FILE10 マレーネ・ディートリッヒ
蛾眉(ペヨトル工房『MARLENE マレーネ』)
繰返し見て娯しむのならば『モロッコ』と『間諜X27』、ちよつと變つたものならば『西班牙狂奏曲』(原作はピエール・ルイスの『女と人形』、映畫の原題は「THE DEVIL IS A WOMAN」 )、 綜合的な出來映えから言へば『戀のページェント』。先に擧げた3本は觀る者のエキゾティシズムに訴へて來る上等な通俗映畫だが、『戀のページェント』は退廢と偏執を湛へた一種不氣味なる作品と申せよう。
この4本がディートリッヒの代表作だと私は決めてゐるが、今となつては遠い昔のフィルムであり、私のやうな終戦直後生まれの者にとつても、彼女はグレタ・ガルボと並んで既に傳説の中の女優であつた。從つて私には、全く動かぬ彼女(スチール寫眞など)を見て關心を持續させてゐた時期があり、何も視てゐない烟(けぶ)るやうな眼差の上に引かれた〈蛾眉〉に惘然と見蕩れたものだが、偶(たま)にTVなどで動く映像を見ても〈蛾眉〉の強烈な印象は變らなかつた。
〈蛾眉〉とは、女の眉を蛾の觸覺に譬へた古代中國の形容辭で、轉じて「黄金不惜買蛾眉」の如く美人の形容に用ゐられた。1930年代の歐米の女優は、實は例外なく〈蛾眉〉を引いてゐたのだが、ディートリッヒに優る〈蛾眉〉の持主は見當らない。單に美しいといふだけの事ならば、『望郷』のミレイユ・バランや『曉に歸る』のダニエル・ダリューの方が上で、彼女などは〈後家相〉と囁かれかねぬ癖の強い容貌ではあるまいか。技量といふ點でも、彼女を上廻る演技力の持主は多いだらう。然し、飽くまでも纖く長く引かれたあの蛾眉は、焦點の定まらぬ眼差と相俟つて、類の無い非日常的な陶然たる悖徳(はいとく)の情調を釀し出す。其處には〈既視感〉の如きを喚起させる特異かつ普遍的な魅力が認められ、この女優を酷薄なる時間の侵蝕から救濟してゐる。すべてはフォン・スタンバーグ演出のハリウッド作品に限つての話である。
スチールの彼女の美しさに就いて、「あれはバタフライといふ、上から當てる照明と露出の淺いカメラのお陰だ」と、此方(こちら)の夢を醒ますやうな謎解をしてくれたのは坂東玉三郎であつたが、その折に私は、〈バタフライ〉なら〈蛾眉〉が生きるのは當然だ――と妙に感心した覺えがある。
[1989年1月 ペヨトル工房『MARLENE マレーネ』]
(『戀のページェント』)