明石町便り

須永朝彦情報

■著作撰(書影集)
■入手可能著書一覧
■明石町便り更新12/12/12
■バックナンバー更新11/5/23

須永朝彦バックナンバー

1・日影丈吉
◆給仕少年の推奨献立
◆色のない絵具
◆さまよへる悪霊、或は屈託多き女
◆日影さんのこと

2・井上保&森茉莉
◆殉情は流るゝ清水のごとく
◆Anders als die Anderen
◆『マドモアゼル ルウルウ』奇談

3・泉鏡花
◆魔界の哀愁

4・堀口大學
◆堀口先生のこと

5・足穂&乱歩
◆天狗、少年ほか

6・郡司正勝
◆郡司先生の憂鬱ほか

7・菊地秀行&小泉喜美子
◆美貌の都・月影に咲く蘭の花

8・高柳重信&中村苑子
◆るんば・たんば・『水妖詞館』の頃

9・バレエ
◆アンドロギュヌスの魅惑

10・ディートリッヒ
◆蛾眉

11・内田百間
◆片づかない氣持がする

12・和歌・短歌
◆戀の歌とジェンダー

明石町便り

明石町便り1
明石町便り2
明石町便り3
明石町便り4
明石町便り5
明石町便り6
明石町便り7
明石町便り8
番外篇
明石町便り9
明石町便り10
明石町便り11
明石町便り12
明石町便り13
明石町便り14
明石町便り15
明石町便り16
明石町便り17
明石町便り18
明石町便り18・續
明石町便り18・續々
明石町便り19
明石町便り19・續
明石町便り20
明石町便り21
明石町便り22

《明石町便り20   2012/7-28》


★受難の一年餘

 二年近くの御無沙汰、寔に申譯なく存じます。
 去年の震災からあと、佳いことが全くありません。あの大地震は、皆さん等しく被つた災禍でありますから、己が被害を言ひ募るのは躊躇はれますが、でも怖かつたですよ。
 6基の書棚の上に天井まで積み上げた古典文學の叢書などが雪崩をうつやうに崩れ落ち、厚さ3~4糎の函入本が何十冊も宙を飛び交ふのを目(ま)の當たりにした時は、流石に恐怖を感じました。本が額縁の硝子や陶製の花瓶を割り、別の場所ではテレビや電子レンジが轉げ落ちて毀れました。あの地震は南北に揺れた由、また土地の形状等で被害に差が出た模樣にて、知友の中には書庫が甚大なる被害を蒙つた方もあれば、棚の中のグラスが一つ二つ倒れただけといふ方もあり、こればかりは運としか申せませんね。
 折から、久しぶりに4月よりカルチャー講座に出講することになり、募集をかけてゐたところでした。案の定、申し込みが甚く少なく、スタッフからは「中止にしては」といふ提案もあつたのですが、「僅か數人でも聽いて下さる方があるからには」と思ひまして、十年前に逝去した中村歌右衛門について、月に一度、6月まで喋りました。
 書庫兼應接室は書棚から崩れ落ちた本が其處此處に山積みされて足の踏み場もなき體、依然として體調が思はしくなかつたので、片づけも儘ならず、先々の仕事に關はる古典などを讀みつゝ春夏を遣り過してゐましたが、8月も末にかゝる頃、思ひもかけぬ災難に見舞はれました。8月26日に東京近邊を襲つた集中豪雨、覺えておいででせうか。あの日、私の部屋が水浸しになつたのであります。
 午後2時頃でしたらうか、天井から流れの急な川音にも似た轟音が聞こえ始めました。嘗て無かつた事ゆゑ、ちよつと怖いなと思ふ間もなく、天井から水が漏れて來たのです。上階(當時空室)露臺の排水孔が詰まつてプールのやうになつたらしく、行き場を失つた雨水が上階の床下から私の部屋〔二つの部屋の境〕に流れ込み、壁を挟んで背中合はせに設置した書棚が瀑布と化しました。やがて天井板からも洩れ出し、更には浴室や洗面所にも滴り落ち、私はと申せば、たゞ手を束ねてなす術もありませんでした。
 翌朝、東京新聞を開いたら「明石町では1時間に80ミリ降った」云々とありました。
 雨が止んでも漏水は一向に治まらず、三日ほど點滴のやうに滴り續けました。天井や壁は補修を經て綺麗になるでせうが、濡れてしまつた澤山の書物〔ジャン・ジュネ、ハンス・ヘニー・ヤーン、ウラジーミル・ナボコフ、フーゴー・フォン・ホーフマンスタール、テネシー・ウィリアムズ、カーソン・マッカラーズ、マルグリット・ユルスナール等々、外國文藝邦譯書の棚の被害が甚大でした〕は舊に復りません。
 取り敢へず水を吸つたまゝの絨毯だけでも取り替へて、仕事の出來る空間を作らねばと思ふものの、床面を占領してゐる、カヴァーや函を外した裸本の山を見ると、また氣持が萎えてきます。執筆用の座卓があつた場所には、漏水を受ける金盥ならぬポリ盥を据ゑてしまつたので、パソコンは椅子の上に置いて使用する始末でした。10階建の集合住宅ですが、斯樣な被害に遭つたのは私の部屋だけです。
 震災の後片づけも濟んでゐないのに此の受難、一生のうちには、かゝる憂き目にも遭ふものかと心が萎え、何もする氣になれずに日を過してをりましたが、半月後の9月11日、今度は私の部屋の給湯管〔巨大給湯器→台所・洗面台・浴室〕の何處か一箇所が壁の中で劣化して穴があき階下に水が洩れるという事故が起きました。日曜午後の事にて、階下もまたその下の部屋も事務所で無人、漏水は三階下にまで及んで漸く明らかになるといふ最惡の展開でした。加害者は部屋の所有者といふことで、賃貸人にすぎぬ私には償ふ義務はありませんが、階下の人たちとの應對などで疲勞困憊しました。かうも立て續けに水難に見舞はれると、何やら水に呪はれてゐるやうな氣分にさせられました。水マニアの泉鏡花先生なら創作に役立てゝ一篇をものするところでせうが、殘念ながら私には左樣な觀音力など望むべくもありませんでした。
 給湯設備や排水など水廻りの配管を全て取り換へることになり、豪雨禍の補修、また階下3室の補修とが同時進行で進められる筈でしたが、諸々の事情にて豪雨禍の補修が後廻しとなり、工事は斷續的に年末まで續きました。住みながら補修工事を受け容れるのは、頻繁に家具の移動を強ひられるなど實に大變で〔殊に一々段ボールに詰めねばならぬ書籍の移動には閉口〕ストレスが溜まりました。この間(かん)ちよつと此處には書きかねるやうな事どもも多々あり、部屋は綺麗になつたものゝ、元々不安含みであつた身體の不調が亢進して辛い年末年始となりました。
   
震災3週間後
April 2011 震災3週間後(洋室)

洋室漏水
Aug 26, 2011 漏水(洋室)

和室漏水
Aug 27, 2011漏水(和室)

補修工事直前の和室
Oct 2011 補修工事直前の和室

★家なき兒~轉居先が見つかりません、求む貸部屋~

 それでも一月半ば過ぎまでは寢込むこともなく、南條竹則さんから神樂坂にて美味なるお鮨の御馳走に與(あづ)かつたりしたのですが、下旬になると急に體力が落ちて體重が5瓩も減りました。工事中のストレスなどで腸や腎臓の機能が低下したらしく、春になつても復調かなはず、いまも不調であります。収入が無くなり辛うじて口を糊する日々にて、家賃の支拂ひにも事缺くに至り、來月には34年も住んだ此の部屋から退去せざるをえなくなりました。しかし、肝心の轉居先が見つからず、此の儘では家なき兒に……。
 私は現在66歳です。こんな生業(なりはひ)ですから定収入といふものがありません。
 まして上記の如き貧に窮する現状でありますから、多く望めぬことは承知してをります。折から區營住宅の空室募集がありましたので、應募要項を取り寄せてみましたが、私が應募可能な物件は僅か一戸、勿論外れました。區營に限らず公營の住宅對策は獨り者や高齡者には冷淡です。《高齡者のための住み替え相談》なるサーヴィスがあると聞き、豫約を入れて出向いてみましたが、應對は通り一遍のものでした。
 不動産屋で探すとなると、敷金・禮金はもとより保証人も必要で、定収入の提示も求められるとか、今の私には難しいことばかりです。直接貸して下さる方が望ましいのですが、もし、誰方(どなた)か、空室をお持ちの方、または直接貸して下さる方を御存じの方がいらつしやいましたら、お力を貸して下さいませんか。浴室・トイレ付きならば1ルームでも木造でも、また場所は何處でも構ひませんので、何卒よろしくお願ひ申し上げます。

*転居先は無事に見つかりました(アトリエOCTA注)


★受贈本の紹介を少々

愚癡めいたことやお願ひ事が續きましたので、話題を變へませう。
頂戴した御本はもつと澤山あつた筈ですが、漏水禍の時に水を被つてしまつたり、工事に際して段ボールに詰めたまゝ在處が定かでなかつたりで、全部は紹介出來ません。比較的 最近頂いたものに偏りますが、山尾悠子さん、菊地秀行さん、南條竹則さん、東雅夫さん、下楠昌哉さんの著作の書影を御覧に入れます。
山尾悠子初期作品選『夢の遠近法』国書刊行会
山尾悠子『ラピスラズリ』ちくま文庫版
菊地秀行『魔界都市ノワール 兇月面』祥伝社
菊地秀行『魔界都市ヴィジトゥール 幻工師ギリス』祥伝社
菊地秀行『魔界都市ブルース 恋獄の章』祥伝社
菊地秀行『魔界都市ブルース 愁哭の章』祥伝社
南條竹則『人生はうしろ向き』集英社新書
南條竹則:編訳『ブラックウッド幻想怪奇傑作集 秘書綺譚』光文社文庫
鏡花怪異短篇集『おばけ好き』東雅夫:編・平凡社ライブラリー
東雅夫:編『昭和の怪談 ヴィンテージ・コレクション』メディアファクトリー
東雅夫『なぜ怪談は百年ごとに流行るのか』学研新書
東雅夫『文学の極意は怪談である』筑摩書房
クリス・ボルディック選/下楠昌哉ほか編訳『ゴシック短編小説集』春風社


ラピスラズリ

夢の遠近法

魔界都市ノワール 兇月面

幻工師ギリス

魔界都市ブルース 恋獄の章

魔界都市ブルース 愁哭の章

人生はうしろ向き

ブラックウッド幻想怪奇傑作集 秘書綺譚

おばけ好き

昭和の怪談 ヴィンテージ・コレクション

なぜ怪談は百年ごとに流行るのか

文学の極意は怪談である

ゴシック短編小説集


★短歌の新作が……
震災のあと、4月から5月にかけて、珍しや、頼まれもしないのに短歌が口を衝いて出るやうに二十首ばかり詠めました。こんなことは數十年ぶりにて、首を傾げてをります。腰折れが多いのですが、久しぶりの詠草ゆゑ、御笑覽に供します。

「人を憶ふ歌」
兎憑き鏡花小史の墨の跡 撥ねに癖ありよろしかりける
あな畏(かしこ)議場に臨みおもむろに眼鏡を掛くる英國女王
グランマダム葛原妙子をがたまの紅き實を掌に秘けく笑(ゑ)まふ
膽(きも)剛き森岡貞香うつくしき歌びとなりしが果つる九十二
鳥憑きの山中智惠子逝きたれば鈴鹿に熄(や)まぬ鳥吹雪かな
わが舊師夢に顯ち出で「もとはし」の菓子琥珀仙欲しと宣ふ
着流しの郡司正勝颯(さ)と立ちて晒女(さらしめ)を舞ふ飄逸至極
湯島なる切り通しにて人形がシモン戀しと泣き濡るゝ春
所在なき夜に偶(ふ)と憶ふ横貌の美しかりし珂爛よいづこ

「鱗潜羽翔」
一宵(いつせう)の淺き眠りの切れぎれにむらさき深く羽搏くものら
涸井戸の底よりはつか聞こゆるは魚(うを)と契りし者の歎かひ
夢の世に息絶ゆるかも爛漫の蓮(はちす)の浪を分けゆく蛟(みづち)
萩、桔梗、尾花を植ゑて三艸(さんさう)と名づけし鉢も惡靈めきぬ
感應は伏流水の湧くがごと唐突として背筋を奔(はし)る
長崎は猫もさるもの美しき若衆と化(な)りて樓(くるわ)に登る
卵生の王子なるらむ尾や鰭や羽に埋もれて羞(やさ)しく睡れ
イオニアの少年たちは攫(さら)はれて虚空を渡り星彦となる
極光(オーロラ)の搖るゝ湖連舞(つれまひ)の我は惡魔よ王子と踊る
浦島草の苞(はう)の縞目の惱ましくこの苛だちに過ぎゆく四月

「友だちの歌」
俳名を二つ持ちたる友ありて殊に鬼啾は羨(とも)しかりけり
魚偏を甚く愛する友ありてたゞの紙をも魚繭(ぎよけん)と稱ふ

「折々の歌」
癡人(しれびと)が折に見上ぐる額の繪の聖家族はも何を語らふ
幸ひの斯(か)く短きは夢ならでけさ朝顔の虚空を泳ぐ
水瓶の星座に生まれなほ渇くおのれ漸く愚者めきて夏
緒を横切る尾鰭のごときものあるに歌へざる日の歌びとあはれ
うたはざる歌びと我は南國の怪(け)しき花々培(つちか)ひてけり

明日をも知れぬ我が身ではありますが、「幽」編集長の東雅夫さんと国書刊行会編集長礒崎純一さんの御盡力にて秋には新刊が出せることになりました。
国書刊行会版《日本古典文学幻想コレクション》全三巻が絶版となりましたので、是を江戸ものに限つて再編集し、全一冊の大冊『江戸の奇談・怪談』として、ちくま学芸文庫より刊行していたゞけることになつたのです。此の件では友人といふ存在のありがたさに、今更ながら思ひ至りました。

【明石町便り】は恐らくこれが最終便になると思ひますが、無事に轉居し果せた暁には、石堂藍さんに相談申し上げて何らかのかたちで續けたいと希つてをります。