須永朝彦バックナンバー

須永朝彦を偲んで

■著作撰(書影集)
■入手可能著書一覧

須永朝彦バックナンバー

1・日影丈吉
◆給仕少年の推奨献立
◆色のない絵具
◆さまよへる悪霊、或は屈託多き女
◆日影さんのこと

2・井上保&森茉莉
◆殉情は流るゝ清水のごとく
◆Anders als die Anderen
◆『マドモアゼル ルウルウ』奇談

3・泉鏡花
◆魔界の哀愁

4・堀口大學
◆堀口先生のこと

5・足穂&乱歩
◆天狗、少年ほか

6・郡司正勝
◆郡司先生の憂鬱ほか

7・菊地秀行&小泉喜美子
◆美貌の都・月影に咲く蘭の花

8・高柳重信&中村苑子
◆るんば・たんば・『水妖詞館』の頃

9・バレエ
◆アンドロギュヌスの魅惑

10・ディートリッヒ
◆蛾眉

11・内田百間
◆片づかない氣持がする

12・和歌・短歌
◆戀の歌とジェンダー

明石町便り

明石町便り1
明石町便り2
明石町便り3
明石町便り4
明石町便り5
明石町便り6
明石町便り7
明石町便り8
番外篇
明石町便り9
明石町便り10
明石町便り11
明石町便り12
明石町便り13
明石町便り14
明石町便り15
明石町便り16
明石町便り17
明石町便り18
明石町便り18・續
明石町便り18・續々
明石町便り19
明石町便り19・續
明石町便り20
明石町便り21
明石町便り22

FILE02  井上保&森茉莉

  遺稿『ピンクの三角形』跋
(現代書館『ピンクの三角形――
ゲイ・リベレーションと文学の潮流』跋文)

 類例の無いブックレビュー集である。こゝに採り上げられた42冊の書物は、すべてゲイに関するものである。ゲイ文学のブックガイドの類が過去に無かつたわけではないが、大方は複数の執筆者による総花式の案内書の観を呈してをり、中には専ら甘美なる情緒に浸つてゐる体のものも見受けられる。
 比べて、井上さんのこの本は、視点を〈マイノリティ〉に据ゑ、そこから過去を検証し更に未来を見つめ切り拓かうとする真摯なる姿勢が鮮明であり、それは標題が端的に示してゐる。
 また、書物の選び方に見識が窺はれ、個々の書物にも十分筆が尽され、文学的享受といふ面でも独自の審美観が打ち出されてゐる。「類例の無い」と申す所以である。
 対象が欧米の作品(アメリカのものが7割強、日本人の著作も1冊あるがフランス人作家を論じたもの)に限られてゐるのは、マイノリティの問題を語るのに適してゐるためであらう。欧米ことに米国ではゲイ解放運動が大きな畝りを見せてゐるが、日本ではまだ端緒についたばかりと見受けられる。この差異は、同性愛が古来欧米では宗教で禁ぜられ法律で罰せられてきたのに対し、日本では殆ど刑罰の対象とされて来なかつたところから生じたものと思はれる。抑圧の厳しい方が当然反撥も強まる道理だが、処罰の無い社会では少数者への偏見や差別が陰(いん)に籠もるのであり、却つて始末が悪いかも知れない。同性愛者の中にも「日陰の花で結構だ」と居直る人たちが少なからず実在するやうだ。
 井上さんは、「ゲイに対して寛容か不寛容かをあいまいにしている日本人的土壌」に苛立ちを隠さない。そして、ゲイ差別がゲイのみの運動によつて撤廃しうるものではないと述べる。「ゲイがゲイという集団の中でいくら声高に正当性を叫ぼうと、大きな広がりを持つムーブメントには結びつかない。異なるセクシュアリティとの共存こそが戦略的に必要なのである。(中略)マイノリティー・ムーブメントは狭い場所に立つからこそフレキシブルな感性で道を切り拓いていくべきである」という提言は重い。
 新刊旧刊に囚はれない、このユニークなブックレビューは1990年末から月刊誌「アドン」に連載、仮に1993年末の時点で一区切りして纏められたのが本書である。対象書目はまだ沢山あつたやうで、連載はその後も続けられた。ところが、今年(1994年)の5月12日に井上さんは肝臓癌のため50歳といふ若さで急逝された。存命であれば何年か後には本書の続篇も望めた訳である。
 映画評の連載もなさつてゐたので、『映画、さまざまな光』の続篇刊行も可能だつたと思はれる。また、1960年代後半に興つたアンダーグラウンド演劇に焦点を当てた『新宿演劇史』の執筆プランなども抱いてをられたから、返す返すも早世が惜しまれる。いま顧みれば、若い晩年の仕事ぶりには鬼気迫るものが観ぜられた。合掌。
[1994年7月]