している。この雑誌は図書館でときどき読んでいる。いろいろな意見がある。
 おもしろかったのは、加藤、池澤夏樹、西垣通の座談会。西垣が総合的な媒体として小説を選んでいるというのが、まったくバカ。また、科学系の人間として、いわばアシモフの銀河帝国みたいになることを憂えて、ファウンデーション的なものを確立しておかないとやばい、と言うのに対して、池澤が、本の知識じゃなくて、実地に学べば(身体で覚えれば)いいのでは?と反論。本を読みこなすという基礎のリテラシーがないと、専門知識などはきちんと入っていかないと西垣は言いたいのだろうが、それが伝わらないので、すれ違ったまま、というか、加藤が池澤の側についてしまったので、無視される。リテラシーは、私は重要だと思う。専門家になるためには、基礎としてそれが必要だ。

20日
マイケル・イグナティエフ『ヴァーチャル・ウォー』
(金田耕一・添谷育志・高橋和・中山俊宏訳・風行社)
 コソボ紛争において戦争が変化したという論旨のドキュメンタリー。人道的立場から戦争を支持するという意見。人道的介入の問題については、どこかで読んだユダヤ人の収容所問題の記憶のせいだという話を思い出す。せめて収容所行きの線路を爆破してくれと請願したのに無視されたという記憶、合衆国も知っていて何も手を打たなかったという記憶。だけど、イスラエル・シンパの豊かなユダヤ人が高圧的な態度で収容所を引っ張り出すからそう感じてしまうだけなんじゃないかという気がしないでもないし。(京)

武藤功・牧梶郎・山根献著『石原慎太郎というバイオレンス』(同時代社)
 石原に三百万票! 埼玉もひどいが、都民もバカばっかである。傲慢、横暴のファッショ人間によくもこんな大事なポストを与える気になるものだ。うんざり……と思っていると、この本が送られてきた。もう最初から、非難するのは決まっている、というスタンスなので、いささか説得力に欠ける。大きな施策がデタラメであることは、新聞報道だけでもわかるのだから、細かい事例を積み重ねたうえで、最終的に非難するという冷静さでいて欲しかった。ペラ一枚のコメントじゃないんだから。(京)

森達也『世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい』(晶文社)
 オウム真理教に関するドキュメンタリー『A』などを作ったディレクターのエッセイ。自分のドキュメンタリーが売れなかったことへのルサンチマン多し。しかし、そう読むのは間違っている、と著者は怒鳴りそう。(京)

ディディエ・ディナンクス『カニバル』(高橋啓訳・青土社)
 1931年の植民地博覧会での、フランスの恥ずべき行動を、ニューカレドニアの人々の視点から描く中篇。こんなにおもしろいネタなのに、中篇でしか書けないのは、なぜだろう。(京)

元木昌彦『日本のルールはすべて編集の現場に詰まっていた』(夏目書房)
 図々しいタイトル。編集者志望の学生向け手引き本。こんなものが役に立つのかどうかは不明。最大手の出版社の雑誌編集者だから、個人的な経験を一般化しても、許されるんだよね。(京)

東山彰良『逃亡作法』(宝島社)
 近未来の刑務所を舞台に脱獄、受刑者と被害者のバトルを描いたバイオレンス・アクション。どうでもよろしい。(京)

デニス・ボック『灰の庭』(小川高義訳・河出書房新社)
 原爆開発者の最後の生き残りと被爆者の女性との交流を描く。(京)

22日
映画「シカゴ」を観る。久々のミュージカルだが、さほどでなし。ダンスは悪くはないが、すごくもなく(こちらの感性が刺激的なものに馴れすぎたせいか)、絵としておもしろかったのは、予告編にあった牢獄のシーンぐらいか。そこそこの映画。ゼタ・ジョーンズは悪くないが、レニー・ゼルウィガーは苦しい。リチャード・ギアはもともと好きじゃない。歌わなくていいから。で、シリアスなものではなくて、戯画的な作品。結局、痛いほどの諷刺ではなくて、下劣な世界をそのたくましさゆえに愛するというような、自己肯定的な感じ。こういうものを観るとアメリカ的だなあと思う私も、テレビに毒されていてものを知らないと批判されるアメリカ人と同じで、メディアだけに頼って判断しているということか。

24日
ジェイムズ・バイロン・バギンズ『凶獣リヴァイアサン』
(中村融訳・創元推理文庫)
 ゴジラもの。コモドドラゴンをもとに科学の力で作りだされたチョー強い怪獣と地下の洞窟迷路で闘う話。長すぎ。似たようなハラハラドキドキが繰り返される、使い回しのシーンの多い三時間映画みたいよ。次男(高校生になった!)はすごくおもしろかったと言っていた。血の気の多いヤング向け? 怪獣好きにもいいかも?

25日
ジョン・ピール『2099』叛乱/メルトダウン/逆襲
(唐沢則幸訳・偕成社)
 子供向けSF。ハリウッド映画のようなハッカー=近未来世界破滅もの。おもしろいのだけど、6冊で7200円もするのが問題。

『デアデビル』『ドリームキャッチャー』を観る。オマケでCGアニメ「オシリス最後の闘い」という小品も観たのだけれど、剣で闘う部屋で縁つきの畳はないだろうと思いながら、こういう部屋で闘うのもオリエント幻想か、などと、つい特集に引きつけて考えてしまう。


【今月の雑感】 相変らず特集関連の本を読んでいるが、なかなか頭がまとまらない。
 編集者で書評を寄せてくれていた二階堂奥歯さんが亡くなられた。まもなく26歳という若さだった。言うべき言葉はない。合掌。