須永朝彦バックナンバー

須永朝彦を偲んで

■著作撰(書影集)
■入手可能著書一覧

須永朝彦バックナンバー

1・日影丈吉
◆給仕少年の推奨献立
◆色のない絵具
◆さまよへる悪霊、或は屈託多き女
◆日影さんのこと

2・井上保&森茉莉
◆殉情は流るゝ清水のごとく
◆Anders als die Anderen
◆『マドモアゼル ルウルウ』奇談

3・泉鏡花
◆魔界の哀愁

4・堀口大學
◆堀口先生のこと

5・足穂&乱歩
◆天狗、少年ほか

6・郡司正勝
◆郡司先生の憂鬱ほか

7・菊地秀行&小泉喜美子
◆美貌の都・月影に咲く蘭の花

8・高柳重信&中村苑子
◆るんば・たんば・『水妖詞館』の頃

9・バレエ
◆アンドロギュヌスの魅惑

10・ディートリッヒ
◆蛾眉

11・内田百間
◆片づかない氣持がする

12・和歌・短歌
◆戀の歌とジェンダー

明石町便り

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FILE01  『日影丈吉全集』完結記念

  さまよへる悪霊、或は屈託多き女――『夕潮』を読む
(『ブックガイド・マガジン』)

 この小説では、時間が生きもののやうに動いてゐる。日影さんの作品には、一人称の回顧体を採るものが多いので、いつたいに郷愁に通ずるような時間の流れが感じられ、それは小説に奥行または幅のごときを与へてゐるかと思ふ。中には長篇『応家の人々』のやうに、現在の事件から忽ちフラッシュ・バック、一転して20年前の事件が語られ、終章では再(ま)た現在に戻る、といふ入れ子の二重構造に仕立てられたものもある。
 『夕潮』の場合は、現在進行形の事件(昭和42年当時)に27年前の事件[事故として処理された溺死事件]が重なるといふか、絡みついてくる体で、過去の事件の謎解と、主人公の身の上に今まさに迫りつゝあると思はれる危険とが、主人公の友人の溺死事件を挟んで、分かち難く絡み合ひながら展開される。この設定は、サスペンスの醸成に効果をもたらしてゐる。
 主人公すなはち語り手、といふ一人称が採用されてゐるので、叙述は当然主観的な傾向を帯びる。このスタイルは、読者に靄か霧を距てゝ物を見るやうな〈もどかしさ〉を覚えさせると同時に、主人公に対する精神分析的な興味をも惹起させるだらう。仔細に見れば、まことに凝つた構成と手法が採られてゐるのだが、日影さんの文体が、それを感じさせない。
 物語は伊豆諸島に向かふ機帆船の中から始まる。鹿沼未知すなはち〈私〉は、格別に親しかつたわけでもない大学時代の級友旗野瑠璃子[美女]の船に便乗させて貰ひ、伊豆の新島に赴く。八歳ほど年長の夫鹿沼春辞[外務省を辞め中央アフリカ語の綜合辞典を作り始める]は後から来る予定で、新島は夫には由縁の地である。しかし、〈私〉は常に「つまらない屈託」に支配されてしまふ「気ぶつせな」女であり、自分でもそれを承知してゐた。
 はたして船上の人となるや屈託の虜となり、「夫はよろこんで島へ行く気になったのか」といふ疑問に囚はれ、その昔、春辞の叔父に中(あた)る仁科富一郎なる人物が式根島海域[新島の隣]で溺死した事を想起する。仁科には一まはり下の奈保子といふ妻があつた。十七歳で未亡人になつたその人は二十年後に仁科秘女(ひめ)の筆名で『夕潮』と題する歌集を出版してをり、秘女と同郷の母が入手した歌集を〈私〉は秘かに読んでゐた。屈託に囚はれて眠れぬ〈私〉を乗せ、船は夜の海を伊豆の島々に向かつて進んで行く。
 こゝまでが第一章だが、登場人物も大方紹介され、船出と共にいよいよ物語が始まるんだな……と感じさせ、さあこれから読書の愉悦に埋没できる……といふ期待を抱かせる。
 鹿沼夫妻の新島での生活が始まる。夫は都合で一時帰京、〈私〉は盆踊の会場で図らずも秘女に出会ひ、「成熟した女の魅力に天使的という異質な美しさの混合」するレンブラント好みの女に惹かれる。神津島で別れた筈の瑠璃子が式根島で溺死、そこに春辞が居合はせたと知り、〈私〉は茫然とする。瑠璃子の死は事故として処理されるが、海の魔物に襲はれるのを見た……といふ証言もあり、既に伝説と化してゐた仁科富一郎の死[当時も同様の証言があつた]が、さまよへる悪霊さながらに蘇る。
 舞台は式根島に移る。春辞は仕事に没頭、〈私〉は秘女と親しく交際する。秘女は亡夫との房事まで語り、〈私〉を圧倒する。やがて秘女と春辞の密会を知り、或る日、海辺で絡み合ふ水着姿の男女を目撃してしまふ。疑はしい春辞の行動、富一郎と春辞の生き方の相似、強かな秘女の魅力……などが〈私〉に黒雲のごとく覆い被さつてくる。瑠璃子の死と夫を結びつけ、遂には自分も殺されるのではないかと考へるに至り、「私を殺したのは春辞です/未知」といふ遺書まで認(したゝ)めて秘女に預ける。はたして〈私〉は、夕潮と共にさまよふ悪霊に取り憑かれて殺されてしまふのか。
 新島・神津島・式根島などの光景や風俗の描写が優れてゐると申せば、日影さんの読者ならば、嘸(さぞ)と頷かれる事であらう。珍しい島風俗に彩られて展開される事件は、直截的な表現で気が引けるのだが、一人の若い女のリビドーの足掻きが因をなす体のものだと言へなくもない。主人公には、屈託に囚はれるといふ性格の他に、大学在学中に幼少時より知り合ひの年長の男と結婚し二年も放つておかれた[相手は単身アフリカへ赴任]といふ設定がなされてゐる。半ばくらゐまで読み進むと、鹿沼夫妻の間には性愛の営みが殆どなく、然も若い妻が不満を託つてゐる事が判然としてくる。従前の日影さんの小説とはだいぶ趣が異なるやうだ。抑制の利いた的確な描写・文体の御陰で妄りがはしい印象は受けないが、実は、常凡の作家が扱つたら、陳腐かつ生臭いものと化してしまふに違ひない類の事が主題なのだ。
 リチャード・ハルの『伯母の殺人』が軽い伏線の役割、ジャック・キャゾットの『恋する悪魔』が重要な狂言廻しの役割を担つてゐるあたり、また主人公が「悪霊-富一郎-秘女」「悪い意志-春辞-私」「動機-被害者-犯人」などといふ俄には呑み込み難い「暗黒の三角」に腐心するところなど、日影さんの独擅場(どくせんじやう)とも申すべき趣向が随所に見いだされる。
 主人公を翻弄する豊饒なる聖女、巫女めく妖言(およづれごと)の発信者を女流歌人に仕立てたところも注目に値するだらう。寧ろ彼女こそ主人公と見るべきかも知れない。モダンな形式である俳句や現代詩を作る女性には、実際かういふタイプはまづ見当らないが、まだ変体仮名の尻尾を曳き摺つてゐる短歌の世界には稀に存在するのであり、亡き円地文子にも巫女型の閨秀歌人を主人公に据ゑた『女面』といふ優れた中篇小説がある。
 歌人が登場するので、短歌も何首か挿入されてゐる。むろん日影さんの作であらう。批評は差し控へるとして、歌壇に屯(たむろ)する大方のオバサン達の歌を越えてゐる事だけは確かだ……といふ管見のみ申し添へておかう。
[1980年9月初出、「ブックガイド・マガジン」創刊号]