FILE02 井上保&森茉莉
遺稿『ピンクの三角形』跋(現代書館『ピンクの三角形――
ゲイ・リベレーションと文学の潮流』跋文)
ゲイ・リベレーションと文学の潮流』跋文)
類例の無いブックレビュー集である。こゝに採り上げられた42冊の書物は、すべてゲイに関するものである。ゲイ文学のブックガイドの類が過去に無かつたわけではないが、大方は複数の執筆者による総花式の案内書の観を呈してをり、中には専ら甘美なる情緒に浸つてゐる体のものも見受けられる。
比べて、井上さんのこの本は、視点を〈マイノリティ〉に据ゑ、そこから過去を検証し更に未来を見つめ切り拓かうとする真摯なる姿勢が鮮明であり、それは標題が端的に示してゐる。
また、書物の選び方に見識が窺はれ、個々の書物にも十分筆が尽され、文学的享受といふ面でも独自の審美観が打ち出されてゐる。「類例の無い」と申す所以である。
対象が欧米の作品(アメリカのものが7割強、日本人の著作も1冊あるがフランス人作家を論じたもの)に限られてゐるのは、マイノリティの問題を語るのに適してゐるためであらう。欧米ことに米国ではゲイ解放運動が大きな畝りを見せてゐるが、日本ではまだ端緒についたばかりと見受けられる。この差異は、同性愛が古来欧米では宗教で禁ぜられ法律で罰せられてきたのに対し、日本では殆ど刑罰の対象とされて来なかつたところから生じたものと思はれる。抑圧の厳しい方が当然反撥も強まる道理だが、処罰の無い社会では少数者への偏見や差別が陰(いん)に籠もるのであり、却つて始末が悪いかも知れない。同性愛者の中にも「日陰の花で結構だ」と居直る人たちが少なからず実在するやうだ。
井上さんは、「ゲイに対して寛容か不寛容かをあいまいにしている日本人的土壌」に苛立ちを隠さない。そして、ゲイ差別がゲイのみの運動によつて撤廃しうるものではないと述べる。「ゲイがゲイという集団の中でいくら声高に正当性を叫ぼうと、大きな広がりを持つムーブメントには結びつかない。異なるセクシュアリティとの共存こそが戦略的に必要なのである。(中略)マイノリティー・ムーブメントは狭い場所に立つからこそフレキシブルな感性で道を切り拓いていくべきである」という提言は重い。
新刊旧刊に囚はれない、このユニークなブックレビューは1990年末から月刊誌「アドン」に連載、仮に1993年末の時点で一区切りして纏められたのが本書である。対象書目はまだ沢山あつたやうで、連載はその後も続けられた。ところが、今年(1994年)の5月12日に井上さんは肝臓癌のため50歳といふ若さで急逝された。存命であれば何年か後には本書の続篇も望めた訳である。
映画評の連載もなさつてゐたので、『映画、さまざまな光』の続篇刊行も可能だつたと思はれる。また、1960年代後半に興つたアンダーグラウンド演劇に焦点を当てた『新宿演劇史』の執筆プランなども抱いてをられたから、返す返すも早世が惜しまれる。いま顧みれば、若い晩年の仕事ぶりには鬼気迫るものが観ぜられた。合掌。
[1994年7月]