須永朝彦バックナンバー

須永朝彦情報

■著作撰(書影集)
■入手可能著書一覧
■明石町便り更新12/12/12
■バックナンバー更新11/5/23

須永朝彦バックナンバー

1・日影丈吉
◆給仕少年の推奨献立
◆色のない絵具
◆さまよへる悪霊、或は屈託多き女
◆日影さんのこと

2・井上保&森茉莉
◆殉情は流るゝ清水のごとく
◆Anders als die Anderen
◆『マドモアゼル ルウルウ』奇談

3・泉鏡花
◆魔界の哀愁

4・堀口大學
◆堀口先生のこと

5・足穂&乱歩
◆天狗、少年ほか

6・郡司正勝
◆郡司先生の憂鬱ほか

7・菊地秀行&小泉喜美子
◆美貌の都・月影に咲く蘭の花

8・高柳重信&中村苑子
◆るんば・たんば・『水妖詞館』の頃

9・バレエ
◆アンドロギュヌスの魅惑

10・ディートリッヒ
◆蛾眉

11・内田百間
◆片づかない氣持がする

12・和歌・短歌
◆戀の歌とジェンダー

明石町便り

明石町便り1
明石町便り2
明石町便り3
明石町便り4
明石町便り5
明石町便り6
明石町便り7
明石町便り8
番外篇
明石町便り9
明石町便り10
明石町便り11
明石町便り12
明石町便り13
明石町便り14
明石町便り15
明石町便り16
明石町便り17
明石町便り18
明石町便り18・續
明石町便り18・續々
明石町便り19
明石町便り19・續
明石町便り20
明石町便り21
明石町便り22

FILE02  井上保&森茉莉

殉情は流るゝ清水のごとく
(『井上保さんを偲ぶ会 追悼文集』より)

 出会ひは1969年、井上保さんは、稿料の支払はれる散文の原稿を注文してくれた最初の編集者(話の特集)である。同世代(僕の方が2歳下)で、文芸・音楽・映画などの嗜好に通ずるところがあつたせゐか、直に仕事を離れてお付き合ひするやうになつた。
 僕は、日記の類は思ひ立つて書き始めても長続きしないのだが、70~71年に限つて克明な日録が残つてをり、それを繰つてみたら、当時は頻繁に会つてゐて、三日に一度という月もある。お互ひに余程喋りたい事があつたのだらう。映画や芝居やコンサートに度々同行し、勿論お酒もよく飲んだ。
 僕と飲む時は新橋の酒小路(さゝこうじ)か新宿2丁目、他にも行きつけの場所があつたらしいが、僕とは別の交際圏だつた。彼は僕の交際圏の中に入つてきたが、僕は彼の幾つかの交際圏とは無縁に過ぎた。僕たちは彼を「タモッチャン」と呼び、酒小路の木の実さんはもう少し小粋に「タモチャン」と呼んでゐた。
 三島由紀夫の自死で始まつた70年代、その中頃に僕らは30歳を迎へ、次第に会ふ頻度が落ちていつた。40歳に近づいた頃、酒小路も消え失せ、僕は殆ど酒を飲まなくなり、夜間の外出も減つたが、何かの折には会ひ、会へば以前と変りなく喋り合つた。
〈もう、若い頃のやうに相手を前にして息せき切つて何もかも喋り合はなくても、つまり会はない時間が長引いても安心してゐられる、僕らの友情はそんな域に入つたのだ……〉と僕は考へるやうになつてゐたが、独り合点だつたかも知れない。
 或る女性との邂逅と別離、アメリカ行き、編集者から文筆家への転身……彼には様々な変転があり、僕にも相応の転変があつた。その間には多少感情の齟齬も生じ、彼の静かな怒りを買つた事もある。
 彼は万事に几帳面な性格だつた(1月23日生まれのせゐか?)から、文筆を以て立つに際しても事前の用意を怠らなかつただらうが、筆一本で世を渡るのは、僕の体験から推しても、軌道に乗るまでは苦しいものだ。彼も少なからず辛酸を舐めた様子で、かつて弱みを見せた事の無い人なのに、珍しく弱音を吐いた事がある。僕は励ましの言葉くらゐしか贈れなかつたが、経済的援助を惜しまぬ奇特な友人もあつた。
 いま、四半世紀に及ぶ交遊を顧みて、最も懐かしく思はれるのは、やはり20代の頃の事である。僕ら二人を魅了したフランチェスコ・ロージの映画『真実の瞬間』、登り詰めて果てる闘牛士の物語、何度一緒に見たかわからない。最後は板橋の人生座まで追いかけて見た。ビデオの普及した今では考へられない行動であり情熱であつたと、感慨を覚える。彼はポスターを2枚入手して、1枚を僕にくれた。それから、大阪万国博のマレーネ・ディートリッヒ・ショー。
 皮肉はちよくちよく口にするし、好悪も烈しい人だつたが、語り口はあくまで優しく、たとへ激昂しても面に現さないタイプだつた。冷静沈着、到底僕の及ぶところではなかつた。ディートリッヒ・ショーのフィナーレ、そんな彼が凄い勢いで舞台前に駆け寄つて行つた。感極まつたのだらう、自意識過剰気味だつた当時の僕にはとても出来ない芸当で驚いたが、いま想へば、心底から舞台や映像のエンターテインメントが好きで、感動を覚えればそれを素直に現せる人だつたのだ。最初の著作『映画、さまざまな光』を貰った時、僕は様々な注文を口にしたが、いま読み返してみると、彼の殉情が清水のごとく底流してゐるのが解り、優しい気持に涵(ひた)される。合掌。
               [1994年7月]