《明石町便り21 2012/7-28》
★押入の中
34年も一箇所に棲み續けると、押入の奧には何十年も開けてゐない段ボール箱が幾つもあり、内容物に關する記憶も薄れて、開けて吃驚みたいなこともございます。
舊師塚本邦雄先生から6年間に頂戴した書翰は300通をこえてゐたと思ひます。他聞を憚る話題に及ぶろところも少なくなかつたので、師弟關係解消の際に全部返却申し上げた筈だと思つてゐましたが、お手製のフォト・アルバムとか直筆ポルノ小説のコピーなど、書翰とは別に保管しておいたものが出て來たのであります。
御自宅の改築完了後、恐らく自動シャッターで撮影されたものでせうが、各部屋でポーズを取つてをられる寫眞を貼り込んだアルバムには思はずも見入つてしまひました。大阪万博の年ですから1970年です。中をちよつと御覽に入れませう。
山中智惠子さんからの書翰も何通あるのか、和菓子の空箱にぎつしり。巻紙に見事な毛筆といふものも數通、ペン書き書翰箋22枚に及ぶものも。山中さんの筆跡は獨得なので、今の若い方には讀めないかも知れませんね。葛原妙子さん、多田智滿子さん、松田修さん、森岡貞香さん……、讀み入ること數時間、肝心の片づけ仕事が滞つてしまひました。それにしても箱の多いこと! 紙の類は何でも綺麗な箱に納めてしまふ箱男なのです。
くさぐさの紙片を筥(はこ)に分け納め さて箱男われは安心