FILE11 内 田 百 間
片づかない氣持がする――漫筆内田百間(『フロント』)
百間の著作を讀み始めたのは、たぶん十代の終り頃、昭和40年前後ではないかと思ふ。その頃、百間は相變らず『小説新潮』に「百間鬼園隨筆」を連載してゐたが、舊い著作は各社の文學全集中の一巻に二人または三人コミ(たいてい中勘助と同巻)で収録されたものを探して讀むしかなく、あとは新潮文庫から『昇天』といふ傑作集が出てゐたくらゐである。讀み始めた時期や動機などは記憶が曖昧だが、百間が亡くなつた年の事はよく覺えてゐる。
當時は、文豪と稱された作家が未だ幾人も健在だつた。室生犀星・佐藤春夫・江戸川亂歩・谷崎潤一郎といふ順に物故し、1971年には百間・日夏耿之介・志賀直哉が逝去してゐる。折から文藝誌『海』の編輯者より「百間と耿之介の追悼文を書け」との申し越しがあり、これを引受けたので、よく覺えてゐるのである(當時、私は25歳で最初の著作を出したばかりだつた)。他に適任の人もあつたらうに、私のやうな若輩にお鉢が廻つてきたのは、あちこち打診して斷られたからだらう。いずれも愛誦作家ゆゑ、受けるのは吝(やぶさ)かではなかつたが、二人コミといふ註文には聊か呆れ、編輯者の見識を疑つた覺えがある。それでも紙數を15枚ほど確保してくれたので、「冥途黄眠」と題して一所懸命に書いた。
何を書いたのか――いま讀み返してみると、百間に就いては、まづ「文章修辭の卓抜」を擧げ、「怖るべきリアリティをふつふつと湧出」させる「意外とセンテンスの長い、然もくねくねと曲折する文體は、捉へ所がないとさへ感じられるが、精しく讀むと感覺のはりつめたもので一切の無駄がなく、言はばエッセンスの文藝である」として、「鬼気幻風」の寂寥感を稱揚してをり、これは顧みて變でもないとは思ふものの、若さゆゑの舞文曲筆、また客氣の如きものも觀じられ、やはり面が赧らむ。
當時は未だ百間全集の類は無かつた。全貌を知らぬままに追悼文を草した譯だが、沒後すぐに講談社より十巻本の全集が刊行され、佳什の大方を讀む事が可能となつた。一通り目を通して、厭でも感じたのは、萬物萬象に對する獨得の拘泥(こだはり)のやうなものであり、この作家にとつては「片づかない氣持」といふのが常態なのだと知つたが、それを間然する所のない筆致で仕上げてゐる事に驚かされた。然も取材は過去と身邊雜事に終始してゐるのだから恐れ入る。借金と箏曲と小鳥と猫と鐵道の話題がやけに多いが、このうち、猫の話は百間らしくもなく煮え切らないこと夥しいので二度と讀む氣になれなかつたし、小鳥と鐵道の話題も私には切實ではなかつた。琴に就いては、宮城道雄をモデルにしたらしい小説『磯邊の松』に際立つた出來ばえを看たので、その鑑賞をより完(まつ)たきものにしたいと思ひ、福田種彦が歌ひ奏づるところの箏唄(ことうた)「殘月」を一聽に及んだところ、
「磯邊の松に葉隠れて、沖の方へと入(い)る月の、光や夢の世を早う、覺めて眞如(しんによ)の明らけき、月の都に住むやらん、今は傳(つて)だに朧夜(おぼろよ)の、月日ばかりは廻(めぐ)り來て」といふ僅かな詞章の演奏(前彈や手事五段はあるにせよ)に二十數分も要したので、呆然唖然として、爾來愛聽してゐるが、百間の愛讀者を以て任ずる友人たちにこれを聞かせようとすると、みな尻込みするのは如何なる料簡なのか、不審に禁(た)へない。話が枝に逸れたので元に戻して、百間の全容を視野に収めた上にて、當時、最も好きな作は何かと自問して、結局、初期の『冥途』『旅順入場式』所収の短篇(特に「山東京傳」「盡頭子」「鯉」等)に落着したのを今に忘れない。
百間に就いては、追悼文を草して以來、觸れる機會を得なかつた。尤も、物事の分析や論理の操作を得手としない私としては、百間に限らず、鏡花でも露伴でも、好きな作家の好もしい作は、たゞ再讀三讀し感歎を久しうしてゐればいゝのであつて、求めて作家論作品論の類を書きたいとは思はないのだが、鬻文(いくぶん)を事とする手前、頼まれゝばかうして書かざるを得ない。
そこで、私が百間の上に看る殊色に就いて思ひ斡(めぐ)らせ、筆を起すに際して參考までに諸家の百間論を拾ひ讀みしたところ、私の百間觀は夙に諸家の言及する所と然程(さほど)變らぬ事が判明したので、こゝはひとつ方針を轉換して、諸家の百間論の品評を致さんと思ひ、芥川龍之介・佐藤春夫・伊藤整から三島由紀夫・種村季弘・高橋英夫・別役実に至る諸家の論評を讀み比べて克明にノートを取つたものの、懐舊談めく無駄話を連ねてゐるうちに忽ち紙數が盡きて、それどころの騒ぎではない事態と相成つた。
致し方もないので、氣に懸かる事のみを記すが、『冥途』所収の一連の短篇を「夢を描いたもの」とする評者が少なくない。これは、同時代の芥川が「悉く夢を書いたもの」「見た儘に書いた夢の話」としたのを承けてゐるのかも知れないが、同時代の作家でも佐藤春夫は「當世百物語」だと言ふのみで夢には全く言及してをらず、私なども一讀以來これが「夢を描いたもの」だといふ風には信じなかつた。或は夢が核になつてゐるのかも知れないが、それを「見た儘に書いた」などとは到底信じられない。作者自身は、リアリズムに就いて「直接經驗」を「一たん忘れてその後で今度自分で思ひ出す。それを綴り合はしたものが本當の經驗」だと言ひ、一連の短篇は「五年、十年、或は二十年掛かつて組立てたもの」と述べてをり、私としてはこちらを信じたい。
諸家が「胸苦しさの文学」とか「杞憂の人めく面影」とか言ひ當てゝゐる百間の特異性を、私は「片づかない氣持」と理解してきた。このたび、この隻句(せきく)の使用例を捜し出すべく記憶に縋つて旺文社文庫本十數冊を繰つてみたところ、幾つかは見出したものの、これぞといふ好適な使用例は、目星をつけてゐた「蜻蛉(とんぼ)」や「立腹帖」にも見當らず、こゝに至つては、私の方が片づかない氣持を背負ひこんでゐる。
[財団法人リバーフロント整備センター『フロント』1998年12月號]