藍読日記 ☆読んだ本と『幻想文学』関連の情報、その他の情報をお届けします。         2003/7/5更新
★読書メモについては主観的かつ恣意的な趣味に基づく書き散らしです。文責はすべて石堂藍にあります。
●2003/6(最終回)
●2003/5
●2003/4
●2003/3
●2003/2
●2003/1
●2002/12
●2002/11
●2002/10
●2002/9
●2002/8
●2002/7
●2002/6
●2002/5
●2002/4
●2002/3
●2002/2
●2002/1
●2001/12
●2001/11
●2001/10
●2001/9
●2001/8
●2001/7
●2001/6
●2001/5
●2001/4
●2001/3
●2001/2
●2001/1
●2000/12
●2000/11
●2000/10
●2000/9
●2000/8
●2000/7

2003年5月


星野智幸『ファンタジスタ』(集英社)
 三作を収録する短篇集。芥川賞候補作「砂の惑星」は新聞記者を主人公に、小学校で起きた集団毒殺事件の奇妙な経緯を語るもの。書くことによって現実と非現実の区別が無化していく事態が、清新な雰囲気のうちに描かれている。表題作は架空の日本で繰り広げられる首相選挙戦を、「ハイウェイ・スター」は悪夢めいた穴掘り労働を描く。どの作品でも幻想的な世界がたくみに構築されていて、ちょっと感心した。

鎌田慧『こんな国はいらない!』(七つ森書館)
 人権という側面から社会現象をさまざまに論じる。著者としては軽いエッセイ集。

大塚英志編著『「私」であるための憲法前文』(角川書店)
 中高生が書く「夢の憲法前文」。本当の前文の、崇高な理想主義の言葉に迫るものは、さすがにない。しかし、これを必ず学ばされる子供たちに、この理想主義はけっこう影響を与えているのではないかと思う。
 ちなみに長男は「憲法前文」を歌うことができる。学校で習ったらしい。こんなものにメロディーがついているとは!

ジャン=フランソワ・ルヴェル『インチキな反米主義者、マヌケな親米主義者』(薛[せつ]善子・アスキー・コミュニケーションズ)
 フランスには珍しい親米主義者による合衆国擁護本。フランスの米国への非難を見ていると、利権争いに敗れたかつての宗主国の遠ぼえという感じがしてしまう。

J・F・リシャール『問題はグローバル化ではないのだよ、愚か者』
(吉田利子訳・草思社)
 最近こういう挑発的なタイトルが多いなあ。本書は、グローバル化の是非を問うている場合ではない、現実的にグローバルな、国境を越えた問題が差し迫っている。政府を超えて協力しあおう、と訴える。
 これを読んでいる折しも、SARSが大々的に問題になった。

川勝平太・安田喜憲『敵を作る文明 和をなす文明』(PHP研究所)
 力の文明=畑作牧畜文明/美の文明=稲作漁撈文明という二つの文明のあり方を考え、後者に価値を与えようとするもの。割り切り方があまりにもすごいので驚くが、著者らはどうやら、こうして単純化して、現実に世界を変えたいと思っているようなので、さらに驚いた。マジでやるのなら悪くはないが、本を読んでもおもしろくはない。

東子・カウフマン『虫取り網をたずさえて』
(青木聡子訳・ミネルヴァ書房)
 大正生まれの女性昆虫学者の自伝。愛猫家で猫の変わったエピソードも。

吉田知子『日本難民』(新潮社)
 近未来、日本人のジェノサイドが敢行される。毒ガスに追い立てられ、初老のヒロインが逃げていくさまを描く。戦時下の日常を想像してみたという感じの寓話。どこか甘くて夢物語のよう。

中沢孝夫『〈地域人〉とまちづくり』(講談社現代新書)
 地域の活性化は地域に住む個人の能力次第だ、という身も蓋もない結論のように読める。

ノーム・チョムスキー『メディア・コントロール』
(鈴木主税訳・集英社新書)
 情報操に加担する知識人を鋭く非難し、言論の自由の貴さを訴える。特にクルド人問題に触れ、クルドの置かれている状況の過酷さ、そしてトルコの刑務所は半端ではない、それに比べたらアメリカには充分な言論の自由があると力説。
 チョムスキーはドン・キホーテにも譬えられることがあるかもしれない。だがしかし、それにしてもである! 彼を「可愛い」に類する言葉で形容してしまう日本の知識人は腐って死ねばよい。

吉田司『聖賤記』(パロル舎)
 対談集。宮崎学、中曽根康弘、森永卓郎、宮台真司、佐高信、佐野眞一、吉岡忍ら十四人と、差別、憲法、経済、天皇、帝国主義、ノンフィクション、出版、ジャーナリズムなどのテーマで語りあう。
 とてもおもしろかったので、以下の本も読んでみた。

森本卓郎『日本経済最悪の選択』(実業之日本社)
 反・新自由主義経済の森本の見解をわかりやすく述べる。上の対談の内容をほとんど出ないが、説明などは詳しい。
 小泉改革の本質が大蔵省寄りであること、預金封鎖、現金預金保険等課税、新円切り替えというシナリオもありだと述べる。森本の提案はヨーロッパ型経済への移行と一億総芸術家構想だが、これなんぞ、ものすごい幻想である。結局、東大経済学部卒のエリートの交遊範囲は限られていて、現実なんて見えていないのね、と思わざるを得ない。

近藤洋太『保田與重郎の時代』(七月堂)
 本格的反近代・絶対平和論の保田与重郎を評価する著者の文芸評論集。詩人なので、詩の批評が多い。

魚住昭・斎藤貴男『いったいこの国はどうなってしまったのか!』
(NHK出版)
 著者二人が隔週で連載していたメディア時評。新聞を中心に、マス・メディア批判を行なう。国家という単位で世界を見れば、腐っていないところなどはないのだろうが、それにしても暗い気分になるような話題ばかりが並んでいる。

辛淑玉(シン・スゴ)『鬼哭啾啾』
(解放出版社)
 なぜ在日朝鮮人は北朝鮮に資金を送るのか? 北朝鮮への帰還者の悲惨さを知っているからだ。そこへ着いた途端にだまされたことを知り、金の無心を、あるいは日本への帰国を願う手紙を出し続けてくる親兄弟親戚。それを前に、どうしろと言うのか、と著者は訴える。

夏目房之介編著 宮本大人・瓜生吉則・鈴賀れに・ヤマダトモコ『マンガの居場所』
(NTT出版)
 毎日新聞に連載されたマンガ時評集。マンガ・ガイド、マンガ入門などの機能を持つ、結構いける本。

大沢在昌『秋に墓標を』(角川書店)
 かつてはバーの経営者、今はその経験を活かして漫画原作を執筆する男が、女に一目ぼれしてしつこく追いかけていくハードボイルド。きわめて通俗的なものをシリアスにやるからアホみたいに見えるが、まあまあ読める。

R・A・サルバトーレ『ダークエルフ物語2 異郷アンダーダーク』(安田均監修・笠井道子・柘植めぐみ訳・アスキー)
 この巻はなかなか良かった。闇の世界で殺戮者の本能にしたがって生きてきた主人公が、仲間を求めようとする話。変な名前の主人公が可愛い。

ヴィンフリート・フロイント『ドイツ幻想文学の系譜』
(深見茂監訳・彩流社)
 幻想文学史というよりは、「怪奇文学における表現の研究――その展開と意義」というようなタイトルを与えたくなるような、精緻な分析を柱とする評論。「金髪のエックベルト」「ロカルノの女乞食」「エジプトのイザベラ」「砂男」「大理石像」といった作品が取り上げられている。こんな本が出ているとは知らなかった。

『日影丈吉全集2』(国書刊行会)
 『女の家』『移行死体』『現代忍者考』『孤独の罠』を収録。
 すべて初読で、それぞれに興味深かった。『女の家』は確かにすぐれた作品だと思う。『移行死体』は戦後の風俗が結構楽しく、ミステリとしては読めないが、まあまあだった。『現代忍者考』は乱歩へのオマージュなのか、いささか猟奇的なバカバカしさで押す。『孤独の罠』は、たとえ横山さんの言う通り、どんなに描写が良くっても、主人公が身勝手でうんざりするので、パス。構成的にもかなり無理があると思う。


『幻想文学』67号の参考資料として、出来れば読んで欲しい以下の本を挙げておく。
弥永信美『幻想の東洋』(青土社)
 東方幻想を考える時、まず一番に参照すべき一冊。西欧もしくはキリスト教社会が抱いた東方への幻想を、中世から大航海時代を中心に解明したもの。ユートピア幻想の書としても読める。この一冊があるので、「東方幻想」特集ではこのあたりを射程に入れない、ということができるのである。

エドワード・サイード『オリエンタリズム』(平凡社ライブラリー)
 西洋の東洋学(オリエンタリズム)の研究者の態度を非難することを基調に、オリエントを西洋が勝手に解釈し、そのイメージを押し付けるのは許しがたいと怒りに満ちた告発をする書物。フェミニズムと同質の問題提起であり、西洋によって判断される側にとっては、すさまじく鬱屈した怒りを伴う問題だが、判断する西洋側は、そのことに気付かずに横暴な言動を繰り返すという点でも、フェミニズムに似る。良くも悪くも政治的な書物だが、読んでいないと、東方幻想の特集がよくわからないかもしれない。
 ともかくも本書のせいで東方に関する言説は微妙なものにならざるを得なくなり、「東方に幻想を抱くなんて、政治的に正しくない」と言われてもおかしくはない状況になってしまった。しかし、そうした見方もまた一面的で、『オリエンタリズム』が実はサイードの出自や地位と関わる政治的な書物であるということを軽視した結果でもあろう。

サイード『文化と帝国主義』(みすず書房)
 本書に引用されているおよそ百年前の西洋の東洋に対する発言を読むと、現在のブッシュなどの発言がそれと何一つ変わっていないことに、本当に驚愕させられる。例えば、アジアは近代化できない、進歩もない、強制しなければ、何も出来ない、と西洋は考えるという例を挙げれば良いだろうか。西洋によるイデオロギーにおける支配は、今なお続いているのである。しかしそこでサイードは言う。「強大な権力(による暴力的行為)の前には、調和に満ちた世界秩序、平和と共同体の理念など、ひとたまりもない、と考えて諦めてしまうのも不誠実な行為であろう」と。
 しかし本書の内容そのものには結構独善的な面もある。「闇の奥」、オースティン、「アイーダ」、カミュなどを取り上げて、その帝国主義に支えられている側面を批判するわけだが、「(フォースターとマルローは)非西洋世界の実情に通じていながら、民族主義的な民族自決運動よりも、自己意識や意志に関わる問題、あるいは趣と特色のあるより深遠な問題の方が重要だと本気で考えていたのだ」と言ったりするのは、政治的でない文学に意味はない、と言うに等しく、とても文学研究者の言葉とは思えない。そんなことを言い出したら、現代において、文学なんぞに関わっていること自体が罪である。いわゆる純文学ということに限っても、その問題意識の欠如、視野の狭さなどは、それだけで斬首の刑にでも値しそうだ。
 いろいろとツッコミどころはあるけれども、新歴史主義批評などにもつながるこうした文芸批評の典型として、読んでみるのも悪くない。

カルパナ・サヘーニー『ロシアのオリエンタリズム』(柏書房)
 ロシアはオリエントに対して微妙な位置にある。自身がオリエントだという意識を強く持つこともあれば、西洋だと思うこともあり、分裂が見られる(日本にやや似る)。おそらくそれゆえに一端排除となると、激越なものとなるのである。また、差別意識も苛烈となる。そして基本は西洋になりたいロシアは東洋を西洋の視線によって排除していくのである。本書ではカフカス(コーカサス。アフガニスタンのような目に遭っているチェチェンはここに含まれる)を中心に、ロシアの植民地主義を断罪する。アメリカ大陸への侵略からイスラエルのパレスチナまでを想起させるような、ひどいありさまで(無差別の殺戮、自然や村落の破壊、そしてそこに侵略者が入植というパターン)、元気がある時でないとと読めない。著者はインド人の女性文学研究者で、やはり対象化されたオリエントの一部として、鬱屈した怒りを抱えているのだろう、プーシキンからドストエフスキーまで、手厳しく批判している。基本は歴史書と言えそうだが、文学についての項だけでも参考になる。

ジョン・マッケンジー『大英帝国のオリエンタリズム』
(ミネルヴァ書房)
 イギリスの美術、建築その他の大衆芸術に見られるオリエントへの憧れと尊敬について述べたもの。『文化と帝国主義』を批判するというスタンスで書かれている。サイード的な読みに対する鬱勃たる怒りを押さえかね、政治的な書き方をした書物と言える。

稲賀繁美『絵画の東方――オリエンタリズムからジャポニズムまで』
(名古屋大学出版会)
 サイード的な視点を共有して、オリエンタリズム、ジャポニズムの美術を検討するもの。西洋的眼差しを批判する、きわめてわかりやすく明快な論旨。しかし、「絵画的表象を自らに禁じてきた文化圏」というのは、どこのことだろうか、など、疑問も残る。

胡垣坤・曾露凌・譚雅倫編『カミング・マン』(平凡社)
 「19世紀アメリカの政治諷刺漫画の中の中国人」というサブタイトルがすべてを表現している。過酷な条件で労働力を提供した中国移民に対する、アメリカの大衆の反発や、知識人のそれへの反論などを漫画表現の中に探る。黄禍論の入門書としてお薦め。

ハインツ・ゴルヴィツァー『黄禍論』(草思社)
 ドイツ・フランスを中心にした黄禍論の概説書。かなり古いものではあるが、特に類書もないようなので、勉強になる。黄禍論とは関係無いが、ドイツとイギリスは本当に仲が悪かったのだなと、今さらのように思わせられたりする。

ピーター・ヒューム『征服の修辞学』(法政大学出版局)
 15世紀から18世紀末までの、文学とカリブ地域の植民地の問題とを検討したもの。「コロンブスの航海日誌」「あらし」「ポカホンタス」「ロビンソン・クルーソー」「インクル」とヤリコ」を題材として、そこに刻印されている未開、野蛮概念を分析する。
 政治的・歴史的に文学を読むというものの一つのお手本とも言える評論。

正木恒夫『植民地幻想』(みすず書房)
 前掲書の訳者の一人でもある著者が、前掲書の換骨奪胎的な論のほか、18世紀以降の帝国主義の時代にまで射程を伸ばして蛮人概念などを検討している。

【今月の雑感】 『幻想文学』67号の製作に追われる。本は特集関連と東京新聞の本がほとんど。